東北水研の想い出

少作昭二


 昭和46年(1971)より48年5月迄の2年間東北水研にお世話になりました。
 その土地に永く住んでいるとその土地の価値が判らなくなると云うことがありますが、職場も同じで、他から短期勤務した者が却ってその研究所の価値を知るのではないかと思いまして東北水研50周年記念文集に「想い出」を書かせて頂きました。

 東北水研庶務課に新たに課長補佐のポストが設けられ、日水研−遠洋水研と歩いた私はそろそろ新しい職場があれば移ってもよいなアーと考えていたところ、初代課長補佐のお声がかかりました。
風薫る5月静岡県清水からホンダの軽自動車に親子4人が乗って仙台の青葉城跡、川内住宅へ。あこがれの仙台でした。
 仙台から塩竃は車で25km。当時はそんなに車も混んでおらず快適な通勤でした。当時の庶務課は用度係長が欠員で私が兼任を仰せ付かり、永沼さん、西川さん、加茂君がスタッフでした。
 用度係と云うところは研究部門とのつながりが常にある部署でこの係を担当させていただいたのは幸いと思います。
 資源・海洋部門は今までいた水研での経験から業務内容はほぼ理解できますが、増養殖業務は初めての出会い。東北水研では増養殖研究設備が充実された直後で菅野さんを中心に菊地さん・浮さんのアワビ増殖、秋山さんの海藻、遊佐さんの魚類と顔ぶれも多彩でした。
 私の出勤初日の歓迎会で菅野さんから「少作と呼ぶのは高橋章策さんの章策と混同(高橋さんも2人おられたため)するので少さんと呼ぶことにする」と宣言され以後ショーさんショーさんと可愛がって!?頂きました。

 丁度私が着任した年は東北水研増殖部としては大型プロジェクト事業としてアワビの「海中造林」が始まる。特別研究として岩手県山田で「サケ養殖事業」が始まる。大型の調査挺(モーターボート)が配備されるなど他の水研では考えられない盛り沢山な内容でした。
 特にアワビのための海中造林は宮城県女川湾と青森県尻屋の浜焼けした海底へ、荒縄を組み合わせたロープに海藻の胞子を着けたひもを巻き付けて網状に組み合わせたものを広範囲に海中へ設置。海藻を繁茂させアワビの増殖をはかると云う他の追従を許さぬ内容。しかも事業予算は小さい水研(失礼、ご免ナサイ。)の一年分の研究費に匹敵する額ですから用度係としては緊張の連続でした。
 菊地さんは現地の漁業協同組合と打合せを重ね、この海中造林資材の組み合わせ制作を依頼され、海中への設置も菊地さんの指導のもとに漁業者の皆さんが担当され、まさに研究と漁業が一体となり始めてできたプロジェクトと云えます。
 私も何度か菊地さん、浮さんと一緒に現地を訪れ、漁業者の方達と会い飲めない酒をくみかわしたことがありますが、現地の方々の菊地さんへの信頼は厚く、漁業者の要望が生きた研究を初めて体験しました。
 この体験がその後の西海区や(財)海生研の仕事で役立ち、私の良き想出となっております。
 一方岩手県山田でのサケの養殖事業は山田湾の一部を仕切って、サケの稚魚を成魚になるまで養殖しようと云う試み。菅野さん直属のプロジェクトで現地山田町の柏木さんという方が業務を担当されており私も何度か山田へ行きました。風光明媚な地で当時から道路は整備されており、魚も美味しく、養殖のサケもどんどん大きくなり楽しい調査でした。
 この事業の終了したとき養殖サケをサシミで食べましたがエサの関係か、脂がのって大変美味しかったのを覚えています。
 この試験に従事された柏木さんが(財)海生研の総括研究員として8年間私と一緒に仕事をすることになるとは・・・人の出会いの不思議さを感じさせます。

 私の東北水研での想い出の一つに佐藤 栄所長との語らいがあります。八戸支所竣工開所式の帰りだったと思いますが、病気の折病院で沢山の薬を出されたが飲まずに捨てた話で、人間と云うものは自然が一番良い薬だと云われ、今でも私の人生観として生きております。
 私が東北水研を去る少し前に会計検査院の検査があり、受検しましたが東北水研の研究姿勢を高く評価されたようで、午後3時に検査を終了され、あと海中造林のビデオを観られ帰られました。後日検査官の方から私宛にハガキを頂き、私の永い事務生活の中でこのようなことは一回限りの体験でしたので、東北水研2年間の総括としての想い出となっております。
 このように2年間楽しく過させて頂けたのは当時の庶務課の皆さまの厚いご支援があったればこそと感謝し、一方研究者の方々の心温まるお付き合いを頂いたお陰と今でも想い出がつきません。

(元 庶務課)

Shoji Shosaku

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