発刊にあたって

所長 佐藤 栄


 研究者は,いまそれが国公立試験研究機関であれ,また大学であれ,いままでの専門領域の経験と知識をこえるような,大きな難しい問題に直面しているように私は思います。
 たとえば,当面する課題の1つに海洋開発があります。それだけを切りはなして捉えると,私たちは海の生産を拓くバラ色の夢をえがき,科学・技術の神通力を駆使して,その展望は果てしなく拡がります。そこでは,技術は「生産を合理化する方法」であり,既成の概念に捉われずに,近代的で万能な科学・技術を生産に結びつけるために,おくれた農・漁民と研究者を啓蒙しなければならない・・・・・・という熱っぽい論議に花が咲きます。
 ところで戦後の日本の経済再編成と高度経済成長のなかで,破壊された研究とその体制のたて直しが行なわれてきた過程で,研究者は科学にたいして社会が大きな期待をよせているにも拘わらず,研究の成果が現実の生産過程へなかなか結ぶついていかない,という苦い経験をたびかさねてきました。そのような経験のなかで,技術とは「人間実践における客観的法則性の意識的適用である」という問題意識が生まれました。それは戦後の日本の科学・技術の成果の1つであり,発展の1つの段階といえます。そこでは,技能と技術が区別され,また自然からとり出され,利用される「資源」と,「自然そのもの」との区別も明らかにされました。科学と技術と社会的生産の相互の関係も厳しく討議され,多くの若手研究者が農・漁村にとびこんでいって,その生活と生産過程のなかから研究課題をとりあげ,問題点を指摘してその解決に努力したことはいうまでもありません。こうして,研究者は農・漁民から多くのものを学びとり,技術主義あるいは生産力主義にたいして厳しい反省をかさねると同時に,科学の方法についても厳しい討議がはじまりました。そこでは,科学の方法の変化・発展が歴史的には人間の生活や生産様式に基盤をもつこと,また新しい生産関係を生みだしていく生産力の発展が,どのような科学の方法を理論的根拠として実現されてきたかということが,具体的に明らかにされはじめています。
 そしていま,農学研究者は戦後20年にわたって,新しい問題意識のもとで経験し研究してきた蓄積を,ようやく整理し体系化できる段階に達したように私が思います。そこでは「技術はつねに,社会の現実の労働過程にうちに存在し,生産手段の体系のうちにその場が与えられている」という問題意識のもとで,日本の海洋・漁業生物研究の発展が,歴史的には一定の規則性にしたがって実現されてきたことが明らかにされています。つまり,現実の社会においては生産力(労働と労働用具)と結合しない技術はありえないわけで,私たちは神通力をもった抽象的な技術ではなくて,現実の社会の生産過程のうちに実在する技術を問題にしなければ,空想と科学のけじめを失ってしまいます。もう少し具体的にいえば,私たちの研究が漁民あるいは漁業との関連のなかで,いかに生れ,発展してきたかということ,また現実の日本資本制経済の発展のなかで,研究がどのような条件におかれてきたかということが,科学的な歴史観のもとで捉えられることが必要であると思います。それを根拠として,研究の社会的位置づけと,将来の展望をえがくことができるまでに,戦後の研究活動の蓄積が高まってきたと私は思います。
しかし,一面において,科学・技術の神通力を過大に評価したり,あるいは科学・技術の限界性のみが強調されて,研究者の自己否定や日常性の否定を生みだす社会的条件も,また高まっています。したがって,研究者がそれぞれの専門領域をまもり,同時にまた広い視野のもとに,その専門領域をのりこえていくことの必要性が,今日ほど重要なことはないと私は思います。
せっかくこれからつくりあげていく研究所ニュースは,研究者の現実の日常的な活動の,生の動きを中心におきたいと思っています。そのなかで,私たちが,誰のために,何を,どのように研究し,どんな問題を抱えているかということを,いろいろな分野の研究者およびその関係の人々と,話しあい理解しあうきっかけが得られることを期待しています。

kiren

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