魚市場調査の想い出

石戸芳男


 昭和28年7月に、私はスルメイカ資源調査の要員として八戸支所に雇用された。2年間はスルメイカ調査、その後は底魚資源調査に係わった。 
 底魚資源調査は大きく分けて陸上調査(八戸・渡波・塩釜・小名浜の各港の水揚物調査)と、海上調査(調査船・委託船による漁獲試験など)、底魚の生態研究などであった。私は陸上調査に7年間ほど従事した。八戸魚市場で、漁船の漁獲物中から標本抽出して体長組成を調査する、いわゆる魚市場調査を行った。
 八戸港については2名で調査していたが、相手の人が退職してしまい、私と八戸水産高校生のアルバイトと一緒に行った。魚市場調査はセリが始まるまでに行う調査であり、早朝5時半頃起きて6時頃には魚市場に着かなければならない。底びき網漁業は9月から3月頃が主な漁期であるから、冬期が調査の中心となる。春から夏の早朝は気分が爽快であるが、冬の6時はまだ暗い。魚市場への道程は今は車で通うによいが、当時はあっても自転車ぐらいで、とくに雪が降っているときなどは誰も歩いていないことが多く、最初の足跡を残すことになった。
 魚市場についてからはセリが始まる7時までの約1時間が仕事であった。この時間内にスケトウダラ・キチジ・アブラガレイ・サメガレイ・ババガレイ・ヒレグロの6種について標本抽出して体長をパンチングしなければならず1分の時間も無駄にできなかった。調査の始めは入港船数を見て標本船の選び方である。調査方法では入港船順に1/12の比率で標本船抽出することになっていたが、船主や船頭の協力の良し悪しで、必ずしもそうはいかなかった。顔色を伺ってからそれとなく近づき、調査の要請をする。一回で「良い」の返事が返ってくるとこちらも気分良く仕事ができるが、ちょっと間があると大体があまり良くない返事が返ってきた。一番多いのは渋々了解することであった。滅多になかったが、へたをすると手をつけないでほしいという場合もあった。このような時には、こちらとしてもなかなか魚を思うように測定できないので、仕方なく標本船の抽出を前後に移さなければならなかった。漁船は時化や年末になると一斉に入港するため、多い日には20隻を超すときもあり、結果として標本船が多くなって仕事が多くなった。
 いよいよ資料魚抽出と測定であるが、これは魚種によって作業量がだいぶ異なった。当時八戸港の底びき網漁業で最も多かった魚種はアブラガレイ・サメガレイ・スケトウダラ・メヌケ類などであり、魚体も大きかった。アブラガレイやサメガレイの成魚になると1箱(20kg)の入り尾数が少なく、抽出は多くの箱数になり、それを下ろしたりまた重ねたりする作業は、とくに、冬の早朝で、しかも風があったときなどは結構体に応えた。また、魚価が安いアブラガレイやサメガレイでは測定尾数が多くても、また取り扱いが多少荒っぽくても船頭から何もいわれなかったが、キチジやババガレイなどになると価格が高いので抽出の仕方や扱いには苦労した。魚を気にする船頭や船主が回りをうろうろしたり、測定の様子をじっと見ていたり、そばから離れないような時には十分な測定ができないし、測定後の魚を箱に入れるにも、かき回したようには見えないように丁寧に入れなければならなかった。反対に協力的な船もあり、人によっては魚を測定板に並べてくれる船頭もあった。測定に使う穿孔用紙は、今では耐水紙が当たり前だが、当時はセルロイドでできていた。これに魚種名や基線などを記入しなければならないが、当時はマジックペンなどもなく、鉛筆では芯が折れることが多いので、千枚通しで記入していた。これは強く書くと裂けるし、弱いとあとで整理するときに、なにが書いてあるか判別しにくいことになり、結構こつを要した。
 測定後は魚種別漁獲量を調べて調査を終えた。一応お礼の挨拶をしながら、船頭から操業日数や漁場を聞き取るのだが、この際、ときには魚を貰う場合もあり、ひそかな楽しみであった。また、魚市場に長く通っていると魚市場関係者や仲買の人、船主・船頭達と顔見知りになり気軽に会話ができるようになって、色々な人達や浜の情報を知ることができた。それなりに苦労もあったが、楽しみも多かったことが想いだされる。
 退職後の現在もこの経験を生かして県水産試験場の我が国周辺漁業資源調査の手伝いとして、マダラ・スケトウダラなどの魚市場調査を行っている。以前は魚市場には休みは少なく、せいぜい月に2回位で、夏の盛漁期には全くないこともあったが、今は日曜日・祝日やほぼ隔週の土曜日が休みとなっており、調査日程が立てやすくなった。魚市場までも車ですぐだし、測定魚も買い取りが主になり船頭の顔色を伺わないで済むようになった。色々な面で変わってきているので魚体測定も楽になった。ただ、漁獲量が少なくなっているので1回の測定尾数がどうしても少なく、何度も魚市場へ通って測定回数を増やさなければならないが、これも時代の流れだろう。しかしながら今の私には、朝の魚市場の活気を見てくることが楽しみになっている。また、かねてから続けている、魚市場に時折水揚される希種の類の情報収集も楽しみの一つである。
 現在のように電子計算機やハイテク機器が発達普及しても、水産資源研究には、魚体測定のような生産現場での調査の積み重ねが必要で重要であることは今後も変わらないだろうし、このような仕事に今もって従事することができて幸せだと感じている。
(元 八戸支所)

Yoshio Ishido

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