水研人生のなかでの東北水研

佐野 蘊


 水産庁研究所生活38年余のうち、昭和62(1987)年12月から平成4(1992)年3月まで、4年3ケ月ほどの、東北水研における生活は、最終部署の第11代所長として、研究所の管理業務を担当したに過ぎなかった。しかし、当方が務めた所長の任期は、東北水研にとっては、初代を除くと、長い期間の部類に属する。
 所長として着任する以前に、東北水研への訪問・交流の機会を持ったのは、文献資料・情報収集のために、1*昭和29(1954)年 塩釜本所へ、2*昭和34(1959)年 八戸支所へ、そしてサケ別枠研究の際の研究集会で、3*昭和53(1978)年頃に塩釜本所等へ立ち寄ったことがあっただけの、僅かな経験しか持っていなかった。しかも、水産庁研究所で担当した調査研究において、東北水研担当海区に実務の関連を持ったことは、皆無に近かった。
 ほとんど無縁であったこの東北水研へ、異動の内示を受けていた昭和62(1987)年秋のある日、同僚の一人から 『近々、所長として転出するようだが、塩釜だけへは行かない方が良いよ…』 と、慰めともつかぬ忠告を受けたことがあった。当時、水産庁研究所長の職務のなかで、東北水研は一番やりにくい難所であると、関係者間で風評されていた。
 そもそも当方にとって、水産庁研究所で一貫した実務人生を過ごすことになった発端は、昭和28年度国家公務員試験 水産6級職(注、現行の上級職に相当)に合格し、昭和29年4月に水産庁研究所に採用された職員 6名の内の一人として、北海道水研に配置されたことに始まり、以後 38年ほどの、水研生活を過ごすことになった(注、一緒に水研へ入った同期の過半は、後に水産行政・大学へ移行された。同期:伊賀原弥一郎・西村三郎・野上和彦・能勢健嗣・三村浩哉の諸氏)。
 昭和29(1954)年から平成4(1992)年までの間に、北海道余市町(北水研)→東京都(東海水研・水産庁)→函館市(北水研・遠洋研)→清水市(遠洋研)→高知市(南西水研)→広島県大野町(南西水研)→塩釜市(東北水研)と各地の水産庁研究所を回り、漁業資源の評価、予測及び管理に係わる調査研究を担当した。
 第二次大戦後の我が国の復興、発展期に、『沿岸から沖合へ、沖合から遠洋へ』と、当時の漁業政策の展開とあいまって、我が国独特の操業形態をもった 『北洋サケ・マス沖取り漁業』 は、講和条約発効後、昭和27(1952)年に、北西太平洋の公海域で再開され、大いなる発展そして変遷を経てきた。昭和47(1972)年以降、世界的な200海里漁業水域の設定、遡河性魚類に対する母川国主義の定着化等が進み、平成4(1992)年、終にサケ・マス沖取り漁業は、その操業を停止し、40年ほどの産業史を閉じることになった。
 この北洋サケ・マス沖取り漁業史40年[昭和27(1952)年〜平成2(1991)年]のうちの、ほぼ中間的な20数年間[昭和33(1958)年〜57(1982)年)]、当方が研究者として充実していく過程とほぼ一致する期間を、主として遠洋水産研究所において、この国際漁業に関連する調査研究に係わった。
 北洋サケ・マスの公海域での漁獲、利用に関して、それは権益的な特権であると、往時から根強かった我が国漁業界の性格、意識が、他国起源の遡河性魚類資源を、必要に迫られ止むに止まれず、言わば収奪的利用を続けてきたことの、動機でありその推進力でもあった。日本経済の成長に支えられ、国際的に取決めた規制措置を、実効的にはねのけるような、徹底した猛進型操業に変化を遂げていた。
 このような性格をもつ業界を対象にする、北洋サケ・マスに関する担当業務にとっては、対外折衝において、アラゲーションな弁解だけで終始し、合理的利用を堂々とデクラレーションするような機会もないままに経過した。サケ・マス資源論争において、科学技術的な弁護の役割を強いられる職務に、一つの限界を感じて、ドラスチックな手段で、遠洋水研の戦列を離れ、昭和57(1982)年に南西水研へ異動した。
 しかし、当方の水研人生における主要な活動が、この遠洋水研での役割であったことから、ここでの記録、エピソート、事件等を回想して、様々な側面を物語ることは、比較的に容易である。それに引き換え、今回の記念文集の依頼、『東北水研で奮闘された思いを披露して…』、の注文に適うような、水研人生の最終過程であった東北水研に関して、記念に残すようなエピソードを思い出すことは、なかなかの至難であり、書き難いことを誠に残念に思う。
 昨年、回顧録 『北洋サケ・マス沖取り漁業の軌跡』、叶ャ山堂書店、平成10(1998)年10月28日発行、A4判188頁、を上梓しているが、この終章に、水研人生の自分史的な記述をしている。本書をご高覧いただけると、本小文では記述しきれなかった経緯等、不十分な部分のご理解に役立つものと考えつつ、この一文を止めることにしたい。
(元 所長)
*:原文は丸数字です
Osamu Sano

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