1.インドネシアの社会経済
羽田から約8時間(シンガポール経由)シンガポールで大部分の乗客が降りたので機内は淋しい程だった。シンガポールを出発して30分もすると赤道を越えるアナウンスがあり積乱雲をかすめながら上昇して雲上に出たかと思うと間もなく又高度を下げるとジャカルタ市街が見えて来て予想した割りに高層ビルが多かった(写真1)
飛行場からすぐ高速道路に海外漁業協力財団派遣沢田俊三水産利用加工専門家の車は入った。バナナとヤシがなければ日本の風景と変らないような気がした。然し空は真青で実にきれいだ。戦時中南方航空気象予報協力勤務で毎日天気図と空を眺めた筆者にとっては懐しさをも感じたが,矢張り暑かった。
インドネシアの旅行案内によるとホテルなら英語が通じるというが一流ホテルでもカウンターの一部の職員だけという程度であって先ず言葉が通じないのには閉口したが,寧ろ若い学生連中の方が英語を話すようだ。
インドネシアの首都ジャカルタの人口は約600万と云うが,樹木が多く面積も広いせいか,華僑街や,裏町に入らなければそれ程人口の密集感はない。
総人口はほゞ我が国と等しいが,約5倍の面積でしかもジャワ,スマトラ,ボルネオ,スラバシー島等や,更には多くの離島,サンゴ礁が点在していて全く広いと痛感した次第である(第1図)。
この広い国の大都市特にジャワ島に極端な人口の集中化が見られる。国民人口の増加率は年間2〜3%と報告されているが,都会や地方の家族構成を見るともっと高いようであるし,一昨年の米作不振もあって農村から都市への人口流入があり増々人口都市集中化はインドネシアにとっても大きな課題であるようだ。
インドネシア国民の約60%が農林水産業者であり政府の年次計画の中で農林水産業の発展に最大の力を注ぐよう計画されている。国内総生産額の約45%(1971)を占め大きな役割りをはたしていたが,矢張り石油生産の増加で75年には農林水産業の増産があるにも拘らず,国内総生産額の中で石油生産の増産が大きくなったので農林水産業の国内総生産額の中で占める割合は33%と減少している。
一方工業化の政策をも進めているが,種々解決しなくてはならない問題が多く工業生産は発展していない。先ず資本源の問題も大きいが,技術,科学者の不足が大きな課題でこれも解決しなければならないであろう。更にインドネシアの工業化の推進に大きな障害となっていると思われるのは風俗,習慣の改善も必要であろう。それには先ず教育機関の充実にあるのではなかろうか。このように考えると工業化は未だ先のことゝなりそうだ,従って農林水産業の開発をインドネシアの社会経済に適合した,インドネシア方式による開発を推進する必要があるし,重要な意義があるものと考えられる。
農林水産業の中では米の生産増大が最も重要な課題であろう。インドネシアは世界の米輸出量の約60%を輸入している現状である。乾季の4月から10月の約半年間は殆んど雨が降らない。ジャワ島の南岸に沿って2000m級の山が連なっている山岳地帯に入ると青々とした三毛作の出来る稲作地帯がある(写真2)。
然し残念ながら山岳地帯から流れる河川水は途中で稲作に利用されて平野部までは流れていないから地割れした田圃が雨季を待っている風景は実におしいものだと痛感した。河川水量のコントロールは稲作ばかりではなく浅海開発にとっても非常に重要であることは,乾季中でも河川の流入水があれば浅海生物が生息出来るという浅海域を観察して痛感させられ,インドネシアの河川水のコントロールが社会経済の発展に大きな役割りをはたすことは論議をまつまでもないだろう。
2.インドネシアの物価
インドネシア政府は物価安定政策に努めているが所謂石油ショックや,1972年の米作不振,或は一昨年,昨年と続いた稲作,病虫害による不作,更には輸入の全面禁止の政策強化等の諸要因によって物価が上昇し続けていて不安定な状勢にあると思われる。
主食の米は1kg当り約70円だから日本の1/4〜1/5と安いし,食料品は日本に比べ全く安く1/5程度だろう。
失業率は6%台と云われるが,道路上での新聞,タバコ,アイスクリーム等を携えて販売している様子や街頭の若者達の集団を見ると浅海開発の必要性を再認識させられる。
3.教育関係
教育関係では小学校以上の就学者は国民の約30%とのことで,小学校は二部授業をしていてジャカルタ市内でも全く不足していると云う。日本人学絞はジャカルタ市に小学校から中学校まであって一年生3クラス上級に行く程クラスの数が少なくて中学三年生になると数人,地方には二つの分校があり東ジャワのスラバヤの分校と,確かスマトラ島のメダンだったかと思うが,いずれも5〜6名の生徒がいる。インドネシアは約1万校の小学校を増設し二部教育の解消或は就学率の向上等を進めている。今後の教育機関の拡充を願っている。
4.治安状態
治安状態はまあまあと云った具合かも知れないが,矢張りジャカルタ市内の盛り場は悪い。ジャカルタ市外に出ると人柄も素朴で,平穏な感じを受ける。市内バス,タクシー,或は小型乗合三輪車等が交通機関の主体であるが,オートバイの荷台に乗せるアルバイトもある。之等の交通機関の中で市内バスの料金は安く10円程度である。(乗り換え券はないが)然し我々には言語の障害があって利用するのは難しい。何處の国に行っても盛場は治安が悪いこともある。
5.労働賃金
労働賃金は全く安い。水産関係の40歳台の研究者で月給4〜5万円だそうで,一般労働者が日給260円程度と云うが,大部分の人達は副業をもって収入をあげないと人並な生活が出来ないとのことである。食料品が安いのでなんとかなるのだろうが,家庭電気器具はこの労動賃金では準備出来ないのが普通で冷蔵庫を持っている家庭は殆どない。沿岸漁業者の中でも離島のサンゴ礁で生活している人達は一般労働者より収入が多く1日500〜1,000円程度と見られる。その現われとも見られるのはトランジスターラジオを持っている漁業者が多いし,体格もよく痩せてはいない。無論彼等は魚類や,介類等の動物蛋白質を摂取する食生活によるのであろうが,兎に角収入が,稲作農家より多いと云うことには間違いはないであろう。
6.インドネシアの風俗,習情
インドネシアの首都ジャカルタ市にある国立博物舘を訪ねるとインドネシアの実に長い歴史が,館内に並べられた大小さまざまな石像の間で,静かでひやっと感ずる室内の中や,原始人の頭骨ピテカントロプスを見て今更ながら歴史の古い国であることを再認識させられる。この博物館も第二次世界大戦前オランダの300年にわたる植民地時代に設立されたもので各地にオランダ風の建物があり印象に残っている。歴史,或は宗教がつくりだしている習慣はなかなか理解出来ないが,矢張り宗教についての知識が必要であることを痛感した次第である。
尚,我が国とは全く違う気侯が背景となっている習慣があることは云うまでもない。早朝4時頃になるとお祈りの拡声機が鳴り出す,間もなく各家庭から一斉にお祈りの声がウアーと流れる。お祈りの内容についてカウンターパート(調査中一切の世話をするインドネシア側の研究者)に聞いて見たが彼も判らないと云う。兎に角一度は毎朝このお祈りで眼が覚めるが,各家庭の子供や病人はどうしているのだろうかと余計なことまで考えたりしたものだ。
然し,このお祈りも次第に慣れてしまう。筆者は朝4時に起されるから暑くならないうらにと起床して資料の整理や,文献をひっくり返す生活が始まる。朝8時30分頃にホテルを出るまでに4〜5時間の余裕がある。朝日が昇り始めると気温はぐんぐん上がり始めるが,全く短時間のうちに35℃程度になってしまう。焼きつけるような暑さだ,ジャカルタ市内の交通状況はこれまたものすごい。トラック,バス,普通自動車,バイク,スクーターから荷車,自転車までが先を争って走る。勿論信号機があり横断歩道もあるが,何處でも勝手に横断するから全くごった返 しという状況で,スピード制限は何處にもないから先が空いていれば我れ先にとスピードを出す。のんびりした彼等の性格からはとても予想もつかない反面である。何回となく事故を目撃したが矢張り物見高いのか事故現場を取り囲んで暑い太陽を浴びながらの見物である。
官庁は午後2時,銀行は午後1時まで,金曜はお祈りの日で午前11時迄である。官庁は午後1時半ともなると帰る人が多く2時になる頃には人影が少なくなる。確かに朝4時起きして暑い半日を過せば汗を流して休みたくなるのも無理ではないだろう。マーケットや,商店等は暑い日中,店を閉めるのが多いが,華僑が経営している店は殆ど閉めないし,商品に価額が記入してあるから経営者がわかる。華僑経営者の店には缶詰類が比較的多いようだった。
宗教の教えによると東部ジャワでは豚肉を食べないし,西部ジャワ方面では牛肉を食べない習慣があるので,レストランや食堂での注文は仲々面倒である。両宗教共に一般的にはビール,ウイスキーを口にしないのが普通であるし,煙草も口にしない教えだそうだ。モスリンと云って8月の半ばから1ヶ月の絶食の期間があるが,日中だけで食物は無論のこと水,煙草等一切口にしない。若者の中でも教育を受けている学生や,青年のごく一部の人達は矢張り絶食期間でも飲物を飲んだり,煙草を手にしているとも聞いた。1年を通じて最も暑い季節にインドネシアに行ったわけだが,約2ケ月半は全然雨が降らずの暑い晴天続きだった。例年になく乾季が1ヶ月程遅れたとは云うものの毎日の晴天で調査には最良だが,調査補助のインドネシア側の人達にとっては水も飲めないので,絶食の1ヶ月間の炎天下の調査は困難であった。従って十分インドネシアの様子がわからないと研究開発計画も実施出来ないということを知らされた。
日本では考えられないことだがキャンセルと云うのは乗客だけが塔乗予定航空機への塔乗を解約するものと考えていると大きなミスをして終うことがあるから注意する必要がある。航空機側のキャンセルは主に乗客が少ない時にキャンセルするようで筆者が今度の調査で経験したのはインドネシア,フイリッピン航空機のキャンセルで予定到着日の翌日到着ということもあった。
7.インドネシア浅海増養殖開発の展望
地球上の浅海生物は熱帯域に向って種類数が多くなり,反面量的には各種夫々少なくなるという講義を受けたことがあるが,離島のサンゴ礁を見ると,小さな島の周辺には数多い種類の魚類,海藻類,甲殻類,軟体類等で複雑な浅海生物社会を構成している。成長が速く,北部日本の浅海で2〜3年もしないと成体にならないが,インドネシアのような熱帯域では1ヶ年で成体となり産卵に加わる種類が多いようである。然し,寿命は短く1ヶ年である。
ジャワ島北岸のジャワ海に面し,多くの湾や,入江があって一見増養殖に適しているようだが,生物社会は全く貧弱で,若し仮りに生息しているとしても単純な浅海生物社会であり,しかも量的には大きな変動があるらしい。この原因としては乾季には塩分が高く40‰Sを超え,雨季には河川からの流入量が多く淡水になるという,激しい塩分変化が浅海生物社会構成に大きく影響しているものと考えられ,更に,河水は泥水で透明度10cmもないという浮泥が大きく影響しているであろう。
以上のような厳しい環境の沿岸が多いが,離島のように降雨の影響の少ない所では浅海開発研究の効果を挙げることが割合容易であろう。沿岸域での養殖池で河川,或は地下水を利用して池水の塩分濃度を調節すれば年間少なくとも従来1度の養殖が3回繰り返すことが出来る。従って増殖と養殖を組み合せて推進すれば非常に有望であると考えられる。尚,養殖から近い将来増殖に移行して天然の生産力を十分に活用することが,インドネシア浅海開発の方向であることを痛感した次第である。
8.まとめ
今回のインドネシアの浅海増殖開発調査で先ず第1にエビの養殖に大きな期待がかけられるし,魚類・介類が次に期待されるので,考え方と方法を間違うことがない限り非常に期待されるし,明るい見通しであることを述べた。然し,説明不十分な点もあったものと思われる。東南アジアの開発は相互に重要な意義があることを今回の調査で改めて体験した次第であり,熱帯域の生産力を十分に利用し,そして永続した浅海開発の発展を願う次第である。