“1978年宮城県沖地震”お見舞のお礼



 6月12日午後5時15分頃,退庁時間は過ぎていたが,ほとんどの職員はまだ勤務していた。宮城県沖約100qの海底で,マグニチュード7.5級の強い地震が発生した。震源に近い宮城県を中心に東北太平洋沿岸各地で震度5の強震を記録した。
 最初の激しい揺れから7〜8分後、縦揺れから横揺れの大揺れの一瞬,水研の隣埋立地に造成された水産加工団地の煙突は,今にも崩れそうに左右に大きく揺れ,側溝の水は道路にとび散り,山と積まれた魚箱は崩れていく。しかし地鳴りで音は聞えない。道路や建物に亀裂が走り,水研の図書室の書棚は,みるも無残に崩れ落ちた。駐車中の乗用車はまるで玩具のように踊り,通行中の人の動きが止まり,夕暮の恐怖の一瞬であった。
 引続いて出された2m〜数10cmの津波警報,東北太平洋岸はチリ地震津波など数多くの被害に見舞れてきただけに,高台に避難したり,船舶は港外へと一斉に待避をはじめた。この頃夜の帳がおり真っ暗闇,光といえば自動車のライト,消防車・救急車のシグナルと船舶の照明位である。都市ガス・電気・水道・電話のすべてが止まり,暗闇の不安,都市機能は麻痺状態となった。
 幸に津波もごく小規模なものに終った。暗闇の不安の中に,逸速く電気が復旧し,明るい灯を点じてくれたことが混乱防止の決め手となった。
 八戸支所の庁舎・調査船並びに職員の家庭にはほとんど被害がありませんでしたが,本所職員の家庭では,ブロック塀の倒壊をはじめ,書棚・食器棚などの倒壊がありましたが,お蔭様にて人身の方については,支所の家族1名避難の際,軽度の怪我をした他は全員無事でした。不幸中の幸でした。
 地震後から1週間は生活機能が大きく破壊され,全職員不自由を忍び,生活の知恵を発起して元気に勤務しております。本所ではガスはプロパンのため影響はなかったが,水道は埋設部が各所で破裂損傷し,応急措置手間どりました。現在は調整によって急場をしのいでいます。
 これまでにお寄せいただいた皆様の心からのお見舞に対し,御芳名は省略させていただきますが,所員一同衷心より有難く厚くお礼申し上げます。(6月20日記)
目次へ戻る

東北水研日本語ホームページへ戻る