たまには海外で仕事をしましょう

-おすすめ長期在外研究-

杉崎宏哉


 1998年度も年度末になって報告書など整理する段になってまいりまして、ふと97年度の資料を探してしまう今日この頃なのですが、それが見つからないのです。96年度の分はちゃんとあるし記憶も定かなのに、97年は存在しないのです。96年以前の暮らしと今の暮らしはぴったり重なってつながっているのですが、実は1997年1月19日から全く異質の1年間があったのでした。私は科学技術庁長期在外研究員制度を利用させていただいて、アメリカ合衆国シアトル市のSand Pointというところにある、NOAA(National Oceanic and Atmosphere Administration)のAlaska Fisheries Science Centerという研究所に、1997年1月より1年間いっていたのです。“そういえば97年は杉崎をあんまり見かけなかったな、調査船にでも乗っているのかと思った”なんて言っていらっしゃる方も多いかと思いますが、本当にアメリカに住んでいたのですよ。お世話になったAlaska Fisheries Science Centerというところは日本の研究者とのつながりの大変濃いところで、日本の研究所と多くの共同研究を行っています。また、シアトルにはワシントン大学という水産学と海洋学で一流の大学もあるために、日本から多くの研究者が短期、中期も含めて滞在しています。ですから水研ニュースなどに時折シアトルの記事が出ているのをごらんになった方も多いと思います。私の滞在中にも翌年度の在外派遣者である水工研の高尾さんがいらっしゃいました。私自身も10年ほど前に増殖部の山下洋さん、5年ほど前に前資源部の大関芳沖さんがそこにいらしたのがきっかけで、受け入れ研究者のRic Brodeur博士と親しくなったことから今回の滞在先に決めたのでした。
 受け入れ研究先としてお世話になった、FOCI(Fisheries-Oceanography Coordinated Investigations)グループは、スケトウダラの初期生活史における被食による減耗の研究を精力的に行っており、スケトウダラ成魚による卵食や大型動物プランクトンによる捕食を研究しています。私の滞在は、生活史初期の魚類と動物プランクトンの関係(とくに動物プランクトンによる捕食)を、FOCIグループの人たちと一緒に研究をすることが目的でした。

・ 行った研究の話
1.飼育実験
 スケトウダラの仔魚と捕食者を同じタンクに入れて、捕食者(小型の魚、クラゲなど)が仔魚を食おうとするときに仔魚がどのように行動するかをビデオ解析して見るという実験をしました。NOAAの研究所は全面ガラス張りの巨大な未来建築みたいな建物なのですが、実験棟は昔の格納庫(NOAAの施設は元海軍の敷地に建っているので、そういう遺物が散らばっているのです)を使っていて、恐ろしく広大で、かなしいほどぼろい建物でした。天井が抜けていて、なかにフクロウがすんでいたこともあるそうです。飼育器材も手作りで、恒温槽にはコカコーラの自販機から取り外したという冷却器を使っていました。施設はワシントン湖という淡水湖のほとりにあるので、海水の入手もままなりません。自分たちで酒樽みたいな容器をトラックに積んで臨海実験所まで海水をもらいに行かなければなりません。スケトウダラの仔魚の餌となる小さな動物プランクトンなども毎週フェリーで2時間ぐらいかけて近所の島に渡り、そこにある塩水の潟湖にゴムボートを浮かべて手引きネットでとるのです。これが相当な重労働で、私は相当筋力が鍛えられました。そんなに苦労してとってきた餌なのに食ってくれない仔魚がいっぱいいました。毎日魚が少なくなっていく様は、まるでうちで飼っている熱帯魚のようでした。それでも何とか生き残った仔魚で無事に実験を終えることができましたよ。
2.ベーリング海航海
 7月中旬から北大のおしょろ丸の航海で約3週間、9月中旬からNOAAのMiller Freemanで約2週間ベーリング海にスケトウダラの稚魚を捕りに行ってきました。ベーリング海というのは海産ほ乳類がえらくたくさんいる海で、岸近くではラッコ、オットセイ、トド、沖ではクジラ、イルカ、シャチがいつでも見られます。鳥もたくさんいるので、暇なときはいつでも双眼鏡を携えてデッキに出ていました。Miller Freemanの船は日本の調査船や実習船とは全く異なった作りをしています。居室は蚕棚で私のような子供サイズの体型でも狭いと感じるほどですが、研究室は広く、図書室もあり、食事もメニューから選べます。食堂にはアイスクリーム、ドーナツ、フルーツ、カップラーメン(!)などが常備されていていつでも食べられます。船内には売店や自販機まで備えられていて、ポテトチップスやコカコーラ(まさにアメリカ的でしょ)が買えます。アメリカの研究者たちは日本の船に乗ると健康的な食生活が送れると言っていました。そりゃそうですね。
3.そのほかのこと
 最近きわめて大量にベーリング海に出現する大型クラゲ類のChrysaora melanaster とスケトウダラ仔稚魚の被捕食関係を解明するための一手法としてこれらの動物達の持つ窒素と炭素の安定同位体比というものを測定しました。アメリカの東海岸(シアトルの反対側)にあるニュージャージー州のRutgers大学というところまで行って測定してきました。ニュージャージーはニューヨークの近くです。この辺では鉄道が発達していて(シアトルでは移動手段は車とフェリーです)人がごった返していて、ニューヨークの町に出ると東京のようなにおいがしました。ニューヨークと東京、シアトルと仙台、Alaska Fisheries Science Centerと東北水研がそれぞれの国で似たような地位にあるように思えて、“私はアメリカの東北(実際には西北)水研にいるんだなあ”と感じていました。

・ 出会ったこと、感じたこと
 シアトルの研究所も町も優しさが蔓延していました。最初のころはとにかく何も分からずおろおろしていたりするとたいてい誰か(知らない人だったりすることもある)が“どうしたの?”と声をかけてくれるのでした。パイセスで中国の青島に行ったとき、道を歩いているだけで“もたもたしてるんじゃない!(言葉は分からないけどそんなふうに睨まれた)”と、たった一週間の間に何度も怒られたけれど、シアトルに一年間住んでいて一度も怒られたことはありませんでした。シアトルで育った地元民の友人(そいつもすごく優しいやつでした)は“中には意地悪なやつもいるけど、西海岸は東海岸より親しみやすく親切な人が多い”といっていました。やっぱり都会の人たちはぎすぎすしているのでしょうかね。幸いにも滞在中の一年間、私はお医者さんと警察のお世話には一度もなりませんでした。怖い目にも一度も会わなかったし、車のドアロックをし忘れて一晩おいてしまったこともあったけれど何も起きませんでした。もちろんそれはかなり運が良かったのであって、いくらシアトルの治安が良いといっても事故や事件は頻繁に起きているし、拳銃も普通に売っています(私の周囲の人で拳銃を持っているという人はいませんでした)。夜中にダウンタウンを歩くときなどは結構緊張しました。
 実を言うと、研究所の施設やコンピュータなどは思ったより古いし、文献もそれほどそろっているわけではありませんでした。はじめのうちは、なぜここから質の高い仕事がたくさん発表されているのか、不思議でした。しかし中で仕事をしてみるといろいろな仕組みがうまくできていることが分かります。コンピュータネットワークが充実していて、大概の情報(研究者同士の情報交換、文献検索・複写等々)はコンピュータの上で済ませているのです。ただ、帰国したら日本の様子もずいぶんかわっていて、しかもガキンチョが携帯電話を持っていたりして、日本の情報システムの急激な変化には驚きましたけど。もう一つ、これはいまだに日本と大きく違うところを見つけました。専門家集団による分業が実によく行われていることです。FOCIグループにも、分類の専門家、統計の専門家、コンピュータの専門家、観測機器の専門家、データ整理の専門家などがそれぞれいます。どの分野が偉くてどの分野が偉くないと言った意識はなく、どの分野もフェアなので、皆責任を持って仕事をし、その成果は信頼できるものです。彼らにとって大事な価値観は自分がHappyになることではないかと思いました。人からの評価を待つのではなく自分の満足のいく仕事ができればHappyなのです。優越感や劣等感に縛られないで“自分は自分”の生き方をしているように思いました。だから、彼らは常に自分にとって一流の仕事を目指すことができるのではないでしょうか?

・在外のすすめ
 このところ東北水研でも多くの人が長期在外に行くチャンスを利用するようになってきました。探してみるとチャンスは結構あるのです。ちょっとでも可能性があれば是非応募してみることを強くおすすめします。“日本とは違う価値観を持つ社会”に入ったことで、今まで知らなかった価値観を知ることができ、今までより楽しく幸せに生きる考えかたを身につけたような気がします。この拙文を読んでくださった方の中で、これから長期に海外に行く機会のある方は躊躇することなくお出かけになることをおすすめします。もし言葉に不安を感じて躊躇しているのなら心配ありません。最初は何も分からず悲しい思いをするでしょうが、暮らしているうちに自分の意志を伝えることと、相手の言っていることはできるようになります。ただし上手に正しい言葉を使うようになるにはやはり習って、正しくなおしてもらわないと難しいでしょう。私は習う機会を逸してしまったので、周囲の人々が私の英語になれて、私が何を言いたいのか分かってしまうようになったあとは全く上達しなくなってしまいました。そして、できれば少なくとも2年間滞在することをおすすめしたいと思います。研究も遊びも2年目には“この時期は何をしたらいい”ということが分かってきますので1年目より充実したものになるでしょう。言葉も“2年いると壁を越えて上達する”という人もいます。
 私は、“もう一年居たいよ”と後ろ髪引かれながら1998年1月17日シアトルタコマ空港から帰国の途に着いたのでした。

(混合域海洋環境部 生物環境研究室)

Hiroya Sugisaki

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