塩釜直後の訪米−転出の辞に代えて

林 繁一



 1949年は北太平洋の両側で水産資源調査が組織化された年である。それから算えて 32回目の米国マグロ研究集会は、「西太平洋のカツオ・マグロ資源」を主な課題の一つとして、 5月17日から4日間、ロスアンゼルス郊外の山中にあるカリホルニア大学会議センターで開かれた。 米国側は、東北区水産研究所の参加を強く希望しており、昨年末に資源部の要請を受けて出席する ことになった。
 その後南西海区水産研究所に移ることになったが、水産庁研究部、両水産研究所、農林水産 技術会議事務局の御理解によって、約20年ぶりに南カリホルニアを訪れることになった。その 準備のために休暇をとって新浜町の庁舎を訪れた際、倉田室長から東北水研ニュースの貴重な 紙面を割くとのお話があり、お引受けした。ところが帰国後原稿用紙に向かっても筆は進まない。 塩釜での生活が4年には充たない短い期間だったからではない。それは30年をこえる研究生活の 中で、もっとも充実感のあった時期の一つである。しかし時としてこのようなことは起きるのである。 かつて転出の辞を頂けなかった方々のお気持ちが改めて理解される。それならばむしろ今年のカツオ 長期予報会議には伝えなかった上記研究集会での感想を記した方が役に立ちそうである。
 一つは知人の常に変らぬ親切さである。これは塩釜を訪れた外国の研究者に対して東北区 水産研究所員が尽くした好意の反映である。その中には早朝、深夜の送迎もあるし、またほとんど 一人で食事をさせずその上払いはいつも「ここはアメリカ」となったということもある。最新の 缶詰工場の訪問もあったし、漁獲統計、調査資料の収集や交換、非公式な研究集会の提案といった 打明けた話もあった。種々の制約から消極的な返事しかできなかったけれども、適当な時期には 受けて立たざるをえないであろう。
 つぎに外国人の神経の使い方である。本研究集会はウナー漁業研究部長を初め3人のインド ネシヤ研究者を招待している。その一方で4月にジャカルタであったこの人たちからはあの際 良い論文を提供して貰った御礼といって上等な更紗を頂いて恐縮した。アメリカ人もインド ネシヤ人も交流に積極的であるように見える。裏返すとわれわれは経済的に直接役立つ交際 しかしていないと映るかも知れない。
 水産海洋学誕生の地の一つとなったあの広く豊かな海は、海外でも通用する水産の技術を 育み、また外国船の漁場ともなっている。そのいみで、内外で通用する研究の水準を維持し、さらに 発展されるよう期待し、希望している次第である。
前 企画連絡室長  南西海区水産研究所 企画連絡室長

Shigeichi Hayashi

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