海から大空へ、大空から宇宙へ

木村初代所長の潮目・渦研究(漁場形成機構の研究)の手法の一つの軌跡

黒田隆哉


 昭和30年夏、海洋資源部(当時)の有志は木村部長(所長兼務)に率いられて矢本の航空自衛隊基地に赴いた。当日風はいくらか強かったが好い天気であった。既に飛行場では(株)水産航空(旧?海洋航空)のパイパートライペーサーが準備を整えて待機していた。単発で、翼を指で押すと柔らかくへこむような頼りなさであった。以後これと皆(搭乗調査員)で数十回つき合うこととなった。
 これに所員が2名づつ交替で乗り、各30分程度金華山付近までの沖合海面を体験調査した。東北水研の海洋・魚群分布調査の現場が海面から高所(通常1,500フィート)までに拡がった記念すべき日であった。なお、別動隊は大洋漁業?の探鯨ヘリコプターに試乗して、ヘリコプターによる観測や調査の可能性・限界を探った。一方当時既に北部太平洋旋網漁協では、マグロを主とする魚探飛行が始まっており、ここでも水産航空の飛行機が使われていた。潮目の漁場論については戦前から宇田道隆先生と木村先生とが、実地見聞・調査を積み重ねられており、その成果は水産・海洋関係の研究誌に多く載せられてきた。またその成果の実地応用としての魚探飛行についても、両先生は強い関心をお持ちのようであった。潮目という海洋現象はしばしば船上や崖の上から見ることがあるが、この現象を解明するには、できれば先ずその全容を把握することが望ましい。そのためには船や崖の上からではいささか無理で、やはりもっとずっと高い所から遥かかなたまでを見通せれば好都合である。木村先生は恐らく以前からこれを飛行機でも使って、極めて高い所から一望の下に眺め、その形状・動き、潮目の両側の状況等を把握することを考えておられたに違いない。たまたま常磐〜三陸沖で魚探飛行が始まった機会を把え、その詳しい経緯は知らないが、旋網漁協にはこれまでの漁場形成研究の成果に基づいた熱心な説得があったものと思われる。これにより漁協との話合いがまとまり、以後魚探飛行の年次計画の立案(10数回程度)、1回毎の調査コースの決定等に水研も参画し、調査記録の水研への開示も行われることになった。
 一方、先生がその研究生活を通じて非常に強い興味を示されていた海洋現象の一つである「潮目の不連続性に基づく渦現象」については、その大規模な例が三陸沖によく見られる親潮と黒潮との潮境に形成される暖水塊であることに着目され、昭和33年から特別研究「黒潮から分離北上する暖水塊の漁場形成機構に関する研究」の予算を獲得し、東北海区における暖水塊の研究がここに始まった。この研究(予算)は昭和35年まで続き、海洋資源部部長以下全員がこの調査研究にそれぞれの課題で当たった。このとき予算のなかに飛行機による暖水塊及び周辺の黒潮域・親潮域の潮目調査(年20回程度)が認められ、正式に飛行機による海洋・魚群分布調査が可能となった。当時は未だ水温計などはなく、もっぱら目視及び写真撮影による潮目の形状・大きさ・色調・浮漂物等の記録や魚群の種類・大きさ・群の性状等の記録であった。しかし観測船に乗らない人達はむろんのこと、船から潮目を見なれている研究員達も、このような高い所から潮目やその周辺の状況や魚群の性状等を一望の下に把握できるということは、その後の海洋漁場研究を進めるうえで、極めて有益な示唆が得られ且つ有効な手段の一つとして利用できると感じられたと思う。
 飛行機による調査は人頭割予算のいわゆる経常経費ではとても賄えるものではなかったが、幸い先の特別研究終了の後も農林水産技術会議や科学技術庁の特調費等が引き続き獲得できたので、その都度飛行調査の予算をもぐり込ませて、調査を続けることができた。その間、飛行機から海面水温を測る装置も実用化し、使用機もパイパーからセスナに替わり、性能も次第に高度化していった。航続ものびて5時間を超えることは珍しくなかった。しかし5時間でまっすぐ行くとなれば仙台から沖縄まで行ける行程であるが、一般に面を調査する海洋観測や魚群分布調査では、これでも沖出しは極めて制限させたものにならざるを得ない。特に暖水塊の調査などではこれを南北や東西に切る線が幾多欲しくなるわけで、暖水塊の規模からみて到底できることではなかった。先生の潮目・渦研究にそれぞれのテーマで従った関係者は、この点ではつくづく限界を感じていた。
 たまたま人工衛星から海面水温やその他の事象を観測する機器や測定技術の開発が進行中であり、我々は機会ある毎に気象庁(東京)に入れ替わり立ち替わり立ち寄って「ひまわり」や「NOAA」の赤外画像を縦覧し、よく撮れた画像を多数連続的に購入して船や飛行機による観測結果と照合・補間するなどして、海況・漁況の実況やその動態を追究した。またこれとは別に、当水研は発足当初から(実際には8海区水研に分立する少し前の、農林省水産試験場木村研究室時代から)水産試験研究機関の本命(存在理由)として、漁民に対する研究成果の実地適用に意を用い、漁場形成研究の成果(漁場知識)の普及と、反面、漁民からの積極的なデータの提供を期待し、その手立てとして「漁況速報」を5日毎に発行し、また沖合の漁船に向けて漁況(文)と符号による表面等温線図の無線送信を実施してきた。しかしその後、部の予算額及び執行上の問題もあって、この事業の継続とさらなる拡張が難しくなり、これを所外独立の事業体として発足させた。この事業はその後いろいろないきさつを経て、現在はJAFICS((社)漁業情報サービスセンター)に引きつがれ、漁業者の経営・操業に大きく寄与している。そしてこのJAFICSでも独自に衛星からの画像を処理して、一般に提供するようになったので、これらにより暖水塊(ばかりでないが)や、それに関わる暖水や冷水の動きをかなり的確に捉えることができるようになり、これらを適宜利用することにより海洋・漁場の研究が進められるようになった。
 木村先生の所員に対する直接の御指導は昭和37年3月(退官)で終わったが、その後も東北大・仙台大、さらには御自宅の裏に隣接して建てられた木村漁場研究室(潮之台)に據(よ)って、学生や水研の関係者への指導・助言に当たられると同時に御自身も暖水塊や潮目の研究(灯台や観光タワーからの潮目の撮影の委嘱等)を精力的に行われた。先生に直接指導を受けた所員はもう誰も現場には残っていないが、先生が先鞭をつけられた、広大な海洋現象をとにかくできるだけ高い所から(今や宇宙)から一目で把えるという手法は、今では研究の常套手段となっているといえよう。「宇宙からの漁場研究」の種子を蒔いた人である。
(元 海洋部)

Ryuya Kuroda

一覧へ戻る

東北区水産研究所日本語ホームページへ