北洋雑記

小達 繁


 東北沿岸にはサケ・マス漁船の母港が多い。
 塩釜でも毎年4月に入ると、岸壁に繋留された漁船の化粧直しや漁具器材の整備に一段と活気が溢れて来る。春の遅い”みちのく”で桜が満開を過ぎる頃、そちこちの港から、勇しいマーチと共に大漁旗や五色のテープをなびかせながら、船足も軽く陸人(おかびと)の見知らぬ海の豊庫、北洋へと向う華やかな出港風景が繰り広げられる。船主、乗組員家族或いは関連業界の思惑と期待を担い、年々厳しさを増す北洋漁業から、果して何時までこの様なことが続けられるのかという一沫の不安を、交々胸に秘めながら、それでも今年は行く。華やかな出船、その先で何が行われているのか?私にとってこの頃は啓蟄ならぬ好奇心のかさ立てられる季節でもあった。
 長年の念願叶って、今年は5月〜7月の期間、北洋母船式サケ・マス漁業船団の野島丸(日本水産所属)に乗船する機会を得、その一端をかい間見ることが出来た。この忙しい世の中で3ヶ月間も研究所を留守にするということは、それなりに周囲の状況が許さない場合もあるが、暖かい理解をもって送り出してくれた同僚諸氏に感謝しなければならない。
 ともあれ、北洋行きの切符を手にしてしまったからには、華やかな出船の傍観者としての散文的な気分では、北洋漁業に生活が賭かっている漁民の皆さんに申し訳けがない。それなりの理由がなくてはなるまい。
 サケ・マスとサンマ及びサンマ漁業、三題噺めくが、実は深い関係があるのである。北太平洋の冬季に、比較的暖水域にあたる北緯40度線付近、水温10℃前後の水帯で越冬したサケ・マスは、春季水温の上昇と共に、産卵年令に達した高令魚は、夫々の生れ故郷の河川に回帰すべく北上回遊を開始する。空間的にみると、黒潮流の影響する暖水域で発生したサンマ稚仔や黒潮前線周辺で越冬したサンマ群は、サケ・マスの後を追う様にして北上索餌回遊を始める。6月頃北海道近海で実施する北上期のサンマ調査航海では、北側冷水域はサケ・マスの生活域であって、うっかりすると流網で縦横に仕切られたパズルの中に迷い込んで、どうにも動きがとれなくなる。潮境一つ隔てた南側暖水域はサンマの分布域。水温を指標にすると10℃等温線が略々その境界を示す。この海域の調査は北海特有の濃霧と共に、調査船船長が最も神経を使う場所である。
 それから両魚種の食性がある。サケ・マスの中ても食地位の相対的に低い魚種の胃内容種には、Euphausia sp.Themisto spp.,Calanus Plumchrus,Eucalanus bungii等々が見られ、サンマの利用する動物プランクトンと共通種が多いのである。サケ・マスの食性に関する研究は多数あるが、これらの種類は今回採集して持帰ったベニ・シロザケの胃内容物を査定して確かめた結果である。亜寒帯海洋の表層生態系を考えた場合、生活領域のずれから見て、サケ・マスが喰い荒した残りのプランクトンをサンマが頂戴するということにもなり兼ねないのである。
 第2の浅からね因縁は両者の漁業経営上の係わり合いである。近年のサンマ棒受網漁業承認船(10トン以上)約600隻の中、70%近くがサケ・マス漁船の兼業である。春から夏へかけて北洋のサケ・マスで稼ぎ、引続き年末までサンマ漁業でつなぐのが、経営の基本的パターンとなる。従ってサケ・マスの漁労長はサンマの漁獲についてもヴェテランでなければならない。近年の様に北洋の困難な漁業情勢の下で、サケ・マスの地盤が沈下するほど、サンマ漁業へのウェイトが高くなるのは当然である。近代漁業の経営戦略の中で、単なる裏作漁業からの脱皮への努力と云えよう。
 さて、まえおきが長くなってしまったが、サケ・マス漁業の実態は、話に聞くより一見に如かずである。5月11日、東京における監督官業務のレクチャーを受けた後、直ちに函館に向う。既に母船独航船(10船団3百余隻、乗組員総勢1万人)が集結し、漁具・機械の最後の仕上げに忙しい。出港前の所定の検査も終えて、5月15日早朝いよいよ出港。毎年テレビで放映される勇壮なあの光景、母船に群がるミズスマシの様な独航船の数々。国内外の厳しい漁業環境、人と人との絡み合い、人と魚との斗い、凡ゆる現代的な諸条件が織り込まれた一大ドラマの幕開けである。視聴者の立場から一転してドラマの構成員、かすかな興奮と一沫の不安が、函館山の頂きにかかった雲と共によぎる。
 漁場まで約4日の行程。北洋のサケ・マス漁場は意外に近い。何とサンマを求めて何時か来た場所と同じではないか。まあまあそう怒るまい。ここは北洋の入口、未だ先は長い。何れは”行かなきゃならないアリューシャン”が待っているのだから。
 初回の投網漁区は、既に出港前の船団長会議の際、抽箋で決まっている。しかし、投網場所、投網方向、付属独航船の配置による漁獲効果は、この漁期の成否を占う正念場でもある。先行独航船(各船団4隻)の情報や長年の経験に基づいて慎重に検討する。船団の付属独航船には船脚に差があるけれども略々全船漁場到着、夕刻より投網開始。さて明日の獲物はベニかマスかはたスケか。
 早朝より揚網開始。躍る銀鱗(これは後に独航船に乗組んだ時の情景です)。初漁にしてはまあまあの成績。早速ブリッジ神棚に供えて大漁祈願。
 既に母船式サケ・マス漁業について御案内の方には退屈な話だが、操業形態について触れてみよう。先ず船団所属の独航船32隻(この中4隻は先行調査船として別行動)は、毎朝母船への水揚げが終了すると同時に、夜を徹して練り上げた船団司令室作成の各船配置図(船番号と投網方向等)を受領して、夫々の指定位置に展開する。通常夕刻投網して夜半から未明に揚網開始する。揚網後漁獲物は母船に到着するまでに魚種別に仕分けして、500kg位入るモッコに収容する。母船には到着順に横付けして水揚開始。通常は朝7時頃から始まって昼頃には全船終了する。接舷中に生鮮食糧や燃油の補給が手際良く済まされる。そして再び指定漁場へ向う。母船では吊上げたモッコをそのまゝハイドロスケールで計量した後、既に漁場に来るまでの航海中に甲板に仮設した魚槽に流し込む。後はベルトコンベアーで処理現場へ送り込まれ、更に冷凍工場や缶詰工場へと流れて行く。独航船上での魚体加工の禁止、毎朝母船への水揚げ、接舷水揚個所の数、モッコの重量、計量器や計量方法等々、多くの制限禁止条項はあるが、馴れてしまえば単調な作業の繰返しである。繰業の方も、漁場滞在まる2ヶ月の中、シケと漁場移動のため休漁した約1週間を除いて稼働し続け、他船団のトップを切って漁場を切上げ、8月初め全船函館港に帰投した。斯くして、北洋漁場における73日の航海は、私にとってはかつてソ連船で過ごした51日間の記録を更新することになったのである。
 長期間、我々の日常生活に関係の深かった母船乗組員の編成を要約すると次の様になる。船団長、漁労課長、製造主任以下母船会社派遣の乗船者14名と、独航船船主及び漁協からの代表4名等で、サケ・マス事業運営の中枢部を構成する。搭乗者としては無線・漁網・船具会社からのサービス係がいる。特異なのは業界自主規制のため他船団から相互乗入れしている調査員2名である。事業部や船主代表と共に水揚計量に立会う。競争相手水産会社からのお目付役、招かねざるお客様の様な存在ではある。まあしかし、いろいろな方法で自主的に操業規制しようとする姿勢は誠に結構なことである。それだけにこの漁業の厳しい現状が伺われるのである。また調査員の任務は、計量立会いのみならず、出港前の網の検査にまで及んでいる。
 母船の運航、荷役の機械作業は船側の責任、船長以下士官職員19名、部員45名でこれに当る。魚体処理は事業部の担当で、(事業)員長以下、各組長、伍長、事業員の総勢は265名となっている。長い航海、狭い船内、男だけの世界、異なった職種の連絡調整、物資の出納、独航船への補給等々、日常生活で最も神経を使うのは事務主任以下のスタッフである。
 さて、母船式サケ・マス漁業遂行の中て、もう一つ重要な仕事に生物調査がある。毎日水揚げされる漁獲物は、魚種毎に30尾ずつ魚体測定(体長・体重・性別・生殖腺重量・採鱗)することが規定されている。北洋漁場では見るもの聞くもの何でも珍しいことだから、積極的に参加する。陸で見馴れた塩蔵物と違って、鮮魚は美しい。鱗の光が正に名前そのもののギンザケking salmonの名に相応しく貫録十分な20sに及ぶ巨大なマスノスケ、ベニザケの強烈な鮮紅色・・・・・・、今尚 瞼の裏に去来する。忙しい船上でそうこうしてはおられない。マキリで標本魚の腹が裂われて,Euphausiaやイカ等を満腹した胃袋があると、早速標本として布袋に入れ、かねて用意のポリタンクに収容する。食餌種類は各種動物プランクトン、イカ類、ハダカイワシ類、ホッケ等の稚魚、多種多様である。時折、標識のための鰭切魚や、標識魚が発見される。ともあれ、あれやこれやで結構多忙な1日を過ごし、且つ繰返す。それでも司令室の住人達の梟(フクロウ)の様な生活とは違って、夜は資料整理後定刻に寝み、早朝も定時起床。椎間板ヘルニアのアフターケアーを兼ねて、徒手体操による自主健康管理。ついでに云うと、船団では何故か日本標準時を使用して生活しているので、地球の運行による現地の実態といささかずれが生ずる。高緯度の夜は短い。夜半に揚網と云っても、すぐに夜は白々と明け始める。サロンが満員となるので、時差調整した朝食時刻は、太陽高度からすれば昼に近いのではないか。
 ともあれ、2ヶ月半に亘って私を揺籠の中に閉じ込めてくれた北洋の海は意外に綺麗だった。アリューシャン列島に近づくにつれて、濁りも増し海藻等の浮遊物も多くなるけれども、それより南、亜寒帯海流域以南の海は、限りなく透明に近いブルーと云った印象である。事実透明度は20mに及ぶ海区もある。ベーリング海においてさえそうである。海洋学の教えるところでは、千島列島沿いに南下する親潮が三陸沖で反転し、親潮前線の延長がアリューシャン列島南側を東流する亜寒帯海流に連なるとされる。親潮起源の海域というイメージからして、植物プランクトンに満ちた暗緑色の水を想像していたのに、いささか期待外れの感なきにしもあらず。接舷して来る独航船の船底の鮮やかな色彩(尤も漁期末には傷つき、油に汚れたけれども)が眼に泌みる。防寒服に身を固め、気温・水温共に5℃前後という環境に気付かねば、黒潮域の海と変らない。サケ・マス資源を支える餌料生物は何処にありや、と思い度くなる。魚の摂餌量も魚種や漁場によって差がある。さすがベーリンク海に入ると、Euphausiaやイカを満腹した個体が増える。カムチャッカ近海では稚仔魚が多く食われている。その他口辺周囲に腫瘍の出来たマスノスケ、同じく鰭にヤツメウナギの吸着痕のあるマスノスケ、黄色いシロザケ、サメ、イルカ等々話題には事欠かない。
 鉛色の空、太陽のない海、海霧、閉鎖環境、それでも比較的充実した生活が送れたのは、軽薄な消費文化に躍らされている社会からの隔離のせいか。浮世とのチャンネルは出港後間もなく途切れる。その後は毎日発刊される船内新報、漁期中に数回は来る仲積船を通じての陸の便りだけである。戦後30年ぶりに耳にする”慰問品”という名の小包み。日・ソ・米と交々来訪する監視船との対応、サケ・マス漁業の現状と将来について語り明かした船団幹部、船主二世氏、独航船漁労長の話等、思い出す度に昨日のことの様に去来する。私のひそかな乗船目的の一つであった食性については、お土産(ホルマリン漬の胃袋)も多数あることだし、何れ稿を改めて検討したい。
 折から200海里漁業専管水域の問題が焦眉の急となって来た。北洋漁業の健全にして永続的な発展を祈って止まない。最後に、いろいろと御配慮をいただいた、水産庁並びに船団関係者の皆さんに感謝する次第である。
(資源部)

Shigeru Odate

目次へ戻る

東北水研日本語ホームページへ戻る