海苔養殖の今と昔

吉田忠生


 昭和37 (1962) 年8月に私は東北水研増殖部に赴任して、まずは海苔養殖の勉強を始めた。このころにはすでにアサクサノリの生活史が黒木宗尚部長によって解明され、その応用として貝殻を基質にコンコセリス糸状体を培養して胞子をとる人工採苗の技術も普及していた。私の勉強は桜井保雄さんの指導のもとにひび建てからスタートした。まずは松島湾内の漁場で天然採苗で養殖を開始し、その経過をひびの上での個体数変動など、これまでとは違った視点から見ることにした。ひびにはアサクサノリが着生してよく生長した。収穫は手摘みでおこない、収穫による個体数の減少も調べてみた。当時、すでに海苔漉きには機械が導入されていたけれども、海苔簀は一枚一枚枠にかけて乾燥するのがふつうの手順だった。水研の庁舎の近くでは天日干しも行われていた。その後も毎年数枚の試験ひびを設置して養殖の経験をつんだ。
 昭和40 (1965)年ころまでには、コンコセリス糸状体の生理生態も明らかにされ、人工採苗は漁民の手で実施されるようになり、人工採苗技術については研究者の手を離れていった。海苔養殖に関するつぎの課題は病害で、佐藤重勝さんや佐々木実さんと赤ぐされ病菌を培養してみたり、白ぐされ症とは何かを調べたりするのを中心のテーマであるとしていたときに、札幌に転出することになって、昭和43 (1968)年からは私自身海苔養殖研究から離れてしまった。病害の問題は、この頃開発されたひび冷凍保存の技術によって回避され、研究も下火になってしまったようだ。
 その後の発展は、昭和45 (1970)年ころから、選抜育種によって生長の良い系統が創り出されたことだった。特定の個体から胞子を取って次の世代を得ることが可能になったために、アサクサノリからオオバアサクサノリが、スサビノリからナラワスサビノリが選抜を重ねて育種され、生産の増加に大きな役割を果たした。残念なことに、育種に関しては研究機関が主役になれなかった。
 札幌に移ってからも、「海苔タイムス」を購読したりして、海苔養殖業に関心を持ちつづけているつもりだった。私が海苔研究の現場を離れて30年も経った平成5 (1993)年になって、水産資源保護協会に勤めておられた小達 繁さんに呼び出されて「希少水生生物保存対策試験事業」の水生植物部会に参加することになった。ここでいろいろな水生植物の種の基礎資料を検討して明らかになったのは、アサクサノリが生育している場所がほとんど無くなっていて、絶滅危惧種と判定される状態であるということだった。
 平成10 (1998)年度からは、アサクサノリなど生存が問題となっている種の現状調査が始まり、ふたたび海苔養殖の現場を尋ねることができた。松島湾の周辺では、秋山和夫さんや他の方に伺ってもアサクサノリが自生している所はないとのことで、隔世の感を強く持った。この30年あまりの間に、全国の養殖海苔の生産量は30億枚くらいから100億枚に増加し、この数年安定しているようである。しかし経営体数は 1/5 か 1/6 に減少してしまった。経営は大規模化し、海苔漉きから乾燥まで全自動の機械が導入されて、工場生産のように製造されている。漁場も湾内のひび建てから沖合いの浮き流し漁場に移行し、松島湾内のひび建て養殖は見られなくなってしまった。それとともに養殖対象種もアサクサノリ主体から、生長がよく色落ちしないなどの特性をもつナラワスサビノリという養殖品種や、それに由来するという系統の品種が大部分を占めるようになっていた。
 平成11 (1999)年になって、宮城県内の沿岸をあちこち探して、亘理町鳥の海、石巻市万石浦、桃生郡長面浦の3箇所で干潟に生えているアシの根元や杭に生育しているアサクサノリを見つけることができ、野生状態でまだ細々と生き延びていることは確認できた。遺伝子保存のためのジーンバンクで、アサクサノリのコンコセリス糸状体は維持されているとは言うものの、野生の個体群は今のところ宮城県以外では3箇所知られているだけのようである。東北地方から九州まで広く分布し、とくに内湾にはごくふつうであると信じていた種類が、わずか30年あまりの間に希少な生物であると言わなければならなくなった変化には、この種類だけではないとはいえ、改めて驚いている。
 戦後の海苔養殖拡大期には、水産研究所や水産試験場の研究者・技術者が技術開発やその普及に指導的な役割を果たした。アサクサノリの生活史解明とそれに基づく人工採苗技術の開発が現在の安定した収穫をもたらしたことは明らかである。ノリに限らず、ワカメの場合でも、養殖業として定着し、生産量が需要を満たすようになると、研究への要求は少なくなり、研究体制は縮小される。これが応用科学、技術研究のふつうの状態ではあるけれども、研究機関が産業の跡追いをするのではなく、産業をリードする方向性をもつことがこれからも必要であろう。
(元 増殖部)

Tadao Yoshida

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