基礎研究と応用研究のはざま

─着任の挨拶に代えて─

乾 靖夫


 私が水産研究者となって、今年で36年になります。その間、養殖研究所に、その前身の淡水研時代とあわせると30年間も在籍していました。人生の大半をそこで過ごしたことになり、その意味では、私は養殖研究所に育てられたと言っても過言でないでしょう。養殖研究所は水研の中で最も基礎的な研究を担当する研究所として知られていますが、基礎という意味では私はその中でも最左翼と見られていたようです。私自身がそのように標榜していたと言うことかも知れません。しかし実を言うと私は病理部という、養殖研では珍しく産業にダイレクトに関連する部門にいたこともあり、入所当時から継続してかなりのプロジェクト研究に参加してきました。今から考えると、若い時に私のやっていたプロジェクト以外の研究も養殖研究所の応用研究の範疇に充分入るものと思います。若い頃には、自分は基礎生理研究者であると肩をいからせ、研究上の自分の立場と研究内容に充分な整合性を取る努力に欠けていたのではないかと多少の反省もしています。しかし、室長、部長と病理部門とのつき合いが長くなるにつれ、自分の専門と考えていた生理研究と病理研究、いや、基礎研究と応用研究と言うべきでしょうか、との融合と言うか整合性とも言えるものが自然に私の中で起こってきたようです。別の表現をすれば、肩肘張らなくなったと言えるかも知れません。室長、部長時代には種々の特研や別枠研究にサブチームリーダー、副主査、チームリーダーを努めましたが、これらの応用研究には専門研究者として楽しく係わりを持ってこられたように思います。これらの研究を通して何人かの優秀な研究者が育ち、研究グループが形成されたのも嬉しいことです。ところで基礎研究をやっていると自然と理学系のいわゆる基礎科学分野の研究者とつき合う機会が多くなります。彼らの中には何を何の目的で行うのか、自然科学における本来のモチベーションが不足し、苦しんでいる人たちもかなりいるように思います。その点、考えようによっては私達水産研究者は自分さえ確かに持てれば科学的モチベーションに苦労することはないでしょう。あとは自然体で、必要があるから自然科学として最高のレベルの研究を目指せばよいのです。
 養殖研から南西水研(現在の瀬戸内海水研)に移り、企画連絡室長としてそこで行われている赤潮研究や、瀬戸内海の資源・増殖研究に触れることが出来ました。この時期には、これはやれ基礎研究だ、生態研究だ、病理研究だなどと言う概念から解放され、水産科学と言う応用研究を生理・生態研究をはじめ、あらゆる分野の概念と手法を採り入れる研究分野として 自然に受けとめられるようになっていました。それだけ私なりに、これらの研究の意義と面白さを味わった気がします。実際、瀬戸内海水研でアクティブに研究している人々は、このところを良く認識・消化し、研究をうまく楽しんでいると思います。
 ここ東北水研に赴任して間もなく、バイオコスモスの国際ワークショップが東北水研の手で開催され、私自身が、ホスト所長として、出席する機会を得ました。ホストの特権を利用して素人ながらあらゆる分野の議論に鼻を突っ込んでしまいました。勿論、それぞれの分野の先端でアクティブに研究に携わっている人々と比べようはありませんが、私なりに身勝手にサイエンスの一端を楽しんだ気がします。かつて自分の分野のシンポジウムに出席した後に良く感じた「こんなことまで解ってきたのか。こんな手があったか。それなら我々の実験系でこうすればきっと面白いことが解る、新しい発見があるぞ。よし、俺はこれで行く」と言うような燃えるような意気込みとまでは行かなくとも、部分的には私なりにこれからの研究ニーズや課題が見えた所もある気がします。つくづくサイエンスは楽しいと感じました。
 私は浮気症と言うか、いつも自分のいるところが一番楽しく良い研究所に思えてしまうたちです。養殖研では養殖研が、南西水研では南西水研が最も勢いのある研究所に思えました。今は東北水研が最も楽しく思えるのですから、身勝手ながら幸せな性格と言うべきかも知れません。ここ、東北海域は親潮、黒潮、津軽暖流が混合する世界でも有数の生産性の高い海域であり、リアス式の海岸に恵まれ、増養殖にも非常に有利な地域です。ここには、本当にレベルの高い水産科学・技術が要求されています。これまでも東北水研の先輩達はユニークですばらしい研究をしてこられました。また、現在ここで活躍している研究者は応用研究者として確たる自信を持ってアクティブに研究に邁進しており、心強い限りです。東北水研は伝統的に応用研究としての水産科学の認識が高かったことを再確認しています。今後も、東北水研を核にこれぞ水産科学と言える研究を育てていきたいものです。そのための環境づくりは勿論、研究内容にも科学者としての情熱を失わずに立ち入りたいと思っています。
(10.10.16付け 所長)

kiren@myg.affrc.go.jp

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