インドネシア共和国浅海増養殖開発プロジェクトのマスタープラン作成に係る調査に参加して

遊佐多津雄



 はじめに
 インドネシア政府は国民への動物蛋白質の供給,都市人口の分散,或は失業者対策のために沿岸浅海の開発計画の作成を日本政府に対し要請している。この要請にもとづき1975年に荒川好滿,岡田寿博両氏が,翌年には加福竹一郎氏以下4名の調査団が日本国際協力事業団派遣専門家として調査に当った。
 今回の調査は第3回目である。前調査は雨季間の調査であり乾季の調査結果をも総合してインドネシアに適合した浅海増養殖開発の適種や,開発地域,更には方法についての計画立案作成のためであった。
 調査期間は6ヶ月(1977年8月11日より昨春2月10日)の短期でインドネシア政府水産総局に派遣された。この調査結果の報告はすでに関係方面に報告したのでいずれ印刷されるであろうから,こゝでは情報,雑感或は先の報告後関係文献で得た知見について述べてみたい。
 派遣期間中西ドイツ,カナダ,英国,米国からの派遣,国際機関の世界銀行,又はFAO所属の水産関係研究者や日本政府派遣の各分野の専門家の方々がインドネシアの開発をどう考えているかについても知見を深めるために機会あるごとに意見を聞きデスカッション出来たことは筆者にとって真に有意義であったと思う。
 殊に我が国と著しく違う自然環境について見聞を広め得たことは筆者の今後の研究に役立つことであろう。

1.インドネシアの社会経済
 羽田から約8時間(シンガポール経由)シンガポールで大部分の乗客が降りたので機内は淋しい程だった。シンガポールを出発して30分もすると赤道を越えるアナウンスがあり積乱雲をかすめながら上昇して雲上に出たかと思うと間もなく又高度を下げるとジャカルタ市街が見えて来て予想した割りに高層ビルが多かった(写真1
 飛行場からすぐ高速道路に海外漁業協力財団派遣沢田俊三水産利用加工専門家の車は入った。バナナとヤシがなければ日本の風景と変らないような気がした。然し空は真青で実にきれいだ。戦時中南方航空気象予報協力勤務で毎日天気図と空を眺めた筆者にとっては懐しさをも感じたが,矢張り暑かった。
 インドネシアの旅行案内によるとホテルなら英語が通じるというが一流ホテルでもカウンターの一部の職員だけという程度であって先ず言葉が通じないのには閉口したが,寧ろ若い学生連中の方が英語を話すようだ。
 インドネシアの首都ジャカルタの人口は約600万と云うが,樹木が多く面積も広いせいか,華僑街や,裏町に入らなければそれ程人口の密集感はない。
 総人口はほゞ我が国と等しいが,約5倍の面積でしかもジャワ,スマトラ,ボルネオ,スラバシー島等や,更には多くの離島,サンゴ礁が点在していて全く広いと痛感した次第である(第1図)。
 この広い国の大都市特にジャワ島に極端な人口の集中化が見られる。国民人口の増加率は年間2〜3%と報告されているが,都会や地方の家族構成を見るともっと高いようであるし,一昨年の米作不振もあって農村から都市への人口流入があり増々人口都市集中化はインドネシアにとっても大きな課題であるようだ。
 インドネシア国民の約60%が農林水産業者であり政府の年次計画の中で農林水産業の発展に最大の力を注ぐよう計画されている。国内総生産額の約45%(1971)を占め大きな役割りをはたしていたが,矢張り石油生産の増加で75年には農林水産業の増産があるにも拘らず,国内総生産額の中で石油生産の増産が大きくなったので農林水産業の国内総生産額の中で占める割合は33%と減少している。
 一方工業化の政策をも進めているが,種々解決しなくてはならない問題が多く工業生産は発展していない。先ず資本源の問題も大きいが,技術,科学者の不足が大きな課題でこれも解決しなければならないであろう。更にインドネシアの工業化の推進に大きな障害となっていると思われるのは風俗,習慣の改善も必要であろう。それには先ず教育機関の充実にあるのではなかろうか。このように考えると工業化は未だ先のことゝなりそうだ,従って農林水産業の開発をインドネシアの社会経済に適合した,インドネシア方式による開発を推進する必要があるし,重要な意義があるものと考えられる。
 農林水産業の中では米の生産増大が最も重要な課題であろう。インドネシアは世界の米輸出量の約60%を輸入している現状である。乾季の4月から10月の約半年間は殆んど雨が降らない。ジャワ島の南岸に沿って2000m級の山が連なっている山岳地帯に入ると青々とした三毛作の出来る稲作地帯がある(写真2)。
 然し残念ながら山岳地帯から流れる河川水は途中で稲作に利用されて平野部までは流れていないから地割れした田圃が雨季を待っている風景は実におしいものだと痛感した。河川水量のコントロールは稲作ばかりではなく浅海開発にとっても非常に重要であることは,乾季中でも河川の流入水があれば浅海生物が生息出来るという浅海域を観察して痛感させられ,インドネシアの河川水のコントロールが社会経済の発展に大きな役割りをはたすことは論議をまつまでもないだろう。

2.インドネシアの物価
 インドネシア政府は物価安定政策に努めているが所謂石油ショックや,1972年の米作不振,或は一昨年,昨年と続いた稲作,病虫害による不作,更には輸入の全面禁止の政策強化等の諸要因によって物価が上昇し続けていて不安定な状勢にあると思われる。
 主食の米は1kg当り約70円だから日本の1/4〜1/5と安いし,食料品は日本に比べ全く安く1/5程度だろう。
 失業率は6%台と云われるが,道路上での新聞,タバコ,アイスクリーム等を携えて販売している様子や街頭の若者達の集団を見ると浅海開発の必要性を再認識させられる。

3.教育関係
 教育関係では小学校以上の就学者は国民の約30%とのことで,小学校は二部授業をしていてジャカルタ市内でも全く不足していると云う。日本人学絞はジャカルタ市に小学校から中学校まであって一年生3クラス上級に行く程クラスの数が少なくて中学三年生になると数人,地方には二つの分校があり東ジャワのスラバヤの分校と,確かスマトラ島のメダンだったかと思うが,いずれも5〜6名の生徒がいる。インドネシアは約1万校の小学校を増設し二部教育の解消或は就学率の向上等を進めている。今後の教育機関の拡充を願っている。

4.治安状態
 治安状態はまあまあと云った具合かも知れないが,矢張りジャカルタ市内の盛り場は悪い。ジャカルタ市外に出ると人柄も素朴で,平穏な感じを受ける。市内バス,タクシー,或は小型乗合三輪車等が交通機関の主体であるが,オートバイの荷台に乗せるアルバイトもある。之等の交通機関の中で市内バスの料金は安く10円程度である。(乗り換え券はないが)然し我々には言語の障害があって利用するのは難しい。何處の国に行っても盛場は治安が悪いこともある。

5.労働賃金
 労働賃金は全く安い。水産関係の40歳台の研究者で月給4〜5万円だそうで,一般労働者が日給260円程度と云うが,大部分の人達は副業をもって収入をあげないと人並な生活が出来ないとのことである。食料品が安いのでなんとかなるのだろうが,家庭電気器具はこの労動賃金では準備出来ないのが普通で冷蔵庫を持っている家庭は殆どない。沿岸漁業者の中でも離島のサンゴ礁で生活している人達は一般労働者より収入が多く1日500〜1,000円程度と見られる。その現われとも見られるのはトランジスターラジオを持っている漁業者が多いし,体格もよく痩せてはいない。無論彼等は魚類や,介類等の動物蛋白質を摂取する食生活によるのであろうが,兎に角収入が,稲作農家より多いと云うことには間違いはないであろう。

6.インドネシアの風俗,習情
 インドネシアの首都ジャカルタ市にある国立博物舘を訪ねるとインドネシアの実に長い歴史が,館内に並べられた大小さまざまな石像の間で,静かでひやっと感ずる室内の中や,原始人の頭骨ピテカントロプスを見て今更ながら歴史の古い国であることを再認識させられる。この博物館も第二次世界大戦前オランダの300年にわたる植民地時代に設立されたもので各地にオランダ風の建物があり印象に残っている。歴史,或は宗教がつくりだしている習慣はなかなか理解出来ないが,矢張り宗教についての知識が必要であることを痛感した次第である。
 尚,我が国とは全く違う気侯が背景となっている習慣があることは云うまでもない。早朝4時頃になるとお祈りの拡声機が鳴り出す,間もなく各家庭から一斉にお祈りの声がウアーと流れる。お祈りの内容についてカウンターパート(調査中一切の世話をするインドネシア側の研究者)に聞いて見たが彼も判らないと云う。兎に角一度は毎朝このお祈りで眼が覚めるが,各家庭の子供や病人はどうしているのだろうかと余計なことまで考えたりしたものだ。
 然し,このお祈りも次第に慣れてしまう。筆者は朝4時に起されるから暑くならないうらにと起床して資料の整理や,文献をひっくり返す生活が始まる。朝8時30分頃にホテルを出るまでに4〜5時間の余裕がある。朝日が昇り始めると気温はぐんぐん上がり始めるが,全く短時間のうちに35℃程度になってしまう。焼きつけるような暑さだ,ジャカルタ市内の交通状況はこれまたものすごい。トラック,バス,普通自動車,バイク,スクーターから荷車,自転車までが先を争って走る。勿論信号機があり横断歩道もあるが,何處でも勝手に横断するから全くごった返 しという状況で,スピード制限は何處にもないから先が空いていれば我れ先にとスピードを出す。のんびりした彼等の性格からはとても予想もつかない反面である。何回となく事故を目撃したが矢張り物見高いのか事故現場を取り囲んで暑い太陽を浴びながらの見物である。
 官庁は午後2時,銀行は午後1時まで,金曜はお祈りの日で午前11時迄である。官庁は午後1時半ともなると帰る人が多く2時になる頃には人影が少なくなる。確かに朝4時起きして暑い半日を過せば汗を流して休みたくなるのも無理ではないだろう。マーケットや,商店等は暑い日中,店を閉めるのが多いが,華僑が経営している店は殆ど閉めないし,商品に価額が記入してあるから経営者がわかる。華僑経営者の店には缶詰類が比較的多いようだった。
 宗教の教えによると東部ジャワでは豚肉を食べないし,西部ジャワ方面では牛肉を食べない習慣があるので,レストランや食堂での注文は仲々面倒である。両宗教共に一般的にはビール,ウイスキーを口にしないのが普通であるし,煙草も口にしない教えだそうだ。モスリンと云って8月の半ばから1ヶ月の絶食の期間があるが,日中だけで食物は無論のこと水,煙草等一切口にしない。若者の中でも教育を受けている学生や,青年のごく一部の人達は矢張り絶食期間でも飲物を飲んだり,煙草を手にしているとも聞いた。1年を通じて最も暑い季節にインドネシアに行ったわけだが,約2ケ月半は全然雨が降らずの暑い晴天続きだった。例年になく乾季が1ヶ月程遅れたとは云うものの毎日の晴天で調査には最良だが,調査補助のインドネシア側の人達にとっては水も飲めないので,絶食の1ヶ月間の炎天下の調査は困難であった。従って十分インドネシアの様子がわからないと研究開発計画も実施出来ないということを知らされた。
 日本では考えられないことだがキャンセルと云うのは乗客だけが塔乗予定航空機への塔乗を解約するものと考えていると大きなミスをして終うことがあるから注意する必要がある。航空機側のキャンセルは主に乗客が少ない時にキャンセルするようで筆者が今度の調査で経験したのはインドネシア,フイリッピン航空機のキャンセルで予定到着日の翌日到着ということもあった。

7.インドネシア浅海増養殖開発の展望
 地球上の浅海生物は熱帯域に向って種類数が多くなり,反面量的には各種夫々少なくなるという講義を受けたことがあるが,離島のサンゴ礁を見ると,小さな島の周辺には数多い種類の魚類,海藻類,甲殻類,軟体類等で複雑な浅海生物社会を構成している。成長が速く,北部日本の浅海で2〜3年もしないと成体にならないが,インドネシアのような熱帯域では1ヶ年で成体となり産卵に加わる種類が多いようである。然し,寿命は短く1ヶ年である。
 ジャワ島北岸のジャワ海に面し,多くの湾や,入江があって一見増養殖に適しているようだが,生物社会は全く貧弱で,若し仮りに生息しているとしても単純な浅海生物社会であり,しかも量的には大きな変動があるらしい。この原因としては乾季には塩分が高く40‰Sを超え,雨季には河川からの流入量が多く淡水になるという,激しい塩分変化が浅海生物社会構成に大きく影響しているものと考えられ,更に,河水は泥水で透明度10cmもないという浮泥が大きく影響しているであろう。
 以上のような厳しい環境の沿岸が多いが,離島のように降雨の影響の少ない所では浅海開発研究の効果を挙げることが割合容易であろう。沿岸域での養殖池で河川,或は地下水を利用して池水の塩分濃度を調節すれば年間少なくとも従来1度の養殖が3回繰り返すことが出来る。従って増殖と養殖を組み合せて推進すれば非常に有望であると考えられる。尚,養殖から近い将来増殖に移行して天然の生産力を十分に活用することが,インドネシア浅海開発の方向であることを痛感した次第である。


A.魚類養殖と増殖
 サンゴ礁調査での知見からわかったことはアイゴ類が優先していて,中でもとくに多いSiganus canaliculatus PARK写真3)は非常に美味で日本のタイとそっくりな味がする。東南アジアの各国ばかりかハワイ,或はグァム,パラオ諸島等熱帯域ではポピュラーな魚種であり,関係国研究者の研究グループが1972年に発足している。本種の食性は藻食性であり,成長が速く1ヶ年で体長15p程の成魚となり産卵する。塩分水温の変化にもよく適応し,フイリッピンではサバヒーとの混養が小規模ではあるが伝承養殖業として成立している。
 尚,養魚池での養魚で成熟産卵が容易に出来るし,人工餌料をもよく攝取成長する等の特性は養殖の対象種として適合している。
 サンゴ礁の環境は,周年平穏で潮流もゆるやかに流れ,海水交換も良好であって,水深も深くないから小割り生簀の設置は容易である(写真45)。
 産卵は雨季の末期近くの3〜4月で稚魚の群泳が産卵期中から観察されると云う。然しS.canaliculatusかどうかは明瞭でないにしても,卵発生ふ化,成長が速いし,量的にも多いのでS.canaliculatusかも知れない。この稚魚の種査定は重要なことではあるが,筆者が生活史の知見を環境との関連で検討した結果は第2図で雨季中の3〜4月にサンゴ礁上で産卵後約1日でふ化するが,この時期からサンゴ礁上を群泳する稚魚期(体長2〜3p)までのわずか20〜30日間に大きな自然の減粍があることが予測される。
 第1の理由としてはアイゴはサンゴ礁,岩礁地帯以外には生息していないこと,第2の理由はサンゴ礁の優先種で,一尾孕卵数30〜50万粒と多量に産卵するが,その割合に群泳稚魚が少ないこと,第3にはサンゴ礁上の流れが略々一定方向でふ化稚魚の遊泳力よりも強く,サンゴ礁が狭いので,サンゴ礁外に流し出され大きな減耗が起きるであろう。然し,サンゴ礁上を自由に遊泳する稚魚はサンゴ礁アイゴ資源の補充群であってこのステージの稚魚を採捕して養魚種苗に使うことは得策でないと考えられる。従って天然の種苗を採捕して養魚種苗とする場合にはサンゴ礁外に流出する時期に採捕することゝ,2〜3cmまでの飼育の方法を探求する必要がある。尚最近の報告によると小割り養魚で成熟産卵,或は人工ふ化稚魚の飼育が差程困難でないと云う報告を入手したが,インドネシアの諸状況からしても人工種苗生産技術の開発研究から開始することは得策ではない。
 先にも述べたようにサンゴ礁から流れ出て減耗するふ化稚魚を採捕し放流用の種苗を飼育する開発研究を推進して資源増大の増殖を実施すべきであると考えられる。尚,増殖を推進するに当たり,群集生態学の観点に立ち,更に漁業経営の側面をも考慮に入れた開発研究計画に沿って進めることがインドネシアにとって適した進め方であると思う。
ハタフエダイ種もサンゴ礁や,岩礁地帯に可成り多く生息している。之等は魚食性魚種で養魚の場合には当然餌料をどのように供給するかということを考えなければならない。一般には安い雑魚や,イワシ,アジ等の漁獲物,更にはペレット等を餌料として検討することであろうが,熱帯域ではテラピヤ類の蕃殖,成長が真に良好であるから餌料とするために養魚して餌料自給の方法が可能であろう。
 従って今後之等の魚種についての種の査定,分布・移動,産卵・成長,環境についての生活史の究明と減耗期の解明によって増養殖の適種の選定を漁業経営面をも考慮に入れて検討することが,インドネシアの魚類開発の課題であろう。

B.貝類の増殖
 インドネシアでは,アカガイの一種ナンバンハイガイAnadara spp.写真8)とツキヒガイAmusium spp.とが主として東部ジャワのマドラ海峡に濃密に分布していると見られるが,現在は約400隻の帆船でスラバヤ附近で操業しているに過ぎない。スラバヤからマドラ海峡南岸浅瀬に沿ってナンバンハイガイの稚貝が分布している状況から,沖合には可成りの資源が存在するであろうと予測される。従って,ナンバンハイガイ成貝の分布を確認して,採捕計画を立案すると共に移殖適地の選定と,沿岸浅海の稚貝の移殖技術の開発,即ち,何時,何處へ,どの大きさの稚貝を,或はどの位の量を移殖するかを群集生態学的立場で開発研究を推進することによって大きな期待がもてる。
 然しながら,マドラ海峡に流入する各河川の流量変動が,介類資源の変動に大きな影響を与えていると考えられる。クラゲ類の大量発生現象を聞き取ったし,マドラ海峡以外の浅海ではあるが,貝類分布の様式が河川水の流入と沖合海水の接岸から制約されていると考察される例等からマドラ海峡介類資源の変動が河川水流量調整がない限りでは,大なり小なりの資源変動が起きるであろうし,十分考慮に入れて開発調査を進める必要があろう。

C.エビ類の増養殖
 インドネシアのWhite prawnの天然種苗に関する限りでは決して不足しているとは考えられない。但しTiger prawnについては未調査の水域もあるが,養殖に使う天然種苗は十分と云う状況ではないらしい。然し,インドネシアのエビ養殖は未だ傅承技術を脱していないから,雨季間年1回の養殖であり生存率が極めて低い。このような状況のもとでエビ養殖池内での生存率向上は差程困難ではないし,造池法の改繕で年2〜3回の養殖も十分可能であり,エビ養殖生産の増加は非常に見通しが明るく,企業化試験段階に到達しているものと思われる。

D.海産観賞魚
 今回のサンゴ礁調査で海産観賞魚が豊富に生息していることがわかったし,サンゴ礁の海水交換は良好で,周年平穏だからサンゴ礁は之等海産観賞魚の生産適地で観賞魚の餌科自給の見通しも明るいので将来に期待されると考えられる。

8.まとめ
 今回のインドネシアの浅海増殖開発調査で先ず第1にエビの養殖に大きな期待がかけられるし,魚類・介類が次に期待されるので,考え方と方法を間違うことがない限り非常に期待されるし,明るい見通しであることを述べた。然し,説明不十分な点もあったものと思われる。東南アジアの開発は相互に重要な意義があることを今回の調査で改めて体験した次第であり,熱帯域の生産力を十分に利用し,そして永続した浅海開発の発展を願う次第である。

(増殖部主任研究官)

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