浮薄一景

角 昌俊



 四月、風が走る。風景がまえのめりに飛ぶ。延々千キロの道のりをただひたすらに風に向って 走り続け、ようよう清水の街にたどり着いた。
 気が激しく動いている。風の匂いが少しく違って覚えられたのは、いささかの迷いを引き ずっていたせいかも知れない。お里帰りもつかの間、二度目の旅立ちをせかされる。
 最初の旅は、そのほとんどの荷物を、里に預けたままの身軽さであったが、今度の旅立ちは そうもいかないかも知れない。ろくな物はないにしても、大分処分したつもりが、まだ残った。先に 送った荷物は、すでに宿舎の三階の自分の部屋に運び入れてもらってあった。後は面倒なことはない。 ダンボールを開けて、適当に拾い出した小物をそちらに並べれば良いだけのことである。が、生来の 不精の虫がまたぞろ首をもだける。片付けの手が30分と持たないのである。
 思案投げ首、両の眼をうつろに窓外に投げ出す。
 〈あっー!〉声を呑む。いちどきに、強く電気に打たれたように、小さな衝激が身内を走る。 走る、走る、走る・・・・。
 〈これが、この風景こそが・・・!〉今だ白き残雪の、静かなる峰。
 ”富士にかなわないと思った。”と書いたのは、あれは太宰の吐息であったに違いない。
 ”念々と動く自分の愛憎が恥ずかしく、富士は、やっぱり偉いと思った。”
 今まさに、その富士が、圧倒的な拡がりで眼の前にある。軽佻浮薄とののしられようが 仕方がない。おだやかに息づく壮大な風景に、いやが上にも染み入る自分に、しばし唖然と惚けて いた。
 富士に、月見草が似合うかどうかは知る由もないが、暮れ残る晩夏の空に浮かぶ富士の姿に 思いを馳せて、遠く駿河の国に第一歩をしるした訳ではある。
 7月。今、”オンシジュウム”の一針が、数個の黄色い花弁をたよやかに結んで、遠洋水研 庶務課の机を賑わしている。
前 八戸支所庶務係長  遠洋水研総務部庶務課庶務係長

Masatoshi Kado

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