日本海から太平洋へ−東北水研に赴任して

谷口和也


 子供の頃,誰しも一度はナチュラリストになる。私も例外ではなかった。短い道東の夏でも,たいていは海に入り,海藻の採集をしたものだ。どんな標本を作ったのか,あらかた忘れてしまったが,それでも気胞の連なったホンダワラと,大型のミルと,浜に足の踏み場のないほど敷きつめられたコンブだけは覚えている。それらがウガノモクであり,イモセミルであり,ナガコンブであることを知ったのは大学の研究室に入ってからである。
 自然観察の熱がさめてからも,様々の土地で多くの海を見て釆た。中でも松島湾は美しいと思った。海に浮ぶ島々には松が良く似合う。この湾の中のある島で夏の一カ月,研究のまね事をして過したのは,もう10年以上も前で,研究の意味も知らなかったが,意欲だけはあふれていたことを苦笑と共に思い出す。その同じ海を毎日眺め乍ら仕事をする境遇になろうとは考えてもみなかったものだ。
 4月のある朝,いつもは満々とした海に浮んでいたはずの目の前の内裡島が完全に干上っているのを見た時,新鮮な驚きを感じた。ここが太平洋であることを改めて思い知らされたのだ。半年前までは干満のことなど殆んど考えたことのない日本海を見て暮していたからである。
 日本海は潮汐の日周変化が小さく,その変動域が季節的に移動するため,潮間帯の海藻植生は貧弱である。しかしひと度,海の中を見ると事情は一変する。そこにはホンダワラ科植物を中心にした大群落がある。それは正に大≠ニ呼ぶにふさわしい大型の海藻で,広範囲に拡がる安定した群落なのだ。海の中を魚のように泳いでいると日本海の海藻は貧弱だ,という考えは消し飛んでしまう。この群落が日本海の浅海域の生物生産や漁業生産に果す役割はどれほどだろうか。砂浜域のアマモ群落と共に学際的研究が必要であると思う。私は日本海水研での後半の2年間,理解ある上司と良きパートナーに恵まれてこの群落を相手に楽しく仕事を続けることが出来た。それらの仕事をまとめている現在,透き通るように青く美しい日本海がなつかしく思い出される。
 確かに海の中も日本海と太平洋とは異っていた。未だ松島湾と岩手県の一地区を見た程度の経験しかないが,透明度は低く,お義理にも美しく青き‥…≠ネどとはいえない。またアラメの群落があり,コンブが生えている景観は明らかに日本海とは異った印象を与えた。それにもまして印象深いのは直立する大型の海藻が水深3〜4m程度までに限られ,それ以深では付着性の動物かまたは着生する何ものもないことだった。この海は私の見た日本海より貧弱≠ネ印象を与えた。
 ともあれこの海が私の仕事の場である。ここは多くの先達が先駆的な研究を行い,種々の技術を展開して来た地でもある。そしてそれらの成果がこの海での高い漁業生産の基礎をなしているのだろう。私の主たる研究対照である海藻は日本海と太平洋とでは大きく異った印象を受けるが,生物生産の機構を明らかにする目的では私の姿勢は変わらない。200海里時代に突入し,日本の沿岸の生産力の見なおしと技術開発が必要とされている現在,私のささやかな努力がどれほどの貢献をなし得るかさだかではない。しかし東北水研増殖部という恵まれた研究環境の中にあって,先達の業績に学び,その歴史を継承するためにも,少年のような好奇心と意欲をいつまでも忘れず,微力をつくそうと思うこの頃である。
(増殖部藻類研究室)

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