東日本沿岸域におけるスズキの生態調査

飯塚景記


 スズキは美しい体型をもついわゆるスズキ型の代表的な魚で、沿岸魚の中ではタイ類ともに姿・味とも最高の魚といわれている。その分布域は広く日本のほぼ全土、朝鮮、台湾および東シナ海の沿岸に至っている。地域的には瀬のある岩礁地帯や砂礫地帯に生息し、夏季に一部淡水域で生活するものもあるが、11〜1月に大陸棚の一部(50〜100m)て産卵するという。
 スズキはブリやボラとともに出世魚として知られ、東京近辺では小さいものから「セイゴ」、「フッコ」、「スズキ」と呼ばれている。呼び名は地域によって異なり、三陸沿岸では「フッコ」のことを「ハネゴ」と称している。その生長は速く、1年て約20p、2年で30〜35p、いわゆる「スズキ」と称せる50p以上になるには4〜5年かかるといわれ、最大1m20pになると堆定されている。食生活は未成魚時代には甲殻類主体であるが、成魚になると魚類に変るという。
 漁獲量は全国で昭和30年代の約5,000トンが、48・49年には約8,000トンに増加しているが、その数量はたとえばまさ網におけるサバ・マイワシ最盛期の1日か2日の漁獲量にすぎない。このように数量が少ないこと、味、姿がよいこと等が高級魚と称せらるゆえんであろう。スズキの「シュン」は夏季で、この時期の魚価がもっとも高い。肉は白味で、アライ・刺身・フライ・塩焼・テリ焼・すい物等々利用範囲が広く、いずれも極めて美味とされている。
 以上が従来から知られているスズキの概略的なプロフィルである。常日頃サバ・イワシあるいはスケトウダラ等の、見なれた多獲魚をとりあつかっている我々にとって、まさにスズキは「高額の花」であり、また今まで無縁のものであったといえる。さて、このようなスズキが昨年から我々の調査対象となり、現在調査進行中である。
 スズキは数年前ジャーナリズムを賑わしたように水銀蓄積量の多い魚の一つとして、マグロやメヌケについで食品衛生上問題にされたので、既に工場廃水で大きな社会問題になっていた有明海や徳山湾に続いて、昭和50年度から東京湾〜東北地方沿岸及び日本海においても漁場環境保全対策の一環として水銀等汚染対策調査が行われることになり、西海水研・南西水研に続いて東海水研・東北水研・日水研もこれに対応することになった。東北水研の実施体制は、八戸支所長を窓口とし各部からの参加希望者によって組織することになっているが、現実には他の部からの希望者がないまま支所職員のみによって組織されている。支所内での組織体制は支所長(責任者)を含め担当者数名としたが、標識放流等労力を必要とする場合は支所全員の協力を得ることになった。
 調査を進めるにあたって、我々はまず従来のスズキの生物学的知見を充足し、生態に関する基礎的な知識を得ることを目標に、下記の研究課題を設定し、5つの調査計画を骨子として調査の発展をはかった。


研究課題名
 東日本沿岸域におけるスズキの生態に関する研究(昭和50〜52年)


調査計画
1) 漁業および漁獲量実態調査−漁業の実態の聞き取り調査と各地の漁獲統計資料の収集
2) 漁獲物の生物学的調査−年齢・生長・成熟・産卵・食餌・系統群等の解明
3) 幼稚魚調査−採集標本の生物学的調査および飼育実験・仙台湾以北の水域における幼稚魚分布の実態の解明
4) 標識放流−分布・移動・生長・系統群の解明
5) 魚体の水銀量分析−他機関に依頼

 実際には調査区域は仙台湾以北の沿岸域に限られ、各地におけるスズキの現況が明らかになるに従って、調査点・調査量(測定尾数・放流尾数等)の縮少もあったが、すべりだしは比較的順調であったといえる。しかし2年目の終りに近づいた現在、充分なる成果があったとはいえず、調査期間はあと1年を残すのみとなった。反省を含めて、これまでの調査のあらまし、問題点を若干紹介し、御批判を乞うものである。
 調査がはじまって以来、約2,500尾のスズキをとりあつかってきた。量的にはまだまだ不充分であるが、スズキの計画的な標本採集には困難性(魚価が著るしく高い・全体として陸揚量が少なくしかも時期による変動が大きい。1日の陸揚量が極く少ないため各魚市場での購入が困難等)がある。初歩的な問題であるが、この辺がスズキ調査発展の一つのネックでもある。
 現在までの調査を通じ、もっとも問題になるのが分布・移動の機構である。一般に深浅移動をするといわれているが、多分に局部的・時期的なもので、全海域(仙台湾〜三陸沿岸・青森県太平洋沿岸)を含めて大局的にみた場合は海域間の相互関係は不明である。例えば漁獲物の体長組成をみると、仙台湾のものは体長範囲10〜80pで、10〜30pの0・1年魚の出現比率が高い。釜石付近のものは25〜80p0年魚が出現しない。岩手県久慈付近のものは35〜80pで0・1年魚が出現しない。また最近の漁獲量をみると、太平洋北区は全国の10数%の約1,000トンであるが、県別には宮城県、福島県がそれぞれ300〜400トン、岩手県、青森県は50〜100トンにすぎない。このように北部海域は数量が少なく、0・1年魚が分布しないことになる。従来の知識(幼稚魚調査結果)あるいは沿岸各地の開きとり調査でも、幼魚・未成魚の明確な分布情報は全く得られていないことからも仙台湾以北の産卵場、幼魚・未成魚の成育場の存在が否定的になる。つまり仙台湾付近の産卵場を起源として、2年魚時代からの北上・南下回遊を想定させるものであるが、今までの標識放流の結果ではこの関係を裏付ける資料は得られていない。51年の放流では一尾ではあるが陸奥湾で再捕され、むしろ想定は否定的である。
 従来スズキの産卵は11月から1月に、河川の流入域や内湾、あるいは海岸近くの湖沼と短い川によって接続する海域の、大陸棚の水深50〜100mで行なわれ、発生した幼稚魚は春季から夏季内湾に生息し、一部は淡水域にも出現するといわれている。東北海区のスズキの産卵場として知られる仙台湾、茨城県沿岸は上記の条件によく適合する。北部海域でこれらの条件にやゝ類似する海域として、海岸に小川原湖や隣接小湖沼群を有する下北半島沿岸に注目し、51年に聞き取り調査を行なった。その結果、不確実な点は多いが、毎年の幼稚魚の出現・分布の可能性を示唆する情報を得ることができた。明年度は充実した標識放流を実施するとともに、この水域での幼稚魚の実態調査を行う予定である。
 最後に標識放流についてふれておきたい。スズキの標識放流は作業自体はそう難かしいものではない。魚体を海水からとりあげても激しく暴れることもなく、大気中に堪える時間も比較的長い。ただ魚体が大きい場合は、一人が魚体をおさえ、他の一人が標識をすることになり、体長等を測定し記録することになれば最低三人は必要である。標識放流にあって注意しなければならないことは、遊魚で釣りあげた場合も同じであるが、背鰭の太い針のような刺と、カミソリの刃のような鰓蓋をもっているので、素手でさわると思わぬけがをする。手袋をはめても作業終了後、手のひらや指は傷だらけになる。標識票はアンカータグで、第1背鰭の後部にタッギングガンで装着した。原則として標識した場所より沖合にもってゆき放流した。1網当りのスズキの数の少なさ、そして生簀における長期蓄養の困難さ(病気にかかりやすく死亡魚が多い)が多数放流を阻害している。50年度は岩手県普代村定置と広田町定置で成魚を約350尾、51年度は石巻湾て20〜30pの一年魚主体の未成魚を約400尾、普代定置と広田定置で成魚主体のものを約200尾放流した。
 再捕結果は短期再捕が多く、現在まではみるべき成果はない。ただ51年5月普代定置で放流したものの1尾が、6月に陸奥湾で再捕された事実は太平洋側のスズキの系群構造に新たな視点をいだかせるものてある。また長期再捕(3ヶ月以上)が全くなかったことは使用した標識票がはたして有効であったか疑問を与えるものであり、サケ・マス類でアンカータグが比較的短期間で脱落するという事実からも、スズキに適合する標識票・標識個所の再検討の要があろう。
 以上、表題に関連した調査研究の現況を述べた。水銀蓄積過程の解明に資するということはいうまでもなく大命題には違いないがそのプロセスとして従来手つかずに放置された本種の生態解明に一歩を進め得たことは大きな収獲である。そうしてスズキに限らず、古来から高級魚としてもてはやされた魚種、たとえばヒラメとかメバル類とかの生態は実は案外解明されていないという事実にあらためて注目せざるを得なかった。これらの問題も今後折にふれて関心を寄せて行きたいと考えている。

(八戸支所第2研究室)

Keiki Iizuka

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