第12回日ソ・サンマ及びサバ協同研究会議を顧みて

福島信一



 去る10月16日から19日にかけて,宮城県信用漁業組合塩釜支所会議室(19日のみは松島町,仙松閣)において,第12回日ソ・サンマ及びサバ協同研究会議が開かれた。その内容は近く同会議経過報告として発表されるが,ここではこのような報告に載らない点を二,三書き留めておきたい。
 先ず今回の会議は7日間(10月14日成田空港着,同21日成田発)という短かい会期に制約された。この間,日本側も神経を使ったが,2日は東京での行事にとられたソ連代表団は本当にお疲れだったことであろう。時期的にも一応第11回会議で約束された範囲内には収まったものの,先方の開催希望が7月末には11月10日以降であったのが,9月になって急に10月中旬と早まったりして,これには日ソ双方の研究者とも「忙しかった」と苦笑したところである。
 それでも8月に予定していた議題を一応消化し得たのは,やはり研究者の情熱というべきものであろう。 とくに将来の調査研究の協力について相談した19日の会議は,エクスカーションを兼ねて松島湾を一望の下に収める高台の保養所で開いたのであるが,前日までの好天とうって変わり,折りしも来襲した我が国の気象観測史上最大といわれる台風20号によって,「日本の自然のきびしさ」を実感させる結果となった。そのあげく同日の会議が終わり,今回の会合を閉会したのは20日午前2時過ぎという,これまた本協同研究会議の歴史における記録を作ったのであった。
 会議の内容・結果としては,従来同様に日ソ双方の研究結果を報告し,情報を交換し,さらに今後は多年の懸案となっていた協同乗船調査へ一歩を踏み出すという成果もあった。また会議ばかりでなく,前後3回の交歓会を含めて漁業研究のみでなく,幅広い日ソ親善の実をあげることもできた。東北水研における職員との交流会はとくに印象的で好評であったようである。
 しかし,それと同時に200海里時代も大きな陰影を落としていたことは,日ソ双方の代表団長が挨拶の中で述べていた通りである。そのような事情があるからこそ,本協同研究会議は一層その重要性を増すものである。少なくとも科学上の信頼感と連帯感とが,社会的,経済的事情からとかく困難になり勝ちな国際漁業関係の緊張緩和に一定の役割りを果たしてきたことは,過去の歴史が示すところである。
 この事情を考えると,今回の会合に対する日本側代表の準備には不充分な点があったと反省せざるを得ない。定められた範囲内の調査研究結果の交換こそが,当事者間の信頼感を培う基盤である。そのための条件を整備し,維持してゆくためには,研究・行政・業界の3者間で,十分な相互理解と努力が払われることが必要である。共通の理解を作り上げるために研究側としては,時機を失せず具体的な提言をするべきであると考える。今後はその点については十分に留意してゆきたい。
 本協同研究会議も回を重ね,科学調査船への相互乗船(1966年秋,ソ連側は都合により来日せず)を含めれば実に13年になる。毎回のことであるが,本研究会議を進めるに当たって,水産庁研究部他各位の御努力に対して敬意を表する。また全国さんま漁業協会,全国まき網漁業協同組合その他の業界からは,会議を成功に導くための御協力を得た。最後に東北区水産研究所庶務課の事務局として陰の力があったことを申し添える。
(資源部資源第1研究室長)

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