時の流れに身をまかせ

森 英夫


 昭和28年の夏、サンマ調査のアルバイトに東北水研へ雇用されたのが縁で、東北水研資源部臨時職員から東北水研庶務課用度係長までの17年間を東北水研で過ごし、初めて遠洋研へ転出するまでは、井の中の蛙同然の世間知らずで暮らしていたようです。
 昭和46年に転入した頃の遠洋研は国際漁業対応の新設の水研で、活気にあふれており、研究者は次から次と外国の科学者会議へと飛び出し、調査船も海外での調査があり、予算規模も大きく、東北水研の用度係とは全く様相が違い、3ケ月くらいもの間、残業の連続で頑張り、やっとの思いでマイペースをつかんだ記憶があります。
 当時の遠洋研は、庶務会計の大部分の職員が旧南海水研(高知)出身者で占めていたので、当初はすごい孤独感を味わいました。
 遠洋研−東北水研−東海水研−東北水研−養殖研と渡り歩き38年10ケ月に及んだ研究所生活を卒業したわけですが、今にして思うに回り順が悪かったと思います。同じような感慨をもつ人が、少なからずいるようです。
 その時々の人事配置により、異動を重ねてゆくのは今も昔も変わらぬことですが、ただ、上から言われるままに動き、そこそこに頑張り、なんとか繋いできたのかなと思います。
 夫々に、みんな大なり小なりの波乱の人生があるわけですが、過ぎてみれば今では、淡彩色の遠景となってしまいます。
 東北水研が、杉の入から新浜町へ建築交換で移転した頃は、水研の周辺には膨大な空き地があり、昼休み、三角ベースのソフトボールに熱中したり、卓球が盛んな頃ノータッチ負けの珍ルールで楽しんだことなどが、ほのぼのとした思い出として残っています。
 誰が云ったかわかりませんが、東北水研に1教組、2奇人、3悪人が居ると喧伝された頃のユニークな東北水研も歴史の1ページに残しておきたいものです。
 ずーと事務屋として生きてきた者として、感じたことを、思いつくままに記してみたい。
 事務官の初任者研修がお粗末であり、お座成りすぎるのではないか? 係長の経験主義に委ねていいものか?
 仕事より先に、遊び(麻雀、ゴルフ、競馬等)を教える係長や先輩がいたりした昔のようなことは無かろうが、初年度は、その後の勤務に影響は大である。民間の研修のようにとはいかなくとも。他の国立の機関では配慮されていると聞いている。旅費の問題があるのでしょうが。
 庶務課長補佐・会計課長補佐にも管理職手当をつけてはどうか? 管理職員でありながら超過勤務手当とは。人事院の決めることであろうが。
 転勤に伴う赴任旅費はあるものの、退職する最後の勤務地がマイホームとは限らない。当局の人事配置により、仕方なく単身赴任したのに、退職したなら自費で帰れとは、不合理であろう。
 かつては、公務員宿舎が少なく、入居をめぐり宿舎委員会などで決めていた時期がありました。
 現在は、入居を希望しない人が多いとか。単身赴任でも大きい宿舎に入居したり、家族が多くとも、級資格等で小さい宿舎で我慢するとか、まだまだ不合理が見受けられるのではないだろうか?異動の激しい大都会にあっては、ワンルーム型マンションの確保で対処してはどうか。

 組織の改変等、今は今なりの激動の嵐の中、厳しい対応が求められていることと現役の皆さんの状況について理解できますが、人生を楽しみ、悔いのない充実した公務員生活を送られるよう祈願して拙文を終わります。
(元 庶務課)

Hideo Mori

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