魚の豊庫北部太平洋の魚類資源研究の新たな発展をめざして

安井達夫


 異常気象といわれる今年の寒い春のさ中、本州北端に近い八戸で、20余年の風雪に耐え、北の海の魚の研究と四つに取組んで、苦斗を続けてきた八戸支所の庁舎が、装を新たに大地に深く根を下して建築されました。
 かえりみれば、24年(約1/4世紀)前、敗戦の窮乏の中で、魚なら何でも高価に売れ、浜では札束が秤で量られたといわれた時、企業家達は我先きに漁業に投資し、機動力を持った中・大型漁船で進出し、しかもそれが、戦争をひき起した罰として制限された日本近海の狭い漁場の中にひしめき合ったため、父祖の代から漁業で生きてきた多数の沿岸漁民に深刻な打撃を与えながら、過剰投資による企業家間の生産競争をも激化させて、豊かな資源を急速に収奪していた時、漁業と資源の将来を心配した農林省水産試験場は、資源の収奪を防ぎ、恒久的に最大生産量を維持し、企業的漁船漁業者も沿岸漁民も共に永続的に安定した営業を持続させることを目標とした資源研究の必要性を痛感し、全国各地に調査研究網を張りめぐらそうと、拠点づくりを始めた。
 その一つが、昭和22年4月岩手県宮古市に設けられた宮古試験地で、これが後に八戸支所に発展したのであった。
 当時、北東・北海道太平洋沿岸近海漁場で、資源利用をめぐる矛盾が最も激しく現われていたのは、底魚資源利用をめぐる沿岸の刺網・延縄漁業と機船底曳綱漁業との間の直接的な漁場紛争と生産競合及び機船底曳綱漁業者間の漁場争奪(入会)と生産競争であった。宮古臨時試験地は、主としてこの問題解決のために設けられた。しかし宮古試験地の構成員が漁撈技術者であったため、単に漁船数を減らして資源維持を図ろうとするのみでなく、漁具漁法の改良によって労働生産性を高め、操業回数を減らすことによって、或いは深海その他の新漁場を開発することによって資源に対する圧力を減らすことを考え、底曳綱の改良実験や深海漁場調査などを試みた。そして、既存の漁場についても、漁場別の魚種組成・分布密度・年令別分布状態などを調査し、豊度の低い漁場や幼魚の分布が多い浅海での機船底曳綱の禁止を提案するなど、経験技術的な仕事が主であった。
 従って、宮古試験地を発展的に継承した東北水研八戸支所も、全国的には農林省水産試験場が8海区水産研究所に改編される中で、それまでの漁場開発や漁具漁法改良中心の技術的研究から資源解析研究へ重点が移行した後もなお漁具改良や深海漁場開発調査を行い、また綱目規制をめざした網目実験などにかなり大きなウェイトをかけていた。
 しかし、全国的には、いわゆるポピュレーション・ダイナミックスといわれる、漁獲強度と資源構造・量の間の関係を単純な数理論で表現した研究方法が、最も精密で平明な科学的方法であり、これこそが一見複雑な魚類資源問題を解決する唯一の手段であるとする考えが広まり、資源構造を相似的に反映していると考えられた産地市場水揚物の構造をとらえるための、標本抽出論にもとづくいわゆる陸上調査が全国的に行われ始めていた。
 八戸支所でも、その手法の優れた一面(経験的・試行錯誤的でなく理論的であること)を高く評価し、基本的にはそれを取り入れながらも、宮古試験地以来の数多くの漁船の操業実態調査や調査船による漁場調査の多くの経験的知識から、市場水揚物が決して資源構造を完全には反映していないこと、底曳綱漁業では、対象魚種が複数であって、漁獲努力が各魚種に平均的に加えられておらず、魚の分布の複雑な変動に応じて、漁獲努力の加え方も複雑に変化していることなどがわかっていたので、単に魚市場での水揚物と入港船数や総体的な曳網回数などの調査では、ポピュレーション・ダイナミックスの理論計算もできないと考え、漁船の1曳綱毎の操業記録が必要であるとしたが、多数の中小の経営体によって、しかも違反操業が当然のように行われていた当時の以東底曳網漁業から、そのような詳細な信頼性の高い操業記録を得ることは不可能であったので、漁船の中から委託調査船を選んで、その操業記録と漁獲物調査によって、市場調査の歪みを是正しょうと図った。そうした努力の中で、漁撈技術改良や漁場開発調査のような技術的な仕事が放棄されていった。
 しかし、昭和29年9月のかの有名な洞爺丸台風の際、調査員岩崎誠君を乗っていた委託調査船第11神海丸とその乗組員全員と共に失うという、痛ましい犠牲をはらったにもかかわらず、広大な海に棲む数多くの魚種の複雑な分布と構造及びその変動について、部分的知見は多数蓄積されたものの、全貌をとらえることは極めて困難であることが次第に明らかになり始めた。このことは、陸上調査に重点を置いていた他の海区の場合でも調査研究が進むに従って同様の事態にぶつかり始め、多くの魚種について、資源構造やその量的変動が、教科書に書かれたような単純なものではないことがわかりだした。そうした中で、数理論だけで追究しょうとする人々は、魚群の逸散・加入やその他種々の変動要因を考えた上で、理論式を手直しすれば、変動を近似式で表わせるとして、生物学的研究者がそうしたもろもろの変動要因についての知見を早く解明するように求めた。又、一方では魚種交替論やコミュニテイ理論が唱えられ、最後にそれらをすべて批判した形で、生物の適応性・変異性を基盤とした自己変動論とでもいうべき理論が唱えられた。
 そうした状況の中で、八戸支所では、あらゆる面から魚の生態を明らかにすることが強調され、環境・食物連鎖・種間関係・食餌量と成長・生態的変異・産卵習性・卵稚仔の分布生態・発生などの調査や実験的研究などが多面的に(悪くいえば手当り次第に)行われるようになったが、反面資源の構造変化や量的変化と生態的研究の結果との結合が弱かった。
 そうした資源研究の混迷を尻目に、漁業は沿岸近海の既利用資源を喰い荒して、おりから制限が解除或いは緩和された遠洋漁場へ、或いは漁撈技術の進歩や漁船の大型化によって大量漁獲が可能になった近海沖合の他の魚種(サンマ・サバ・スルメイカなど)の漁獲へと方向転換してゆき、底魚資源などをめぐる沿岸近海漁場での激しい矛盾は一応解消したかにみえ、研究面でもイワシ・底魚中心から、アジ・サバ・サンマ・スルメイカなど多面的に広がると共に、急速に進出した遠洋漁場での、国際的競合を背景とした資源研究がクローズアップされ始めた。
 八戸支所でも、底魚資源研究オンリーに対する漁業者の批判を背景に、昭和28年からスルメイカの研究を、またこの頃から急速に開発された本州北部のサバ釣漁業に対応して、昭和31年からマサバの研究を始めてはいたが、いづれも片手間仕事になっていた。しかし、漁業の実態が大きく変化する中で、昭和38年から底魚類の研究を大巾に縮少し、マサバ・スルメイカの研究を大さくとりあげることになった。
 漁業実態の変化とともに現われた漁獲魚種の変化や、漁獲努力の資源に与える影響の判定の困難さや、補充量の自然変動が意外に大きいことなどがわかるにつれ、その上昭和39年から始まった漁海況予報事業に強く影響されて、資源の維持・管理という思想が次第に薄れ、当面の資源量の大小判定とそれをいかに効果的に漁獲するかのための、漁況予測・漁場予測の研究が展開され始めたた。八戸支所のマサバ・スルメイカの研究もこの例外ではなかった。こうした研究の方向は、戦前の漁場論・漁況論的な研究と資源研究の中で蓄積された魚類生態の研究との結合を生みだし、その点では一つの発展といえる。 しかし、最近になって再び、各国が競合する国際漁場では勿論のこと、日本漁業が独占的に利用している遠洋漁場でも、或いは問題がなくなったと思われていた日本の沿岸近海沖合漁場でも、急速な漁撈技術の発達と漁船の大型化などによる資源の収奪による生産の頭打ちや減産が顕著になるにつれて、資源の先き行きが心配され始めた。
 東北・北海道沿岸近海の沖合底曳漁業の発展的延長である、いわゆる北転船によるカムチャッカ周辺漁場におけるスケトウタラ資源の利用問題、減船整理によって一時は解決したかにみえた東北海区沿岸近海底曳網漁場における沖合底曳網漁業の生産の頭打ちと小型底曳網漁船の増加と大型化による資源利用をめぐる相剋、旋網による漁獲の急増に伴う北部太平洋マサバの若令化と生産の頭打ら、漁船の大型化と他種漁業の行きづまりによる転換船の増大の中で、漁獲の影響は受け難いとされながらも、自然変動が著るしく大きいスルメイカ漁業の先行き不安など、八戸支所が一役買わなければならない問題が、矛盾を拡大しつつある。
 こうした情勢の中で、かつて試行錯誤的に思いつきのあれこれの技術的な手段を試みようとしたり、他人の研究方法をみさかいもなく模倣したあげく、不可知論の泥沼へおち込みかけ、手あたり次第の部分的研究を追求することに救いを求めたりした苦い経験を剋服して、苦しい中で積み上げた貴重な研究結果を基礎に、それぞれの魚種に特徴的な資源量変動の仕方とその主要な要因を魚の生態を明らかにする研究の中で追究してゆき、漁業の発展と資源の合理的利用について提言をしてゆきたいと考えている。
 従来それができなかったのは、資源研究がもたもたしていて一向に明確な結論をださなかったからだという内外の批判については、半面の妥当性は認めるが、資源研究を発展させるための各種情報の提供もせず、権力に強制されてしぶしぶ提供しても、自発的に資源を保護する気など毛頭なく、常に資源を極限状態にまでもっていってしまう漁業者自身及び漁業者をいつまでもそのような状態においている漁業政策・行政の立案執行者達により大きな責任があるということをはっきりと見て、研究者達は総ての責任が研究者にあるなぞという誤った責任感(それは一面では卑屈さの現われであり半面では傲慢さの現われであるのだが)を剋服して、あせらず怠たらず、科学的思考を深めて一歩一歩着実に前進すること、それが実は漁業者達にとっても最も役に立つ道であるという立場をしっかりさせて、内外の研究者達や漁業者・行政担当者達と討議を深め、互いに啓発されながら前進してゆくことが、装を新たにした建物に恥じない八戸支所の中味の発展の方向であると信じている。
(八戸支所長)

Tatsuo Yasui

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