やはり予報は難しい

黒田隆哉



 57年秋のサンマ漁は当初の景気よい予想程はいかなかったが,それでも前年をかなり上回る程度にこぎつけられたのは,漁業関係者はもとより我々予報に関係する者も一応ほっと胸をなでおろしたところである。長期予報の主要項目となっているその年(漁期)の総漁獲量については,関係する多くのファクターが自然科学から社会科学までの広い分野にわたっており,自然科学者の集まりの中で,精度を挙げていくためにこれらを充分に見極めることは至難の技ということになろうか。今回のように漁期前半なかなか漁場が近海に移ってこず,しかも群も薄いという状況が続き,後半になってようやく出現が心配されていた後続主群が沖合に現れ,以後常総沿岸で集中的に漁獲が挙げられ,ようやく前年を上回ったわけであるが,これは一つには主漁場が常総沿岸に移ってくるまで,魚価が前年の2倍で経過したことによるものと思われる。前年のような価格では各船ははやばやと漁に見切りをつけたであろうから,総漁獲量はとてもこうはならなかったのではないか。このへんは天気予報や海況予報のような自然現象の予報とは本質的に異なるものがある。しかも我々は今回の予報ではこのようなファクターは全く考えに入れてなかったのである。
 ともかく総漁獲量については57年の予報は結果的にまずまずということになった。しかし初期の漁場形成位置からの漁場の動きや漁況の推移等については当初考えていた通りには必ずしもならなかった。だいたい初漁期から終漁期にいたる途中経過については,漁場も漁況もこれを予想するのは現状ではたいへん難しい。漁期直前の海況や魚群の分布状況その他から,終漁頃までの漁場や漁況の見通しを立てるわけであるが,その途中経過については,人によって異なるがこれまでの何年分かの経過を頭に思い浮かべつつ,これらとは全く異なった様相などというものは起こるまいという位の気持ちで経過を組み立てることになる。そこで若し途中経過が意外に悪かったりすると、疑心暗鬼から今年はダメなのではないかといった悲観的な話に動揺したり,予想が外れたのではないかといったひやかしとも同情ともつかぬ噂話が耳に入ってきたりする。57年はそのような年であった。主漁場はいつ頃どこにあるか,最盛期はいつ頃になるかといった途中経過の予想は,漁業によっては必ずしも重要でない場合もあろうが,サンマのように初漁期は道東はるか沖合にあって漁場への往復だけでも4日もかかり,終漁頃は常総沿岸域にあって,午後出港して翌朝入港という位の海域差がある多獲性の魚の場合には,無駄のない生産計画を立てるといううえで是非とも必要である。
 予報は内容を詳しくすればする程外れる率が大きくなるが,そうかといってあまり大まかな予想では実用に役立たないし,だいいち当たっているのかどうかすらもはっきりしなくなる。詳しい理くつはよくわからなかったが,つい最近うかがった東北大の鳥羽先生のお話では,海の状態の場合2次元乱れとして取扱っても初期条件から決定論的に決まる時空間スケールは,せいぜい2,3ヶ月先の100km位の現象であろうということで,それから先のことについてはまた別のレベルの因果律で考えなければならないということである。カツオの場合のように6月頃からひと夏越えた先の11月頃までのことを見通すとか,7月初めのサバ・イワシや8月初めのサンマの場合のように第1回目は初漁から終漁まで4〜6ヶ月先までを見通すことになっており,途中で修正(第2回予報)することにはなっているにしても,現在の我々の知識では全く気苦労なことと云わざるを得ない。
 漁海況予報が事業として発足してから既に20年になろうとしている。幾たびかの見直しを経た後,いまでは水研・水試の中で研究と一体となった業務として定着している。しかし予報(案)作成の段階及び終漁後に行われる検討会の時点でいつも思うのは,予報技術の進歩のためにはやはり気象の場合と同じように少なくとも海況の場合,それに専念する部局があったらということである。現在使われている予報の根拠なるものはだいたい力学的取扱いから引き出されたものではなく,現象の周期性(らしきもの)を利用するとか,いわゆる相関法,類似法,傾向法,時系列法等々予測に利用できそうなものはできるだけ利用し,これに経験(則)を加味して予測をしぼり出すというやり方が主となっている。先に述べたように予想する期間があまりに先のことまでということから,こうならざるを得ないとも云えよう。ただこのような部局ができたとしても研究者は喜んでそちらにいかないかも知れない。というのはこのような予測の諸手段に使われる諸現象の自己・相互諸関係こそ研究の入口(糸口)であるから、ここに止まって予報技術の向上に専念する限りは,いわゆる研究論文なるものがあまり作成されないことになり,そのことは学会発表や論文発表の数が研究者の資格としての重要な測度とされているらしい一般の見方では,無理もないと思われるからである。しかし新しい部局の増設やそのための人員増などは,昨今の厳しい行財政事情下では到底実現の見込みのないことに目覚め,結局は現状のもとで研究者は精一杯研究をおし進めて成果を挙げ,かつまた技術的にも種々工夫をこらして予報をきめ細かくしたり,精度も向上させるよう努力することがたいせつであるという月並なおちになってしまった。
(海洋部長)

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