紫外線照射海水によるアワビの産卵誘発について

浮 永久



 成熟したアワビは温度の急激な上昇や,空中に一定時間露出させることにより,産卵が誘起されることがあり,これらの刺激が人為的な採卵方法に利用されてきた。しかし,これらの方法は効果の点で今一歩であり,特に干出法は母貝を弱らせ,産出された卵にも悪影響の懸念があって,これらに代る効果の高い誘発方法が望まれていた。
 産卵誘発方法について種々検討してきた過程で,たまたま紫外線を照射した海水が,アワビに対して産卵誘発効果をもつことを発見し,新しい確実性の高い誘発法としての実用性を確認することができた。この方法は,市販の流水殺菌器(殺菌効果が高いことから殺菌線とよばれる2537Aのスペクトルを主成分とする遠紫外域の紫外線を放出するランプが装着されている。)を通した海水を注いだ容器に飼育水槽からアワビを移すという簡単な操作だけである。アワビは流水中に置かれるので,酸欠等の心配もなく餌を与えれば摂餌もする。また,産出された卵や精子への悪影響も認められていない。
 一方,天然に捷息するアワビは初夏のころから生殖巣の発達がみられ,水温が20℃内外に降下する秋の始めに産卵する。このような自然の性成熟の周期によって成熟した母貝から採卵する場合は,時期が限られ,また年による成熟時期の変動も加わって,計画的な採卵が困難である。従って,アワビの性成熟とそれに関与する外的条件との関係を解明し,人工的な環境で飼育条件を制御して,必要な時期に採卵可能な状態に母貝を育成する方法を確立することが人工採苗技術として不可欠の課題であった。
 そこで,まず水温と性成熟の関係を,エゾアワビについて調べてみると,飼育水温が20℃以下では,性成熟は7.6℃以上の水温の積算値(成熟有効積算温度℃・日,以下積算温度と略す)に対応して進行することが判った。アワビは積算温度500℃・日を超えるころから,紫外線照射海水による刺激に応えて産卵を始めるようになる。熟度の進行に伴ない誘発率,産卵量も増え,放卵までの所要時間も短かくなっていく。つごうの良いことに積算温度2,000℃・日を超える時期に至るまでは,安定した飼育条件の下では,飼育水槽中で勝手に産卵を始めてしまうこともないので,例えば17℃で飼育するなら約5ヶ月間,採卵できる状態が持続する。水温を低めれば,さらに長期にわたり採卵可能時期が維持されるし,経産個体は短期間(400℃・日)で再び採卵可能な状態になる。天然の最低水温期から産卵期までの積算温度は宮城県で1,500℃・日前後であり,これは飼育実験で求めた産卵期(FuII mature stage)に一致し,エゾアワビの場合,日長等の性成熟への関与も否定はできないが,温度が支配的な要因であることが判る。この性成熟と温度との数量的関係をもとに,飼育開始時期と水温の調節で周年にわたる採卵が可能になった。
 次に,産卵開始時刻の分布を産卵群について求めると,紫外線照射海水に移して1〜3時間(前述のように熟度により異なるが積算温度により予測できる)の時刻と,夕刻の暗くなり始めの時刻に集中する傾向がある。このことから2つの放卵時刻を重ねるような時間的処置をすることによって,産卵を総ての個体に同時に起こさせることについて相乗的な効果が期待できる。すなわち,あらかじめ人工光周期(通常12L−12D)を付与して飼育し,時期の開始時刻を生ませたい任意の時刻にセットしておき,採卵日には時期開始時刻の1〜3時間前から刺激を付与すれば,ほゞ全個体に時刻的に斉一に産卵,放精を開始させることができた(図1)。
 以上述べてきたように,紫外線照射海水による産卵誘発法は,積算温度による産卵時期,人工光周期による産卵時刻の制御とあいまって技術として効果を十分に発揮する。
 この場合にも,性成熟に関与する他の因子,餌料条件についての配慮が前提であることは言うまでもない。摂餌量が不十分だと生殖巣の発達が悪く,従って誘発率が低く産卵量が少ない。積算温度による熟度管理が可能な日間摂餌量(体重に対する餌科:コンブ,ワカメの湿重量)の基準は5%(殻長8p,水温17℃)となる。照射海水の効果について相談を受けるが,その多くは,この点に対する配慮が欠けていることに起因している。確実に産卵させることができ,卵や精子を多量に入手できるようになって,産卵以後の受精から着底に至る時期の生物学的知見と管理技術は,近年急速な進歩がみられ,種苗生産技術における主課題は初期餌料を含めた育成面に移行したといえる。
 紫外線照射海水がなぜアワビに対して産卵を誘起させるのかは興味深い問題である。最近Morse,D.Eらは過酸化水素を添加した海水がやはりアワビの産卵を誘起するのを見出した。紫外線の光化学作用によって水分子から酸化物(Oxidants)が生じる事実(一般に,純水は紫外線を少ししか吸収しないので,水に対する紫外線の作用は重要ではないと考えられているが,ヨードイオン,2価の鉄イオン,アスコルビン酸等の増感分子が存在すると事情は変ってきて水の活性化が起こる)から,紫外線照射海水の誘発効果は,過酸化水素添加の場合と同様に,光分解によって生じた酸化物によるのであろうと言っている。またオゾンを含む空気によって曝気された海水も強い産卵誘発効果をもつことが判ったが,オゾンそのものを含め同様の効果物質を水中に生じるためであろう。
 Morse,D.E らはまた,プロスタグランディン(Prostaglandin,以下PGと略す)に着目し,PGのアワビヘの直接投与で放卵放精が誘起されることをみて,産卵機構へのPGの関与を明らかにした。
 PG(化学構造のちがいにより多くの種類がある)は動物の組織中に広く分布し,中でもヒト精液中に多いが,通常のホルモンのように特定の臓器で生産されるのではなく,必要に応じてその場所で必要なPGが生産されると考えられており,生体の機能に深く関与していることが知られている。特に生殖機能に関しては,子宮収縮や黄体退化の顕著な作用を有することから,哺乳類では陣痛の促進や分娩の誘発,着床の阻害(避妊)や性周期のコントロール等に薬材として応用されている。
 PGは体内ではPGエンドペルオキサイドを直接の前駆体としアラキドン酸から合成されることが判っていて,アラキドン酸→PGエンドペルオキサイドの反応は脂肪酸サイクロオキシゲナーゼ(アワビの生殖腺に豊富に含まれる)によって触媒される。
 さて,酸化物の生体への作用機序であるが,Morse,D.E らはアスピリン(周知の抗炎症剤,脂肪酸サイクロオキシゲナーゼの触媒作用を阻害することが知られている)を加えた海水に過酸化水素を添加しても放卵が起らないことと,アワビの卵からの抽出物では,サイクロオキシゲナーゼで触媒される反応の速度が,過酸化水素の投与で増加することの両事実から,放卵放精にはサイクロオキシゲナーゼ活性と,PGエンドペルオキサイドの合成が必要で,また過酸化水素添加で生じた効果物質は,このPGエンドペルオキサイドの合成酵素の働きを促進する作用をすると結論づけている。
 この過硬化水素添加による放卵誘起は,アメリカの一部の採苗場では産卵誘発法としてすでに採用されているが,海水のpH調整等を含め操作が繁雑である。また,筆者らの追試によると,過酸化水素の効果的な濃度の巾は狭く(5−10mM),濃度を増すにつれて幼生に奇形を生じ,80mM以上では瞬時に死んでしまう。また,低濃度では効果がうすいので産卵誘発法としてはお勧めできない。さらに,アワビの浮遊幼生は流失を避けるため止水中で管理するが,水質の悪化に弱いので,容器や水の滅菌は必須である。オゾン曝気は滅菌を兼ねるが安全性の点で難があり,滅菌を兼ね簡単な紫外線照射が誘発法としては至便である。
 紫外線照射海水がどのような貝類で効果を有するかは,その作用機序と関連して興味深い。現在まで,アワビ類に加えて,ホタテガイ,アカザラガイにも有効であることが判ってきた。またMorse,D.E らは過酸化水素はイガイの一種Mytilus californianusにも有効であったと述べている。これらの貝の卵巣卵の成熟段階は,1次卵母細胞の状態にあり,卵巣卵を取り出して媒精しても受精しない。放出時の卵は,第1減数分裂の中期の段階にあり,精子の侵入をまって減数分裂が完了し発生を始めるが,卵巣中では刺激を受けてから,まず減数分裂を起こさせる状態が作り出されることが必要で,さらに卵巣内容の流動性の増加〔岩田(1974)は酵素反応の関与を示唆している〕や卵巣壁の筋肉の収縮によるしぼり出し等の2段目の産卵機構が働いて放出に至るものと考えられている。これらの過程に要する刺激投与から放出までの時間は,ムラサキイガイで30分,アワビ,ホタテガイで60分以下には短縮しない。精虫はすでに精巣中に準備されていて2段目の機構だけが必要で時間は短かくてよさそうだが,雌との放出同調のため,やはり一定時間待機するらしい。アワビ,ホタテガイでは雌より若干10分程度早く放出を開始し先行する傾向がある。
 紫外線照射海水は,卵巣卵.と放出卵の成熟段階を同じくする他のいくつかの貝(ハマグリ,ホッキ,アサリ)に対しては効果を持たないらしく,謎解きは複雑になりそうである。
 以上,紫外線照射海水法とその周辺について述べてきたが,本法が採苗現場の産卵誘発法としてはもとより,貝類の卵成熟,産卵機構の解明に役立つことを期待してやまない。
(増殖部魚介類研究室)

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