漁業資源研究会議第16回シンポジウムを主催して

安井達夫


 漁業資源研究会議が誕生して早や10数年になり,この間毎年1度づつのシンポジウムが,8水研持ち廻りで,それぞれの水研所在地またはその近くで開催されてきました。それで,15回までの間に,支所・分庁舎のある下関や高知でも開催されて,残るは八戸だけということになり,否応なしに引受けざるを得ない羽目になったわけです。
 会場は,八戸支所の近くの鮫角(さめかど)という埼の松林の中に,眺めがよく静かで宿泊もできる八戸ハイツ(勤労者福祉センター)という施設が,タイミングよく昨秋オープンしたばかりだったので,これを借りることができ,多くの参加者から好評を戴けたのは幸いでしたが,これまでヘソ曲りの質問や意見を吐くことを専らとし,一ぱしのアウトサイダー振っていた私にとって,コンビナー委員会の代表として,テーマを決めて討議を成功させるなどということは,まことに〃しんどい〃役廻りでした。
 テーマは,本所の人も含めたコンビナー委員会で,各水研の意見も検討した上で,丁度200海里漁業水域の設定で,魚類資源利用のあり方をめぐって,わが国の漁業が大きく揺れ動き,また外国への漁獲割当量の決定問題を含めたわが国の200海里水域内の魚類資源の再評価や適切な利用の仕方が問題となっている現状を踏まえて,既に何回か討議されてきた漁業と資源あるいは資源研究の関わり合いの問題を,さらに討議し深め発展させ,お互いの認識を高め合い,現実に対処する上で少しでも前進に役立てばということで「漁業資源研究の今日的課題」ということにしました。
 シンポジウムの内容や総括は,いずれ漁業資源研究会議報によって公開されますから,正確にはそれを見て戴きたいと思いますが,コンビナー委員会特にその代表である私の力量不足のため,討義は決して充分であったとはいえませんが,北海道紋別のケガニ漁業や南マグロ漁業における漁業者の自主規制の動きと,それに対する資源研究者の関わり方についての実情報告とそれをめぐる論議は,具体例にもとづいたものであったので,漁業協同組合を指導調整の中核とした共同漁業権漁業の影響下にあるケガニ漁業の場合と,完全な資本制経営となって,個別企業の自由競争と最大限利潤追求の法則が貫徹している遠洋漁船漁業である南マグロ漁業の場合の,自主規制の内容の相違と規制遵守の態度の違いや,資源研究上のウイークポイントの違いが,かなり明かにされたこと,さらに漁獲規制や漁業規制を実効あるものとするための,漁業者の自覚,行政官や研究者の態度,それらの関わり合いの仕方,あるいは社会経済研究(者)と自然科学(者)との間の,また異なった専門分野の自然科学(者)の間の,独自性と関連性の問題,さらに漁業調整機構・制度の民主的改革などについての論議や提案など,必ずしも意見が一致したわけではないが,示唆に富んだものであって,互の認識を深める上で大変有意義であったと思います。
 次ぎに,特に自然的変動が大きいといわれている多獲性魚種の資源量変動の実態を明らかにする研究の方法についての討議では,瀬戸内海における栽培漁業研究に関連した人工種苗の生態についての実験的知見と自然の種苗の生産の相違などを基盤とした,卵・稚仔あるいはその後の魚の生活についての大胆でユニークな仮説の紹介と,外海におけるイワシ・サバなどの多獲性魚の卵・稚仔の生態や親の状態とその子の関係などについての研究における,いわゆる「魚の生活の実態の研究」という方法についての考え方の説明では,共に,単に現象を見ているだけではその中に隠れている仕組みの実態を知ることができず,弁証法的思考による仮説の設定とその説明が必要であるという論理では一致していながら,対象とする魚種の生活の仕方や場の相違とそれを追求する作業上の問題の差もあり,また両者とも具体的な調査や実験に基づく研究例が乏しく,論義が抽象的であったため,充分な討義に至らなかったが,科学論と技術論の問題についても多少の論議があって,前進の芽生えはあったと思います。
 最後にポピュレーションダイナミックスや資源量評価の上で欠かせないCPUEの評価をめぐって,古くから論じられながら,未だに確たる根拠をつかめない漁獲努力(漁獲性能)の比較については,単に統計表に記された漁船規模別の操業日数と漁獲量の比較だけでは実態とかけ離れたものとなり,漁船・漁具及びその運用法の改良進歩や操業実態について,より精密にかつ漁獲劾率を高めるための技術改良のキーポイントに着目して,努力の比較の基準をどこに求めるかを明らかにする必要があること,また,漁獲努力が単に魚の存在状態や行動の仕方に関わるだけでなく,商品価の高い魚種に対する選択的漁獲や漁獲物の保蔵・処理能力・流通に関わるという,社会経済的条件についても注意を払う必要があることが指摘されました。
 ともあれ,このような議論は得てして抽象的形而上学的になりやすい反面,具体性を追求し過ぎると経験論的に陥入ることが,従来の経験から分っているのでどちらにも偏らず,理論的であると同時に実践的であるように願い努めたつもりでしたが,主体的力量の不足と客観的条件の複雑さ南難さのため,果してそうであったかどうか,大方の批判に待ちます。
(八戸支所長)

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