リボゾームDNAの変異を利用した種判別法
斉藤憲治

 水産分野ではさまざまな局面で類似種を識別する必要性が現れる。資源調査や,増殖漁場における生態調査では,対象種と近似種の識別が不完全だとその信頼性が大きく損なわれる。仮に親の識別が容易でも,資源変動や生き残りの鍵になる初期生活史において近似種との識別法が確立していないと,調査の精度向上はおぼつかない。水産食品の加工流通段階では,原型が失われた製品の原材料表示の検証は多くの場合困難である。
 近年のDNA技術の驚異的進歩は,生物のDNA配列レベルの変異の検出を著しく正確で簡便なものにした。DNAの配列情報はデジタルなものである。これは,2つの異なるタイプ間ではその異同にあいまいさがないことを意味する。したがってDNA技術を応用すると,もともと生物学的に明瞭に分かれているはずの種間の差異を検出することは容易であると予想される。小文では日本産サバ属の2種マサバ(Scomber japonicus)とゴマサバ(S. australasicus)の種判別に,核DNAであるリボゾームDNA(rDNA)介在配列の種間変異を利用した例を紹介し,リボゾームDNAを魚類の種判別に用いる利点と留意点について述べる。

rDNAを選んだわけ
 サバ類はかつては日本の沿岸から沖合にかけて大量に漁獲される大衆魚であった。1970年代にはコンスタントに100万t/年を越える漁獲があったが,1980年代後半から急速に漁獲量が低下し,1990年以降低水準かつ大きな年変動を示すようになった。漁獲年齢も2〜4歳主体が0〜1歳魚主体になった。サバ類の資源状態のモニタリングや資源保護策の策定が急がれる。ところが,マサバとゴマサバは形態的類似性などより,漁獲統計上区別されずに扱われることが多かったため,資源変動のモニタリングや許容漁獲量の算出に用いるには漁獲統計のデータは万全とは言えなかった。両種の未成魚〜成魚については形態的に識別可能なので(花井 1999),市場関係者に識別法が徹底されれば漁獲統計データは整備されると思われる。しかし,卵や仔稚魚の識別は困難なため,初期生活史や生残過程の研究に困難をともなうことがあった。
 そこで,両種間におけるミトコンドリアDNA(mtDNA)の塩基配列の差異を利用した識別法が開発された(和田 1997,瀬崎ほか 2001)。mtDNAは細胞あたり数千コピー存在するので,検出しやすいという利点がある。ただし,mtDNAは母系遺伝をするので,仮に両種の交雑個体があっても識別はできない。また,mtDNAは核DNAとちがい,受精と減数分裂に伴う組換え現象がないため,種内変異がどれぐらい蓄積しているか予想しにくく,種内変異による誤判定のリスクを常にともなう。
 これに対してrDNAはmtDNAと同様にマルチコピーで検出条件が緩いだけでなく,両親から遺伝するため交雑個体の識別も可能である。また,組換え現象によって種内に生じた変異が均一化されるため,種内には変異が少ない一方,種ごとに独立に突然変異が蓄積するため,種間では変異がみられると予想される。とくにITSと呼ばれる介在配列は進化速度が大きいことが知られており,種間変異は大きいと思われる。rDNAにもとづく種判別は,したがってmtDNAに比べて誤判定リスクがかなり小さいだろう。そこで,rDNAの種間変異を足場にサバ類の種判別技術を開発しようと計画した。

三重苦
 研究を始めた当初は1年もあれば片がつくと考えていたが,予想に反して困難をともなうものであった。戦略としては単純。マサバとゴマサバのITS配列を何個体か決定し,種間変異部位を特定してそれを足場にPCRプライマーを設計,PCRで種を判別するというもの(図1)。しかし,rDNAの配列は一般にGC含量が高く,PCRや塩基配列決定の過程で必須のシンプルな1本鎖構造を取りにくい傾向がある。サバ類のITS配列もその例外ではなかった。はじめのうちはITS配列はPCRすることすら困難で,またPCRできてもその配列決定は不可能だった。また,調べていくうちに,同じ個体から得た配列間にわずかずつだが変異があることがわかった。これではPCR産物を直接に読むわけにいかない。そこで,PCR産物を電気泳動ゲルから切り出して精製,プラスミドにつないで大腸菌に組換えて多数のクローンを読み,その共通配列を求めるという手法を採用せざるを得なかった。しかも,ITS配列を組み換えた大腸菌の増殖が遅く,プラスミドの収量も低いという問題もあった。
 このように,PCRできない,殖えない,読めないという三重苦の前に,仕事は遅々として進まなかった。しかし,実験条件をさまざまに工夫し,また1998年暮に発売された新しい試薬を用いることにより,2000年秋ごろまでには一般的なPCRクローニングによる塩基配列決定法と同等の効率で読めるようになった。最終的にマサバとゴマサバそれぞれ5個体について,18SrDNAの末尾〜ITS1〜5.8SrDNA〜ITS2〜28SrDNAの先頭までの約1300塩基の配列決定を行った。

サバ類のITSと種判別
 サバ類のITSは1がマサバで598塩基,ゴマサバでは612〜616塩基,2がそれぞれ514塩基,506〜515塩基であった(図2)。マサバでは個体間でも,大腸菌に組換えたクローン間でもほとんど配列に違いはなかった。個体ごとの共通配列でみるとわずかにITS1中に1個体1カ所のみ塩基置換がみられただけだった。一方ゴマサバではITS領域にかなりの個体内変異を含んでいるらしく,クローン間での配列の差異が頻繁に観察された。とくに同じ塩基が数個以上続いて現れるところでは,10クローン以上読んでも何個続いているのか共通配列が決まらないことがあった。また,ITS2には連続した8塩基がすっぽり抜け落ちた個体内変異がみられ,同一個体に由来するクローンを多数読んでいくと,8塩基の抜け落ちのない長いタイプと,抜け落ちのある短いタイプの2タイプを持つ個体が5個体中3個体みられた。ゴマサバにみられた個体内変異は,そのほとんどが長さの変異で,塩基置換はマサバと同様に希だった。当初の予想とは違い,ゴマサバに思いのほか個体内変異があったが,これも共通配列としておしなべてみると個体間変異はむしろ希で,ほとんどは同じ塩基の連続にある1塩基長の差異だった。このような変異は,PCRで種の判別をする際のプライマー設計には影響しない。
 さて,肝心の種間差である。ITS1には木村の2変数法(Kimura 1980)で計算するとなんと約12%も塩基置換が生じていた。これに対してITS2には約2%の塩基置換が推定された。さらに,ITS1には,マサバに連続20塩基の抜け落ちがあった。この領域をはさむ両種に共通の配列を持つプライマーでPCRしてやると,増幅産物長で種判別が可能と予想される。この方法では1回のPCRと電気泳動だけで判定できるだけでなく,結果が安定し,誤判定(誤って増幅,または誤まって非増幅)のリスクが小さいと思われる。プライマーの位置はITS領域の中の,約200塩基離れたところに設計した。こうすると20塩基の差異は増幅産物の10%程度となり,電気泳動で簡単に識別できる(マサバは204塩基,ゴマサバは226塩基)。また,ITSという進化速度の大きな領域にプライマーを設計したため,サバ類以外の魚種では増幅がおきないと予想される。PCRする領域が短く絞り込まれたため,PCR条件はかなり緩和されるという利点もある。
 結果は明瞭であった。PCRによるDNAの増幅も良好であった。形態で識別された個体(マサバ476,ゴマサバ405,不明13個体)について調べたところ,ほとんどは形態的識別と一致したが,希に矛盾する結果が得られた(マサバ→ゴマサバ10,ゴマサバ→マサバ17,雑種3個体)(図3)。この結果は形態的識別法(花井 1999)の精度が96%以上であると検証されたことを意味する。マサバとゴマサバ両種の産卵場である伊豆諸島近海から得られたホルマリン固定卵48個についても同様にPCRによる種の識別を行った。その結果,マサバのほうがゴマサバより卵径が小さい傾向がわかったが,重複もみられた。
 サバ類のrDNAのITS領域は多少個体内変異がみられたが,共通配列としておしなべてみると個体間変異はむしろ希で,一方で種間変異は大変大きいという特性を示した。このような特性は,染色体上に多数存在するrDNAのそれぞれに偶然生じる突然変異と,それを組み換え現象により均一化しようとする作用のバランスの上に生じているのだろう。個体内変異がマサバよりゴマサバで大きいのは,突然変異率に種間差はないだろうから,均一化が追いつかないほどに大きな集団であるか,交流はあるがある程度は独立したいくつかの分集団の集合からなっている可能性を示している。漁獲量の推移から,ゴマサバがマサバよりも大集団だとは考えられないから,ゴマサバはいくつかの分集団からなるのではないか。
 2〜12%という種間での遺伝距離は,たとえばmtDNAの一部1141塩基の領域でみられた1.6%(瀬崎ほか 2001)と比べても大きい。しかも,ITS領域には多くの塩基の抜け落ち(長さの差異)があったのに対し,mtDNAにはそのようなものはなく,この点でも種間差は大きい。このように,rDNAのITS領域は当初の予想どおり,種内変異は小さく種間差が大きいうえに雑種も識別できるという,DNAによる種判別に用いるに適当な領域であることがわかった。

rDNAのITS領域による種判別の将来性
 rDNAのITS領域による近似種の識別がどんな魚類のグループでも容易なのかどうかについては今後の研究を待たねばならない。現在,魚類については大量のmtDNAの配列がDNA配列の国際データバンクに登録されている。一方rDNAのITS領域は数種のサケ科を中心に,コイ,フグ,カゴカマスなど数えるほどで,その多くは全長ではなく部分配列である。研究が進まないのは,ITS領域の進化様式がよくわかっていないために,その点での研究蓄積のあるmtDNAに比べて系統や生物多様性の解析などに使いづらいということと,塩基配列を読みにくい領域であることが理由であろう。今回の経験で,実験条件を改良すれば塩基配列決定はそれほど困難ではないことがわかった。もし多くの種についてデータが整備され,魚類全般における変異性や進化傾向がわかったら,ITS領域の種判別についての有用性が高まると思われる。今回の研究はサバ類という限定的な有用性しかないが,たとえば数100種というITS領域の種特異的配列データを保有することは,最近急速に開発が進んだアレイ技術(Forozan et al 1997)を組み合わせた1度に多数の候補から種を特定する技術の開発などを可能にするという点で,大きな知的財産になると思われる。

引用文献
Forozan F, Karhu R, Kononen J, Kallioniemi A, Kallioniemi OP. 1997. Genome screening by comparative genomichybridization. Trend Genet 13,405-409.
花井孝之. 1999. 尾叉長と第1背鰭基底長による判別指数. In 水産庁水産業関係試験研究推進会議マサバ・ゴマサバ判別マニュアル作成ワーキンググループ(ed): マサバ・ゴマサバ判別マニュアル, pp10-15, 中央水産研究所.
Kimura M. 1980. A simple method for estimating evolutionary rate of base substitutions through comparative studies of nucleotide sequences. J Mol Evol 16,111-120.
瀬崎啓次郎・久保島康子・三谷 勇・福井 篤・渡部終五. 2001. ミトコンドリア・シトクローム b 遺伝子によるマサバおよびゴマサバの種判別とホルマリン固定浮遊卵同定への応用. 日水誌 67,17-22.
和田志郎. 1997.mtDNAの多型によるマサバとゴマサバの判別. 平成9年度日本水産学会春季大会講演要旨集, 55.

(海区水産業研究部 資源培養研究室)

Kenji Saitoh