研究の見直し

林 繁一



 1980年の日ソ漁業委員会とそれに引続く日ソ・ソ日漁業協議は11月17日から東京で開かれ,75万トンと65万トンという漁獲割当量を交換して,12月6日に終了した。異例のスピードだったという。その陰には関係者の並々ならぬ努力があったし,サンマ・サバ等の資源評価をめぐっては長年にわたる協同研究の成果が反映したことはいう迄もないが,やはり世界の2大漁業国をめぐる時代の流れを感ぜずにはいられない。因みに1969年の「水産に関する試験研究の段階目標」で取り上げられた国際比較をみると,1967年の漁業生産ではカタクチイワシが激増したペルーを別とすれば,遠洋へ進出していった日本,ソ連が,第2,3位に続いている。また1965年の流通統計を引用して日本は総輸出額の13%を占める最大の水産物輸出国であり,輸入額は増加の兆しを見せてはいるが,米,英等に次いで第6位,総額の4%に過ぎないと記されている。これに対して1978年のFAO水産統計年報によると,日ソ両国の生産量はいぜん世界第1,2位であるが日本では停滞,ソ連では減少に転じてさえいる。日本は生産量こそ維持しているものの,金額で世界の25%を占める最大の輸入国となり,逆に輸出額はカナダ,米国,ノルウェーよりも少なく,シェアーも7%を下廻った。つまり日ソ両国ともその大きな漁船隊を持っているにもかかわらず生産は絶対量において,又は需要に対して相対的に低下したといえそうである。これがあるいは許可枠の決定時期を早めたのかも知れない。
 国際的な様変わりは,沿岸漁業の分野でも著しい。東京魚市場の生ウニの価格から,北海道,東北のサケの増殖事業に至る迄日本沿岸の動きが国際的な関心を惹いている。塩釜を訪れる海外からの視察団や研修生に限ってみても,最近は増殖関係者が非常に目立つ。その中には日本市場を考えて恰も先進地訪問といった場合も少なくないけれども,基本的には元来普遍的である科学,技術が進めばそれに対する社会的関心が高まり人が集ってくるという当然の成り行きの結果の反映である。
 ここでは2つの例にとどめたけれども,水産研究をめぐる情勢が変わり,しかもそれに対する期待が高まっていることは事実である。何事によらず10年も経てば情勢が違ってくるのは当然であるが高度成長から安定成長へという激変に加えて石油危機,200海里水域設定等々大きな変革があれば尚更である。所で社会の要請が急になる、と,とかくその場凌ぎの答えとか,他の分野で開発された観察なり整理なりの方法を追い求めてしまう危険がないとはいえない。しかし研究が高度化し研究に対する期待が大きくなる程,その方法と適用をめぐる考え方の整理の当否によって,成果が左右される度合が一層はっきりしてくると思う。この点を着実に検討するためにまず我々の廻りで進められている個々の研究課題を見つめ直したいと考えている。
(企画連絡室長)

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