海に関する私の研究成果

木村喜之助



 私は昭和2年に東京大学を卒業し、直ちに深川区越中島の水産講習所へ入所、次いで 昭和4年には同所内の水産試験場へ転じ、その水産試験場は昭和7年に京橋区月島へ移転した。 その後はこの月島で戦争期間中も研究に従事したが、昭和24年で廃止となり、同年4月からは 全国に8個所の水産研究所が設置されることになった。そして私は東北海区水産研究所を選び、 14年間の歳月を多数の研究員と共に暮らしたかが、とれから東北大学農学部、仙台大学を通過して、 昭和45年からは自宅の研究室へ閉じ込もり、木村独自の海洋研究を実施した。
 先ず三陸・常磐地方で沿岸地形が東へ突出した所に潮影観測点を3個所選んだ。即ち宮城県 唐桑(昭和45年8月25日から観測実施),宮城県江の島(46年6月1日から),福島県大熊(46年6月14日から)であるが、観測要領としては適当な高台を選び、その地に 定住している方にお願いして、午前・午後各1回、海面を地形に沿うて北から南へ数個所撮影して いただき、フィルムが1本全部撮影終了した時、そのフィルムを私の手許へ返送してもらい、 私の方でフィルムの現像・焼付を行った。
 更に水産庁の御世話で昭和46年〜49年の4カ年は、襟裳岬・尻屋埼・とどが埼・塩屋埼の 4燈台から毎日朝・夕1回ずつ、北から南への順序で(但し襟裳岬は東から西へ)海面を撮影して いただく事が出来たので、之等を綜合して、東北海区の近海からその沖合を(北海道の南部から 常磐水域迄)広範囲に、海水の毎日の動き、1年を通して水塊の近海・沖合の移動、更に長年に 亘っての海水の移動(北上・南下)を知ることが出来た。
 ここで興味のあるのは、東北海区の暖水塊の北上・南下の現象である。即ち例年見られる 暖水塊は黒潮から分離した後しばらくの間は、暖水塊の表面から300乃至500メートルの 下層あたり迄その形を維持しており、年2回発生する。その1個は必ず春の発生で、他の1個は 夏・秋・冬のいずれかに発生する。以上の外に6年毎に出現する超大型暖水塊がある。普通の 暖水塊は100メートル層の断面が3〜5面(1面は緯度・経度共に1度のものの面積)で あるのに対し、超大型暖水塊は100メートル層の断面が6,7面程度に広く、1,000 メートル以深の層に於いても尚高度部分がかなり広く、黒潮前線の南側に存在する最高水温帯の 上下各層の水温分布と一致していることが判った。
 尚超大型暖水塊は春には形成されず、或年夏に形成されると次は6年後の秋に、更に6年を 経て冬に、そしてその次は夏という様に、18年で、1循環をする。超大型暖水塊は或時期には 梢北方に、又或時期には、梢南方で形成されるが、一般の暖水塊の様に、北上した時は、38°N 方面で分離したり、又或時は34.5°N方面迄南下したりするのに比べると、南北の移動は 小さいとも考えられる。但し1975〜1980年の期間には黒潮の北上が激しくて、超大型 暖水塊の分離が例年ならば昭和53年7月と推定されたのに、現在には、1年遅れて昭和54年 10月に分離したが、この超大型暖水塊の面積も亦甚だ大きく、9面程度のものになった。
 之等の研究・取纏めは昭和55年6月17日の私の喜寿祝賀会をしていただいた際に、 記念講演会として2時間に亘り、全国からお集まりの方々にお聴きいただき、誠に嬉しかった。 それから凡そ1年後の昭和56年5月13日には宮内省からの招待によって参内し、勲3等旭日 中綬章が授与された。之は私の長年の海洋研究・努力を賞せられたものと考える。
 昭和24年に東北海区水産研究所が塩釜港の北側の人里離れた所に建設されたが、落成後 間も無い昭和30年4月に天皇陛下・皇后陛下の御来訪を忝くし、長時間に亘り各室を御巡視、 色々御質問をいただいて、所員一同感激したのであったが、それから26年を経過して、此の度は 私が皇居へ参内する事になったのである。
元 所長
参考写真
木村先生ご夫妻と叙勲祝賀に集まった弟子達。

知人との談笑

Kinosuke Kimura

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