4,50年前の頃

秋山和夫


 水産研究所が出来て50年という。水研が出来たお蔭で私も採用され、永いこと過ごさせて頂いた。この発足の頃で印象に残っている二、三の古い話をさせていただく。
 庁舎の完成したという翌年の昭和26年5月に塩釜に来たが、当時の庁舎(旧)は街外れの埋め立て地の先の小高い丘の上にあり、対岸の漁港や商港と、有名な松島湾を一望に見渡せた。松林の中に点在する白壁赤屋根の建物は遠目には綺麗に見えた。配属の増殖部は新設の部であったため机類や戸棚と何台かの顕微鏡位で殆ど何も無く、それでも配られた白衣を着たときは何となく気の引き締まる思いがしたものである。
 仕事は植物に関心があったし、学生の時にノリ漁業を少し見ていたので海藻を扱いたいと思っていた。
 2ヵ月位経って北海道大学の植物分類学教室から黒木宗尚さん(昭和41年まで東北水研在籍、以後北海道大学、故人)が移ってこられたので、早速弟子入りして海藻採集や標本作りなど、いろいろな仕事をお手伝いし経験させて頂く事とした。その年の秋、野沢洽治さん(元鹿児島大学、当時東京大学)が採集かなにかの帰りに黒木さんのところに寄られ、その折りに英国のドリュー女史のノリ(アマノリ属)の生活史の報告の話も出たらしく、後日その文献のタイプが送られてきた。
 ノリは秋になると幼芽が発生してきて、冬に繁茂し、春になり水温が高くなると次第に消失して目に触れなくなってしまう。この消失期の過ごし方と秋のノリの起源についてはそれまで我が国では「夏ノリ説」と「果胞子休眠説」とがあって二派に分かれ互いに論争が続けられていた。これは冬に生長したノリの葉から出た胞子を培養すると、直ちにノリの幼芽に生長するもの、また糸状の管を出して生長するもの、更に球形のままのものなどがでてくるが、両派とも糸状の発芽は「偽似(異常)の発芽」と判断し、直ちにノリの幼芽になる場合と球形のままでいる場合がそれぞれ正しい状態と考えたことによる。
 先のドリューの報告は彼地のノリの1種の胞子を培養し、糸状に発芽して貝殻や卵など石灰質の殻の内部に穿孔生長し、これは穿孔藻のー種コンコセリスとしてすでに報告されていたものと同じであるというもので、正にそれまでの我が国の論争からは想像も出来なかった結果であった。なおこの発表はたまたま丁度水研発足の昭和24年のことである。
 早速黒木さんはカキ殻を使って培養を試み、これは見事に生長し、翌年春には我が国初のコンコセリス(=ノリ糸状体)の口頭発表となる。さらに9月になるとその培養していたコンコセリスからは胞子が大量に放出され、この胞子がノリの幼芽になると言う新知見が加えられ、ノリの生活環を完結させることができている。昭和27年である。
 当時はまだ文献などの入手も容易でなかった時代だったが、我が国のコンコセリス研究のスタ−トは発表から丸2年も遅れていることになる。これはそれまでにノリを扱ってきた人達には生活史に対しそれぞれ強い自信や先入観念があり、また遠い国の人の言うことはにわかには信じ難かったかもしれない。この点新設研究所は自由だったし、いろいろ問題を探していたところで早速やってみるかとなったわけである。また眼下に広がる松島湾は養殖ノリの産地だし、天然のノリも当時は各種採集出来、研究材料には困らなかった。また果胞子を付けるのに使用したカキ殻は薄く割れるし、半透明で顕微鏡観察にも便利だった。水研のすぐ下の漁師さんの庭では風雨に晒された綺麗な殻をいくらでも拾え、拾っているとそんな殻何にするんだと当時は良く聞かれたものである。
 この研究がきっかけで我が国各地でノリ糸状体の研究がさかんに行われるようになり、間もなく人工採苗法の開発(熊本県水産試験場)ともなる。仕事を進めているなかでノリ糸状体の発見は私が最初だとか、研究の指導をしたんだとか言う様な方も出てきたり、また糸状体の耐乾性などについて発表したとき、やおら逆の結果を述べてそちらの仕事の先進性を示そうとした方がいたことなどを思い出す。それぞれ間違いの言であったが、世の中には私が、俺がと言う様な人もいるものだということを知らされた。
 なおノリのほかにワカメもとり上げていた。昭和26年の夏近い頃に須藤俊造さん(元東北大学、当時東海区水産研究所)が立寄られ、ワカメの水槽採苗による養殖の話をされた。その時ワカメ養殖には特許がある筈だから気をつけるようにとのことであった。
 早速東北大学の女川水産実験所の筏の隅をお借りして実験を始めた。この女川湾での実験は順調に進み、生長や採苗・養殖のための多くの資料が得られたが、当時は直ちに積極的な普及は行っていない。昭和28年になって例の特許をもっているという大槻洋四郎さん(元関東水産試験場、大連)が中国から帰られ、たまたま女川水産実験所の筏のすぐ側で海中採苗によるコンブとワカメの養殖を始めている。その仕事を手伝った地元漁業者が後に近隣にワカメ養殖の技術を広めている。昭和30年頃からである。戦後間もなく特許はすでに失効していたことが次第に知れわたったが、何事も良く調べてかからなくてはいけないという良い例であったといえる。この為に一般漁業者のワカメ養殖のスタートは10年近くも遅れたといってもよいだろう。
 50年というと気の遠くなる程の長さでもあり、過ぎてしまうと一瞬とも言える。お話した発足当初はまだ増養殖も造る漁業などと言われて陽が当たり始める以前であって、研究予算はまことに僅かで大変苦労した時代である。それでも海には現在とは比べ物にならないほどの生き物が見られたし、今となってはこの古き時代の昔が大変懐かしい。
 当時部長でいろいろご教示頂いた谷田専治さん(元淡水区水産研究所他)、終始ご指導下さった黒木宗尚さんも既に亡くなっている。心からのご冥福をお祈り申し上げる。
(元 増殖部)

Kazuo Akiyama

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