二枚貝漁業と生物リズム研究

藤井 武人



 新採として当水研増殖部に赴任した昭和45年はいわゆる「浅海別枠」が開始された年であり,入所早々にして二枚貝増殖プロジェクトの要員となった。二枚貝との付合いはこの時以来である。在学当時には漁業の実態から目をそむけるようにして魚の雌雄性の問題解明に血まなこになり,「雌雄同体が魚類め本来の雌雄性であって,性の転換現象は歴史過程において同体性が異体性に変化してゆく際の移行様式である」などと偉そうなことを言って(しかしこれは真理であると今でも思っている)魚類学の先生達からまゆをしかめられていたことからすれば180度の転換ともいえる。しかし,社会に出て最初に出会った仕事がチョウセンハマグリの研究(プロジェクトとしての課題は途中で消えたが)であったことには奇妙な因縁を感じたものだ。というのは高校時代,生物部の部活としてハマグリの解剖をやろうということになり,魚屋に材料を頼んだところ,大阪中央市場から買ってきてくれたのが形の好いチョウセンハマグリであり,アサリやシジミくらいしか知らなかった都会者にとっては信じられないくらい殻が厚く大きかったこと,指導教官が急用で帰ってしまったのを幸いに,その大半をストーブの上で焼ハマグリにして腹に納めたという楽しい思い出があったからである。ともあれ生物学をいくらかかじったとはいえ生きた二枚貝を扱うというのはこれまでに経験しなかったことなので,イチから出直すつもりでやらねばならないと覚悟を決めたことであった。
 ホタテガイ養殖が行なわれるようになるまでは,二枚貝の養殖といえばカキ養殖やアコヤガイ養殖が思い浮ぶ程対象種は限られていたし,古くから養殖経営も行なわれてきた。昭和45年頃ムツ湾でホタテガイの天然採苗技法が確立され,以後そこを種苗基地として三陸沿岸でも養殖が行なわれるようになった。また天然採苗によって得られる大量の種苗を使って北海道沿岸では放流による資源回復,新漁場造成の試みがなされている。昭和50年になって,周知のように環境収容力を越える過密植が原因の大量へい死や稚貝の不健全化問題が発生し,生産量は激減したが,その技術的発展は目ざましく 200海里時代にはいってからの栽培漁業の目玉となった。
 二枚貝の生産は養殖によるだけでなく,浅海での採捕漁業によってもその多くがになわれている。アサリはカキに次いで生産量が多く12万トン前後が毎年漁獲されている。浜名湖,三河湾,有明海が主産地で,天然種苗が各地に移出されている。さしみや鮨だねとして珍重されるホッキガイやアカガイも少ないとはいえ数千トンの漁獲量が維持されている。
 資源を積極的に増やせないまでも,合理的な漁獲制度によって限られた資源を適切に管理し,より高い収益をあげる試みもなされている。福島県相馬市の磯部は昔から八戸と共に東北地方のホッキガイの産地として有名であるが,当地の漁協では数年前から経営を協業化した。資源量と単価の変動をにらみながら計画的に毎日の操業を行なうことによって労働時間が大巾に縮小し,収入が倍近く増えたということである。毎年比較的安定した稚貝の発生があるという恵まれた特殊的な漁場なのであるが,明るい展望の感じられるケースである。
 しかし一般には改めて言うまでもなく二枚貝の漁業環境は決して良いものではない。水質・底質の悪化,埋立てによる海岸地形の変化や漁場の消滅等が原因となって,乱獲や再生産の年変動を内に含みながら,全体としては資源はじり貧の傾向を示している。「沿岸漁業の見直し」が世論となっている時代であり,二枚貝生産の環境悪変が放置されてよいはずはない。汚染防止・浄化や漁場の整備といった行政的施策が基本的に必要であろうが,養殖対象種を増やしたり,資源の再生産の変動を小さくすること,枯渇した資涙の回復を計るといった技術的方策が経営の安定と生産量の拡大にとって必要であり,そこに我々研究者の役割があると思う。
 二枚貝の増養殖研究として種苗生産技法の開発,すでに経営形態の完成した養殖魚種についての品種改良,漁場老化の防止・回復等のこれまでの課題に加えて貝毒問題,大量へい死対策,漁場の生産力・収容能力の判定等が新しく提起されている。どれも難しい課題のように思える。
 栽培漁業にとっては,種苗生産は必要条件であるが,この問題に限ってみても,技法の確立しているのはわずかに三種くらいなものである。水試や栽培センターの技術者の努力によってアカガイやハマグリの人工的種苗生産が出来たと言われているけれども,まだまだ不確定要因が多く含まれているように見受けられるし,地播き方式をとってこれらの種苗を効果の得られるように放流するとなれば,漁場の生物生産の機構についての知識がもっと必要となるだろう。
 冒頭述べた「浅海別枠」に加わった際,漁場開発に必要な科学的基盤があまりにも小さく,基礎研究の積上げがもっと必要であることを痛感したことが一見漁業実践とは縁遠い様にみえる「生物リズム」の研究に着手した理由である。
 生物リズムへの科学的対応がいつ頃開始されたかは詳しくは判らないが,前世紀末にすでに人間の「PSIリズム」の知識(身体・感情・知能の働き具合にそれぞれ周期の異なるリズムがあって,たとえば三者が谷の位相で重なり合う時は要注意−しかしその事の真憑性は不確かである)が実生活面にとり入れられていたというから相当古いと思われる。生物の体内時計についてはミツバチの学習実験や仲間への情報伝達方法,鳥のわたりの方位決定,さらにはゴキブリの体内時計のありかの探究とかの話でよく知られている。日周リズム(あるいはサーカディアンリズム)の知識はAsHOFFやPITTENDRIGHといった著名な学者やその弟子達によって積上げられてきた。
 海の生物についてよく知られているリズムはゴカイやイソメの類の産卵時の群泳行動(いわゆるバチ現象)にみられる月周リズムやクサフグやグルニオン(カリフォルニア産のトウゴロウイワシ科の小魚)の産卵周期としての半月リズムである。余談めくが,漁村のような浜辺で生活している人達の間では現今でも,子供の生まれる時刻が潮の干満と関係するとみてか,陣痛が生じても潮の状態からしてまだ時間があるとかもう間がないとかの会話が交されるということである。これはギリシャ時代のアリストテレスやキケロがウニの生殖巣やカキの肉重量の変化を月令と関係づけたのに似た科学性に乏しい話だが,婦人の生理周期が月の公転周期に近いことからするとあながら非化学的と決めつけるわけにはいかない問題である。
 潮間帯付近で生活している生物は日周変化と潮汐変化の両環境要素の影響下にあり,それに対応する二種類のリズムをもっていると古くELTONによって述べられている。二枚貝については森主一氏によってとりあげられたチヨノハナガイの潮律深浅移動,カキの貝殻運動にみられる日周性(HOPKINS)やイガイのろ過水量の潮汐対応関係(RAO),またカキやビノスガイ類の周期の長いリズム(BROWN等)の報告などによって,日周リズムと共に潮汐リズムの存在が明らかにされ,環境要素としての潮汐の意義が問題にされようとしている。
 海の生物のリズム問題のとり扱いの困難さは,リズム性をもつ(と思われる)生理・生態事象を長期的に測定することが陸上の生物に比べてむずかしいことの他に,周期的に変化する環境要素が複数存在することによると思われる。環境からの刺激に直接反応するような外発性(他律性)のリズムに始まり,寸秒の狂いのない体内時計のような内発性(自待的)のリズムに至るリズム機構の進化過程が考えられているわけであるが,多くの生物が示すサーカディアン(あるいはサーカタイダル)リズムは自律性と他律性の中間的な性格をもっていて,これもリズム問題を扱う際のむずかしさの一因となっている。  複数のリズム機構が生物体内にあるとすれば,各リズムとそれに対応する環境要素との関係,およびリズム機構間の関係を明らかにすればよいわけであると頭の中では簡単に考えられるがそれを実行するのは容易ではない。主に端脚類の活動リズムを研究したPalmerは日周リズムと潮汐リズムの位相が一致している間は潮汐対応の活動パターンが表現されるが,位相のずれが大きくなる(1日潮の潮汐リズムの周期が日周リズムのそれよりも1時間たらず長いので)と何らかの形で位相を日周リズムに合わせるように調整が行なわれるといっている。筆者も二・三の潜砂性二枚貝の貝類運動を調べたところ同じ様な印象を受けている。
 潮汐関係のリズムの研究は戦前から行なわれかなりの業績も積上げられてきたが,研究史の過程上では出発点に近い位置にあると思われる。上述のような曖昧な説明しか今の所は出来ないが,それがリズム問題の難しさの反映であると受けとって戴くとありがたい。しかしこの問題は単に学問的興味だけではなく,産業上も重要であるとの先達の言の正しさが確信されるゆえに,さらに研究を進展させその二枚貝漁業における実践的意義を明らかにすべく頑張るつもりである。
(増殖部魚介類研究室)

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