エゾアワビ当歳貝の生残に及ぼす冬季水温の影響

高見秀輝・西洞孝広*・遠藤 敬*

 
はじめに
エゾアワビの漁獲量は,1969年から1990年にかけて大きく減少し,近年は若干の回復傾向にあるものの,依然としてピーク時と比較すると低い水準にある。エゾアワビの資源量の減少は主に天然稚貝の発生量の低迷にあるものと考えられており,アワビの資源変動に大きな影響を及ぼす発育初期の減耗の実態とその機構を把握することの重要性が再認識されるようになった。
エゾアワビの加入には,冬季の水温が大きく影響を及ぼすことが推察されている(たとえば渋井 1984)。産卵盛期である8月下旬から9月下旬にかけて発生した個体は,水温の低下が著しくなる翌年1〜2月までに殻長5〜10mm程度に成長する。この時期の当歳貝の生残に冬季の水温が影響するものと考えられている。岩手県北部の田老沿岸域では,1〜2月の平均水温8℃を境として,それよりも低い年には越冬した1歳貝の出現量が少なく,8℃よりも高い年には出現量が多くなる傾向があることが報告されている(西洞ほか 2001)。しかし,この結果は越冬後半年以上経過し殻長20〜30mm程度に成長した1歳貝の生息密度に基づいたものであり,低水温が当歳貝の生残に直接的な影響を及ぼしているかどうかは明らかではない。
生活史初期におけるエゾアワビの減耗の実態については,サイズの小さな当歳貝(殻長約10mm以下)の発見自体が困難であり,また稚貝が高い密度で生息する場所も特定されていなかったため,報告例は限られている。近年,著者らは岩手県南部の岩礁域において,比較的高い密度でエゾアワビ当歳貝が出現する場所を発見することができた。本稿では,この場所における当歳貝の減耗過程を追跡し,冬季の低水温が生活史初期の生残に及ぼす影響を具体的に明らかにした研究成果を紹介したい。

調査場所,調査方法
調査を行った場所は,岩手県南部の大船渡市末崎町地先に位置する門之浜湾内の水深5〜10mの岩礁域であり,底質は紅藻無節サンゴモが優占する岩盤および転石が主体となっていた。調査場所海底に2m×2mの方形枠を無作為に4〜5点設置し,枠内に出現した当歳貝をすべて採集し殻長を測定した。このような調査をエゾアワビの産卵盛期から約1ヶ月後となる10月から,水温の低下が著しくなる翌年の2月にかけて5年間にわたって実施した。また,湾内の水深5m帯に自記式水温計を設置し,調査期間中の24時間毎の水温データを記録した。

当歳貝の生息密度の変化
5年間の調査結果のうち,1999年発生群と2000年発生群において,対照的な生残過程が観察された。
 図1に1999年10月から2000年2月にかけて行った当歳貝の生息密度と殻長組成の変化を示した。10月4日に平均殻長4.9mm,生息密度1.55個体/m2で出現した当歳貝は,次回調査時の12月においてもほとんど生息密度が変化せず,さらに翌年2月下旬の調査時においても依然として高い密度で生息していた。これらの当歳貝のコホートに対して,調査期間中に新規の加入がなかったものと仮定し,1998年12月(1.55個体/m2)から翌年2月(0.8個体/m2)までの生息密度の変化から当歳貝の生残率を求めると約51.6 %となる。
 2000年に発生した群については,同年11月24日の調査時に平均殻長2.7mm,生息密度1.2個体/m2で確認された。その後,翌年2001年1月23日まで,生息密度に大きな変化はみられなかった。しかし, 2001年2月23日の調査では,当歳貝は全く発見できなかった(図2)。
このように,2月におけるエゾアワビ当歳貝の生息密度は,年によって大きく変動することが明らかとなった。

冬季水温と生残率の関係
上述したような,冬季,特に2月以降に見られる当歳貝生息密度の年による変動は,この時期の生息場所の水温と密接に関係しているものと考えられた。図3は,東北区水産研究所混合域海洋環境部がホームページ上(http://ss.myg.affrc.go.jp/kaiyo/temp/temp.html)で公表している三陸周辺の2000年および2001年2月の表層の水温図である。当歳貝が高い密度で分布していた2000年2月では,三陸沿岸は5〜10℃の比較的高い水温であったのに対し,当歳貝がほとんど生息していなかった2001年2月を見ると,調査海域である三陸沿岸南部に親潮系冷水が接岸し,この海域の水温が5℃以下に低下しているのが分かる。
図4は1996年から2000年に発生した当歳貝について,12月と翌年2月における分布密度の差から求めた各年の生残率と自記式水温計によるの2月下旬の平均水温との関係を示している。このように水温が低い年には当歳貝の生残率が著しく低下するといった非常に明瞭な関係をみてとることができる。
殻長1mm程度のエゾアワビ稚貝では,室内実験により水温が2°C以下で死亡し始めることが報告されている(Kan-no and Kikuchi 1962)。三陸沿岸では,親潮系冷水が接岸した場合でさえ,沿岸域の水温は4°C前後であったことから,低水温がエゾアワビ当歳貝の直接の死亡原因となる可能性は低いものと考えられる。しかし,殻長6〜11 mmのエゾアワビ稚貝を水温別に飼育し,それぞれを人為的に起こした波浪にさらした場合,水温4℃以下になると稚貝の付着力が著しく低下し,基質から剥がれやすくなることが報告されている(西洞ほか 2001)。このことは,水温が低いほど波浪や被食による稚貝の減耗を増大させることが推察され,冬季の低水温は当歳貝の生残に重大な影響を及ぼしていることが考えられる。

今後の展開
 このように,当歳貝の生残には冬季の水温が大きく影響することが明らかとなった。しかし,冬季水温が高かった年でもエゾアワビ1歳貝の加入水準が極めて低い場合があることが報告されており(西洞ほか 2001),単純に冬季水温の影響だけで稚貝発生量の変動を説明することはできない。北海道奥尻では,親貝の密度が翌年の稚貝発生量の最大値を決めることが示唆されている(田嶋ほか 1996)。また,浮遊期を経て着底・変態した初期稚貝は,冬季を迎える前の変態後1ヶ月の間に著しく減耗することが知られている(Sasaki and Shepherd 1995, 2001, 高見 2002)。この間の主な減耗要因として,室内実験によって飢餓(Takami et al. 2000)や被食(Naylor and McShane 1997)が推察されているが,実際の天然環境下でこれらの影響について検討した例は限られている(Sasaki and Shepherd 2001)。エゾアワビ稚貝の加入量の変動様式や機構をより詳しく理解するためには,産卵量や変態直後に見られる初期減耗の程度を規定する要因について明らかにする必要がある。

引用文献
Kan-no, H. & S. Kikuchi (1962) On the rearing of Anadara broughtonii (Schrenk) and Haliotis discus hannai Ino. Bull. Mar. Biol. St. Asamushi Tohoku Univ. 11, 71-76.
Naylor, J.R. & P.E. McShane (1997) Predation by polychaete worms on larval and post-settlement abalone Haliotis iris (Mollusca: Gastropoda). J. Exp. Mar. Biol. Ecol. 214, 283-290.
西洞孝広・野呂忠勝・藤嶋 敦・遠藤 敬・山口正希・長洞幸夫 (2001) 磯根資源の初期生態の解明に関する研究(岩手県).水産業関係特定研究開発促進事業「磯根資源の初期生態の解明に関する研究」総括報告書41-80. 水産庁.
渋井 正 (1984) 岩手県におけるエゾアワビの生産変動と諸環境要因との関係.栽培技研13, 1-20.
田嶋健一郎・高谷義幸・大崎正二・中多章文・宮本建樹・干川 裕・川真田憲治 (1996) 親貝資源状態の把握.「特定研究開発促進事業−アワビの再生産機構の解明に関する研究−総括報告書」.21-43. 水産庁.
高見秀輝 (2002) エゾアワビの生活史における食性,生残,成長に関する研究.東京大学学位論文220 pp.
Takami, H., T. Kawamura & Y. Yamashita (2000) Starvation tolerance of newly metamorphosed abalone Haliotis discus hannai. Fish. Sci. 66, 1180-1182.
Sasaki, R. & S.A. Shepherd (1995) Larval dispersal and recruitment of Haliotis discus hannai and Tegula spp. on Miyagi coasts, Japan. Mar. Freshwater Res. 46, 519-529.
Sasaki, R. & S.A. Shepherd (2001) Ecology and post-settlement survival of the ezo abalone, Haliotis discus hannai, on Miyagi Coasts, Japan. J. Shellfish Res. 20, 619-626.
(海区水産業研究部沿岸資源研究室・岩手県水産技術センター*)

Hideki Takami