米国の貝類増養殖研究を訪ねて

浮 永久



 昨秋の11月から12月にかけて30日間,科学技術庁の中期在外研究員として米国を訪ねる機会を得た。与えられた研究調査の課題は「貝類の増養殖における生理活性物質の応用」というものである。なお,米国海洋気象庁(NOAA)の助成による Sea Grant Collegeprogram主催の国際シンポジウム「太平洋沿岸に生息する軟体動物の増養殖における最近の進歩」(Recent Innovations in Cultivation of Pacific Molluscs)が12月1〜3日の間,カリフォルニア大学スクリプス海洋研究所で開催されたが,幸いこの機会を使わせていただいて話題提供を行なうことができたので,会議の様子を併せて紹介しておきたい。
 先ず訪ねたのはロスアンジェルスの北140kmのサンタバーバラにあるカリフォルニア大学サンタバーバラ校海洋科学研究所のD.E.Morse教授の研究室である。この研究室では数年来アワビを材料に生殖生理の研究を手がけていて,方法は異なるが筆者らが携わってきた分野と重なる部分も多く関心があったからである。近年,哺乳類で子宮収縮,黄体退化,胃液の分泌抑制,動脈の拡張などの広範な諸作用をもち新しい医薬品として注目されているホルモン類似の生理活性物質プロスタグランディン類については,海産動植物においても分布や機能の検索が各地で進められているが,同教授はアワビ類をはじめとする数種貝類の成熟と産卵の機構にプロスタグランディンが関与していることを明らかにし,また過酸化水素の海水添加により産卵・放精が誘導されることから,過酸化水素の投与で生じた活性酸素がプロスタグランディン合成酵素を活性化する結果,産卵が誘起されると報告している。さきに筆者らが明らかにし現在アワビ類の効果的な採卵法として普及している紫外線照射海水法も同様の機構によるものと推察されている。
 アワビ類は受精後5日前後の浮遊生活を経て底生生活に移行する。海底の岩礁表面に生育する紅藻類の無節サンゴモ類(体内に石灰分を集積する石灰藻のなかま)が,貝類の幼生の着底を誘導する現象はすでに知られているところであるが,Morse教授によるとγ−アミノ酪酸(GABA)がアカネアワビの着底・変態を起こすことを確かめたという。このほかDOPA,Cholineなども弱いながらも効果が認められており,現在さらにアミノ酸類に的をしぼり物質の特定作業を進めていた。
 ところでアワビ類はホタテガイなどに比べると成長の緩慢な貝類で,種苗生産や養殖の現場からは成長速度の改善が期待されている。この研究室では最近進歩の著しい遺伝子工学の手法を使って成長のより速い品種の作出を今後の課題として挙げている。
 北米大陸のアラスカ南部からカリフォルニア半島(メキシコ)にかけては,数種のアワビ類が分布し漁獲されている。ちなみに,カリフォルニア半島沿岸に散在する漁村の収入源はアワビ類とイセエビ類であり,冷凍して主に米国に輸出されている。カリフォルニア沿岸はメキシコ沿岸と並んで,早くからアワビ漁場が開拓利用されてきたが,現在は両国とも漁獲量が減少傾向にある。米国ではアワビは主にシーフードレストランでステーキとして食されるが高価な料理の1つである。カリフォルニア州には数社のアワビ養殖会社があり,殻長5cm前後のものを十万個レベルで生産している。これらはすべてレストランに出荷されフランス料理のメニューになっている。研究材料としてアワビが用いられている背景には,生殖腺の観察が外部から容易に行なえるという利点に加えて,養殖業育成の企図がある。カリフォルニア沿岸の岩礁域には長さ50mに達する大形の褐藻のマクロシステスが分布し植食動物の生産を支えているが,この膨大な好適餌料資源と,年間の高低差の小さい水温条件は,将来アワビ類の養殖業を大きく育みそうな感をもった。
 前述のシンポジウムには,米国をはじめ中国,ペルー,チリ,ポリネシア,メキシコなどから40余名の研究者が参集し,26の話題提供が行なわれた。日本からは北海道中央水産試験場の斉藤勝男氏が,エゾアワビとホタテガイの種苗放流による増殖事例を紹介され,特にホタテガイの飛躍的な増産例は注目を浴びていた。筆者は当水研の菊地省吾魚介類研究室長と共に携わってきた,温度・光周期などによるエゾアワビの成熟・産卵の制御技術を紹介した。
 話題提供の過半を占めたのはカキ類に関するものである。カキ類は世界的にも最もポピュラーに食膳に上る貝で,1980年度のFAO統計では米国31万トン,日本26万トン,ヨーロッパ11万トン,世界の合計97万トンの生産量(殻付き重量)である。最近,米国やフランスで陸上タンクを用いた採苗から出荷サイズまでの完全養殖が民間ベースで進められているが,ここではハワイにある1企業の大規模な事例が発表された。8cmの出荷サイズに9ヶ月で達し,1つぶガキのコストは25セントであるという。
 イガイ類は日本でこそ食習慣がないがラテン諸国をはじめ世界中で利用されておりカキ類に次ぐ生産量(97万トン)となっている。中国からはチンタオにおけるムラサキイガイの養殖が話題であった。養殖ロープ1m当りの収穫は30kg(殻付き)前後である。台湾では,海岸の岩礁を掘り込んだ池を使ってトコブシの養殖が進められている。現在10の養殖場があり,オゴノリ類を餌料に年間500トンの生産が行なわれていて,国内市場の高価格(40ドル/kg)を背景にまだまだ増えそうな勢いという。また,人工餌科の投餌と施肥を併用した池中養殖で,ハマグリを年間1.2万トン生産していて,ハマグリ稚貝用の人工餌料が市販されているというのは参会者の耳目を集めていた。変ったところでは,カロライン諸島の「ミクロネシア増養殖デモンストレーションセンター」で,シャコガイの種苗生産を手がけている。
 生化学の分野ではハワイ大学のHadfield博士は,前述した貝類幼生の着底・変態誘導物質として,エタノールアミンの効果を上げていた。なお,話題は“Aquaculture”誌に所載されるので詳細はそららを参照されたい。
 次の訪問地はフィラデルフィアから南へ150kmのデラウェア湾口部にあるデラウェア州立大学海洋学部である。この大学の貝類に関する研究は1968年から行なっていた海水の閉鎖循環システムを用いた一連のカキ養殖プロジェクトを1980年で終了し,現在は主にカキやハマグリなどの二枚貝類の栄養要求の研究と,これに関連して飼料のマイクロカプセル技術の開発を行なっている。
 デラウェア湾とその南のチェサピーク湾周辺は大西洋岸におけるカキ(ヴァージニアガキ)の主産地である。労賃が高いことと潮の干満差の大きいことなどの理由で日本の垂下養殖のような集約型の生産方法は採られていず,天然の種場の種を海底に分散し育てる粗放的な方法であるが,漁場が広大なだけに大西洋岸のカキ類の生産量は29万トンに達し日本のそれをしのいでいる。カキを殻から取り出す作業は米国においても手作業であるが,黒人の熟練労働者の姿が目立った。
 大西洋岸の特に中・北部の砂浜地帯はアサリ,ハマグリなどのクラム類の漁場である。クラム類は主にチャウダーとして賞味され28万トンの生産がある。クラム類の種苗生産・販売が民間企業として行なわれており,天然の砂浜に作った人工ベッドに放養する試みも行なわれている。種苗生産技術はイギリスのコンウェイの技法が取り入れられている。
 最後にシアトルにあるワシントン州立大学水産学部と周辺のカキ種苗生産施設を訪ねた。太平洋岸で養殖されるカキは日本から導入されたマガキでシアトル周辺を中心に3万トン弱の生産がある。日本と異なり天然採苗はできないので数年前までは日本から種ガキを輸入していたが,現在はすべて工場生産の種苗によりまかなわれている。種苗の売買は種ガキを付着させた貝殻300枚を入れた袋か,または一粒ガキの場合は,1000個単位(大きさ2〜3mm)で行なわれる。最大手の会社では年間5万袋(1袋17ドル)と400万粒(1000個の単位5ドル)を生産しているが,これは太平洋岸で必要な種苗の半分に相当する量であるという。養殖した出荷時の生カキは1ガロン(3.8リットル)20ドル前後である。
 米国ではホタテガイ類は大西洋岸北部を中心に11万トン前後漁獲されている。日本のホタテガイのように大型で可食部分が多く養殖に適した種類がいないので,ワシントン大学をはじめ貝類研究者は養殖対象として日本のホタテガイに着目し小規模ながら養殖実験が進められていた。
 貝類の成熟・産卵・着底・変態に関する生理活性物質として,主として神経組織に含量の高い物質を中心に,何らかの役割が実証された段階であるが,一連の生化学的過程に関し統一的な説明がなされるまでには至っていない。今後この分野がさらに発展すれば,これらの薬剤を使用する産業上の応用技術は大いに期待されるので動向を引き続き注目したい。
 今回の中期在外研究員応募およびシンポジウム参加に際して,UJNR(天然資源の開発利用に関する日米会議)水産増養殖専門部会の推薦を受けた。同部会ならびに関係各位にお礼申し上げます。
(増殖部魚介類研究室)

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