調査船の思い出

田村和一


はじめに
 創立50周年おめでとうございます。光蔭矢の如し、長い月日の経過、人の記憶には曖昧で漠然たるものが有ります。文中には事実との相違や誤謬等が有るかと思われますがお許しの上、訂正の程願います。
 私は夢と希望に胸を膨らませて、昭和23年8月、農林省水産試験場調査船第一旭丸へ乗船しました。以後、(昭和24年8海区制の機構改革により東海区水研配属となり、更に昭和25年10月東北区水研配属となった)退職する迄の40余年の長い歳月を一貫して調査船の一員として、その作業及び運航に従事してきました。この間、悲喜こもごもの事態に突き当ましたが全員の力で乗り越える事ができ明るい希望のある日を迎えることが出来ました。各船の調査の大要は下記の通りですが、印象に残った事を付記して置きます。
 東北区水産研究所の益々の発展と若鷹丸の安航並びに皆様のご健勝を祈って居ります。 又、記載にあたり協力して戴いた諸兄に感謝致します。
第 一 旭 丸
1947年12月 千葉県勝浦市 旭造船所建造 木製
      総屯数 56屯06
千葉県野島埼沖より北海道太平洋沿岸に到る海域の海洋観測及び漁業資源調査等
1 底魚調査(以東機船底曳網による)
 イ 定点調査(襟裳、苫小牧、広尾、八戸、金華山、小名浜沖)
 ロ 二艘曳調査(委託調査船との合同調査)
 ハ アブラツノザメ標識放流
 ニ 底魚卵稚仔調査
 ホ スケトウダラ標識放流
2 秋刀魚調査
 (棒受網、流し網による漁獲、流れ藻追跡、採集、産卵調査等)
3 イカ、サバ資源調査(流し網、一本釣りによる標識放流)
4 海洋観測
5 その他:1949年小樽港を根拠地とした北海道北西沿岸底魚調査
 乗組員の年齢構成が若く常に活気に溢れ和気藹々ムードでした。又、ユーモアやエピソードにとみ、「スパイカ騒動」、「ペースト騒動」、そして「船舶行方不明事件」等、枚挙に遑が有りませんでした。
 船型が「弓」の様にソリがあった為、外部の人々からは「弓船」と言うニックネームが付いていました。

わかたか丸
1960年 三重県伊勢市 強力造船所 木製
    総屯数 83屯84
千葉県野島埼より北海道太平洋近海に到る海域の海洋観測及び漁業資源調査等
1 底魚調査(以東機船底曳網による)
 イ 定点調査(八戸、宮古、釜石、金華山沖)
 ロ スケトウダラ及びアブラツノザメ標識放流
 ハ キチジ産卵調査(L、NETによる)
 ニ 底魚類卵稚仔調査(底魚類補充機構の解明)
 ホ 海底海流瓶調査(環境)
2 イカ・サバ調査(岩手県〜道東沖、伊豆沿岸〜大島沖、日本海秋田沖、標識放流)
3 サンマ調査(第一旭丸と同じ)
4 津軽暖流及び暖水塊調査
 注:各調査には全て海洋観測が実施されている。
チリ沖地震による大津波に遭遇
1960年5月21日チリ沖で発生した地震により津波が発生、遥か赤道を越えて我が国に翌22日早朝から来襲し、港湾施設を始め船舶及び付近の民家に多大の被害をあたえた。当時、本船は新船建造レセプションのため新井田川の市営第2魚市場に繋留されていた為、最悪の状態で津波に遭遇した。荒れ狂う激流、その凄まじさは身の毛も逆立つ思いでした。全員必死の退避行動により九死に一生を得ることが出来たのは、日頃の沈着な行動が実証されたものと思います。

わかたか丸II
1970年 大分県臼杵市 臼杵鉄工所建造 鋼製
    143屯26⇒170屯81⇒174屯35


 房総沖より根室沖に到る太平洋近海に於て海洋観測及び漁業資源調査を行う。その主業務は採水、測温、潮流等の海洋観測、
 稚魚、魚卵、プランクトン採集及び浮魚を対象とする魚群探査並びに底曳調査等 1 底魚調査(以東機船底曳網及びオッタートロールによる、1977年より200海里資源調査と改称される)  イ 定点調査(八戸 宮古 金華山沖)    1990年よりオッタートロールとなったため、小名浜沖が追加された。  ロ 俊鷹丸との合同調査(金華山沖)  ハ 底魚類卵稚仔調査(L、NETによる中層曳) 2 漁海況予報の為の調査(のちに太平洋イカ漁場一斉調査となる)   スルメイカ、アカイカの釣獲試験及び標識放流、定点観測、三陸〜道東沖合 3 三陸沿岸サケ、マス調査(別枠研究) 4 津軽暖流及び暖水塊調査(海洋部及び八戸支所) 5 IBPのための調査(仙台湾担当:東北大学との合同調査) 6 放射能調査 7 その他:ソビエトによる大韓航空機撃墜事件のための海域調査      (オホーツク海担当)
蛇行の問題
 建造も最終段階に入り各項目について試運転を行ったところ、予想もしなかった蛇行と云う問題に直面した。これは蛇が「くねくね」動く様に、船が全く予想もつかない方向に航走するので運航上大きな問題となった。特に出入港及び狭隘なる場所での操船では影響が大きかった。その究明、対策には各大学の協力を仰ぎ工事を施し多少改善されたが、私が在職中には全面的解決には至らなかった。
船体ジャンボ他
 1979年船体の安定と乗組員の環境改善(特に居住区の改善)を目的にジャンボ(船体中央部で3Mの延長工事)を 千葉県館山市 極洋船舶工業KKで行った。
 また、航海計器の発達は素晴らしく、新計器を設置するため船橋後部を延長した。
(元 わかたか丸)

Minekiyo Hasegawa

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