私の東北水研半世紀

飯塚景記


 私は三たび時期と所を変え、通算25年にわたり東北水研にお世話になりました。私の水研生活が31年余りでしたので、そのほぼ8割が東北水研あるいは東北水研の皆さんに庇護されてきた事になります。この度、このように縁と恩がある東北水研の50周年記念文集に執筆させて戴くことは大変光栄であるし、また喜んで承諾するのが当然だと思います。しかし、改めて考えてみますと、長い間お世話になったにも拘わらず、何を書いたらよいのか、判らないのが実感なのですが、東北水研は実証を重視した研究体制でしたから(私はそう思っています)、調査に係わる憶い出等を中心に拙い筆をとることに致します。
 まず、最初は岩手県水産試験場から東北水研八戸支所への転任で、昭和37年の4月でした。着任して早々北洋母船式底曳漁業の生物調査官(兼監督官)として、ベーリング海での航海調査が水研での最初の仕事でした。当時のベーリング海は「底質カレイ」の時代はもう過ぎておりましたが、タラ類、メヌケ類等の底魚類がまだまだ豊富な海でした。1万トン級の母船敷島丸(日本水産KK)に乗船した約半年間は何事も目新しく、甲板に山積みされた底魚類やニシンの精密測定等、仕事のやり甲斐を感ずると共に、漁業の生産性の高さとその裏にある苛酷な労働や熾烈な企業間競争が心に残った乗船生活でした。今になってみると、この経験が多少躊躇があった前の職場との未練を断ち切ったのではないかと感じております。
 昭和38年から発足した新研究体制のもとで、私は浮魚研究グループに所属し、主としてマサバの調査・研究に従事しておりましたが、乗船調査ではわかたか丸、蒼鷹丸、開洋丸等、陸上調査では魚市場調査、定置網調査あるいは航空機による魚群探索調査等、様々な経験を致しました。船に弱かった私は有能な乗船調査員ではなく、いつも船酔いをし林檎を齧りながら何とか仕事をしたのですが、特に初代わかたか丸でのマサバ・スルメイカの漁獲調査、標識放流調査では楽しかったイカ・サバ釣や何だかよくわからなかった浸水騒ぎ等、様々な憶い出があります。また、早朝の魚市場調査では、場内の熱気が肌に感ぜられ、漁業関係者との一体感があったように思います。このような調査は当時の水研の重要な仕事の一つであり、そして漁業者のためになるのだと言う意識が常に啓蒙されていたと思います。
 2度目は西海水研下関支所から塩釜本所への異動で、昭和57年の12月でした。塩釜ではカツオの調査・研究を5年余り担当し、その間最も記憶に残っているのは、水産庁調査船照洋丸による南方海域カツオ幼魚調査でした。カツオ幼魚調査は研究室の重要課題として、昭和58-60年の3年に亙ってミクロネシア海域、マリアナ海域とソロモン東海域で、それぞれ50日前後で調査を行い、私は第1回のミクロネシア海域調査を担当しました。調査の目的は残念ながら充分には達成できなかったのですが、調査船による長期航海は初めての経験であり、赤道近辺の南の海の素晴らしさをたっぷり味わうことができ、乗組員の皆さんや一緒に生活を共にした運輸省の調査官、ミクロネシア政府の調査官との交流も忘れることは出来ません。
 3度目は塩釜本所から八戸支所への転勤で、平成元年の4月でした。私はこの移動で八戸から下関、塩釜そして再び八戸へと、本州の北端から西端に動き、出発点に戻ったことになります。この時期には、乗船調査の機会はなかったのですが、わかたか丸代船建造の問題がありました。支所委員として建造案論議の場に参加したのですが、船の規模や搭載機器等については、最初は関連研究部間に大きい隔たりがあり、いわゆるセクト的思惑があったように思われます。しかし、中堅・若手研究者あるいは乗組員等、代船に係わる関係者の皆さんが先導的に働いたお陰で、現在の立派な若鷹丸が竣工出来たと思います。ただ、代船が省人的調査船の要求だったとはいえ、調査を滞りなく行う為には船の大きさに見合った乗組員が必要なわけですから、今後も粘り強く定員増の要望をすべきだと思います。
 私が最初に八戸支所に着任した当時は、支所は宮古試験地の様変わりであって、塩釜本所とは違うのだといういわゆる「八戸水研」の意識が未だ残っておりました。別に対抗関係にあったわけではないのですが、年1回の予算会議以外は、旅費が足りない事もあって、相互の交流も余り行わず、調査(海洋部との共同調査はありました)や研究はお互いに別個に行っておりました。このような本所と支所関係は、善し悪しは別にして、仕事については独自性があり、本所とは一線を画するという、頑なな気風もあったように感じます。その後は比較的交流も深まり、現在は八戸支所が東北水研の資源部門ですから問題はないわけですが、調査船をはじめ各部門間の信頼関係をより深めることに、活力ある研究体制の基本があると信じます。
 最後に年寄りの戯言として聞いてください。最近の水研の動きをみていると、私の誤認かも知りませんが、何か「安易に流れ、言い成り次第」のように見えます。文句の言えない世の中にならないようにチェックが必要ではないでしょうか。また、かって「所長の渡り鳥論」といった批判がありました。最近、所長の任期は益々短くなったようで、それはそれなりの理由があるとは思いますが、水研ニュースに着任の挨拶が掲載された時には既に離任していたとは、世の中の流れが速くなったとはいえ余りにも短絡的ではないでしょうか。30-40年前が「旧き良き時代」とは決して思いませんし、調査・研究の程度は、現在では格段に進歩・発展し、立派な成果が多く出されている事に間違いありません。しかし、目的意識や人間関係に何か違いがあるような気がしております。とにかく、時代は変わっても産業研究所である水研の目的は定番だと思いますので、目の前に世界有数の漁場を控える立地条件を生かして戴きたいと思います。東北水研の皆さん、来る21世紀に向かって、栄光ある水研の発展のために頑張って下さい。
(元 八戸支所)

Keiki Iizuka

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