サンゴモ平原には何故ウニが増えるのか?

谷口和也


  1. サンゴモ平原とは何か?
     サンゴモ平原とは、ライオンがシマウマを追いかけ回しているサバンナでも、ガウチョが馬に乗って牛を扱っているパンパスでもない。サンゴモ平原とは世界中どこの海でも沿岸域の海中に極く普通に見られる広範囲に白色や桃色を呈した炭酸カルシウムを多量に含むサンゴモと呼ばれる紅藻の一群が優占する岩礁海底のことである。
     温帯域の岩礁海底においては、通常、低潮線付近から、海域によって異なるが、ある水深まで海中林と呼ばれてアラメ・カジメなど大型で寿命の長い褐藻が優占する海藻群落が形成されている。しかし、時として海中林が消滅して一面サンゴモ平原になることがある。海中林は海洋の中で最も生産力が高く、アワビ、ウニなど沿岸域の重要な漁業が営まれる場所であるが、サンゴモ平原になると、それらの漁業がほとんど成り立たなくなってしまうことが多いため、日本では古くから「磯焼け」と呼ぶ地方もある。諸外国でも「桃色の岩」とか、「荒地」、「海の砂漠」とも呼んでいる。不思議なことに、サンゴモ平原になるとウニが極端に増加する。外国でも「荒地」の前にわざわざ「ウニが優占する」と修飾する程、世界共通の現象である。サンゴモ平原に増加したウニは生殖巣がほとんど発達しないので、漁獲の対象にはならない。
     サンゴモ平原には何故ウニが増えるのか?

  2. 魔法の水作戦の開始
     これまではサンゴモが生産する何等かの化学物質によって海中に浮遊しているウニの幼生が海底に着生し、ウニの体へと変態させられるために、サンゴモ平原にはウニが増えると考えられ、化学物質の発見が発生学や生理学の専門家たちによって世界中で競われていた。大変魅力的なテ−マであるが、その道では全く素人で、動物をほとんど扱ったことのない藻類学者の僕としては「可成荷が重い」とは思った。しかし、大型別枠研究「マリ−ンランチング計画」から、続く「バイオコスモス計画」の中で、海中林とサンゴモ平原とを対極とした海藻群落の変動機構を明らかにすべく研究を続けて来た以上、これは避けて通れないテ−マであった。「磯焼けはウニの食害によって起る」と考えられていた当時、ウニ幼生の着底、変態誘起物質の発見こそがその機構を決定的に解明できると考えたからである。
     「マリ−ンチング計画」以来、海藻が生産する植食動物の摂食阻害物質の研究を共に進めて来た函館工業高等専門学校工業化学科の蔵多一哉さん、北海道大学大学院地球環境科学研究科の鈴木稔さんと一緒に研究計画を練り、日本で最初にウニの人工種苗生産を手がけて最も高い技術水準にある福島県栽培漁業センタ−に協力をお願いした。センタ−では設立当初におられた天神さんがすでにキタムラサキウニ幼生の着底、変態を誘起するのにサンゴモが最も効果的であることを明らかにしていたのである。志賀操常務始め所員の皆さんは大変好意的であった。その時、アワビの種苗生産を担当している遠藤修弘さんが「この研究は種苗生産にとって魔法の水を得ることになりますね」ともらした。「それは良い表現だ。それでいきましょう。この研究は魔法の水作戦」

  3. ぬか喜びもある
     共同研究は、ウニの種苗生産を担当する丸添隆義さんと一緒に昭和63年の秋から始まったが、どのように生物試験を行えば良いのか、綿密な計画を建てたと思っても実際皆目分からなかった。試験に用いる器具も途中で次々と変更するはめになった。永澤理化学機器店の隆さんには器具のサンプルをもって来てもらうために何度もセンタ−まで足を運んでいただいた。にもかかわらず初年度は満足できるデ−タは全く得られなかった。
     ウニ幼生は生きている海藻に接触しなければ変態できないと報告されていた。確かに、無節サンゴモのエゾイシゴロモや有節サンゴモのエゾシコロ、オオシコロ、ピリヒバなどを用いるとキタムラサキウニ幼生は速やかに着底し、変態する。また、センタ−ではウニの採苗用基質として、アワビ幼生の着底、変態を誘起することからアワビモと命名された緑藻ウルベラ・レンズを用いていたので、アワビモとエゾイシゴロモとの変態誘起速度を比較すると、エゾイシゴロモはアワビモの倍近い着底、変態速度をもたらした。そこで、エゾイシゴロモ、エゾシコロ、オオシコロの3種から4種類のメタノ−ル抽出物を得て、宮城県牡鹿半島周辺の岩礁を構成する中世代ジュラ紀起原の黒色泥岩の板に吸着させて試験した結果、遊離脂肪酸(FFA)を含む画分にのみ弱いながらも着底、変態の作用を認めた。僕たちは研究を開始してたったの2年目で誘起物質を手中にできると思った。
     FFAは、その後長崎大学の北村等助教授らもアカウニやバフンウニ幼生の着底、変態誘起物質として発見しており、エイコサペンタエン酸(EPA)などを分離している。しかし、僕たちは興奮から冷めた時にどうもおかしいと感じた。この画分は黒色泥岩に吸着させて変態を誘起させるにしては多くの量を必要としたし、にもかかわらず生きているサンゴモ、特にエゾイシゴロモがもたらす着底、変態速度には到底及ばなかった。また、海水に溶解させて行った試験では全く作用を認めなかった。単離された化学物質ならば生きている海藻より、変態誘起速度は速くなければならないのではないだろうか。
     一方、カリフォルニア大学のモ−ス教授らによってアカネアワビ幼生の着底、変態誘起物質とされているガンマ−アミノ酪酸(GABA)は黒色泥岩に吸着させても、海水に溶解させても全く作用を認めなかった。GABAは紅藻に特異的な色素であるフィコエリトリンの構成物質であることから、ウニやアワビの着底、変態を誘起する他の分類群、例えば緑藻アワビモには全く含まれていないし、エゾアワビ幼生の着底、変態を全く誘起しないことも財団法人かき研究所の関哲夫さんらの実験によって明らかにされていたので、最初からほとんど期待していなかったけれども。
     もっと別の、あざやかに変態を誘起する物質があるのではないか。

  4. 着底、変態誘起物質は海水中にある!
     今一つ、ウニはそしてアワビも、幼生は着底の場を求めて探索行動をとるので、誘起物質は海水中に分泌されて作用を及ぼしているのではないかとの疑問があった。事実、生きているエゾイシゴロモやアワビモを用いた試験ではシャ−レの底や壁面にも変態した個体が認められていたのである。外国の論文でもサンゴモを用いて試験するとサンゴモの体上ばかりでなく、シャ−レの底や壁面にも変態した個体を認めているが、サンゴモの面積が小さいためであるとしており、変態、誘起物質としてGABAにこだわっていた。GABAはサンゴモが枯死して色素が分解しない限り海水中に溶出することはないであろう。また、フィコエリトリンを共通にもつ他の紅藻でウニの着底、変態を誘起することは今のところ確認されていない。一方、FFAは海藻ばかりでなくすべての生物が共通してもっているが、脂溶性物質であるから海水中に容易に分泌されるとは考え難いし、着底、変態誘起作用の海藻による種特異性も説明できない。
     これらの疑問から、エゾイシゴロモとアワビモを3,000lux、12:12明暗周期、水温20℃の条件下で1週間培養した海水を用いて試験してみると、大部分の個体は管足を出して匍匐し、24時間後には極く一部の個体ではあったが明らかにウニになっていた。誘起物質はやはり海水中に分泌されていると考えて良いのではないか。成果は時に常識を破った時に現われるものだ。

  5. お先真暗
     こうして、2年目には誘起物質の特性に関わる多くの知見を得ることができたが、物質の本体は逆に益々謎に包まれてしまった。これまでの知見に疑問をもったために、誘起物質を求める手懸りを失ってしまったのである。ともかく、初心にもどって試行錯誤するしかない。幾つかの溶媒による抽出を試み、試験してみたが、結果は思わしくなかった。3、4年目は何の成果も得ることなしに過ぎてしまった。
     生物試験の度に水研とセンタ−に足を運んでくれて、議論を続けた蔵多さんが「揮発物質を考えるしかない」とつぶやいた。「それなら揮発物質をとって試験してみよう」「揮発物質を得ることは極めて難しい」、そのような会話をしているうちに、「誘起物質は海水中に分泌されるはずなので、まず海水中の物質を捕捉してみよう」ということになった。
     5年目に入って培養水槽と活性炭カラムとで海水を巡環させるシステムを考案し、サンゴモを1カ月間培養してみると可成の量の物質が活性炭カラムに捕捉された。意を強くして、車でセンタ−にむかう道すがら「何となく期待がもてそうだね」と話しかけると、「未だ分からないよ」蔵多さんはあくまでも慎重であった。僕は、これで変態を誘起できなければ、この研究をやめようとさえ思った。しかし、ウニ幼生は何時間たっても遊泳していた。お先真っ暗である。

  6. 変態した!
     この試験でほとんど意欲を失ってしまった時、函館にもどった蔵多さんから「ピリヒバがブロモホルム、ジブロモメタン、クロロジブロモメタンを多量に生産する、という学会発表があったぞ」との連絡が入った。これらハロメタンは強い殺菌作用をもつことから分かるように生物に対して毒性をもち、しかも何とオゾン層を破壊する作用をもつ可成あぶない物質ではある。こんな物質を海藻が生産するなどとても信じられなかったが、鈴木さんの調べでは実はサンゴモ以外の幾つかの海藻も生産するという。自然界は不思議に満ちている。ともかく、揮発物質には違いない。
     これらハロメタンがウニ幼生に対する着底、変態誘起作用をもっているとすれば、かならず海水中に分泌されているはずである。それを確認するためには密閉容器中で海藻を培養し、その海水を分析すれば良い。早速、エゾイシゴロモ、エゾシコロ、オオシコロ、マオウカニノテ、ピリヒバのサンゴモ5種を採集し、さらに、センタ−で培養していたアワビモを得て、まず、付着珪藻を除去するなどの予備培養の後、20℃、照度3,000luxで15時間照明を行った後に、容器の中の海水をガスクロマトグラフィ−にかけてみた。果たせるかな、培養したすべての海藻が明らかにハロメタンを生産していた。サンゴモと系統的に全く異なる緑藻のアワビモもハロメタンを生産することには大変驚いてしまったが、ウニの着底、変態をサンゴモと共通して誘起することを考えれば、この事実は大いに希望を抱かせた。これが本当に最後かもしれない。
     最初に僕と丸添さんの2人で試験してみた。ところがこれらハロメタンは海水中ではシャ−レの底に液滴として付着するだけで決して溶解しないのである。適量を海水と一緒にビンに入れて撹拌しても液滴は細かくなるだけで、放って置くと再び大きな液滴となる。あせった。これではデ−タが取れないではないか。「まあいいや、ともかく幼生を入れてみて、明日見てみよう、あんまり期待できないけどね」
     翌朝6時、他に設定していた生物試験の結果を観察して、「駄目で元々さ、他にも仕事が沢山あるんだからね」などとつぶやきながら、ブロモホルム、クロロジブロモメタンを見てみると、何のことはなくウニの幼生は元気に遊泳していた。「やっぱりね、この仕事は僕たちには縁がなかったんだ」そしてジブロモメタンを入れたシャ−レを、ほとんど期待もせずにのぞいた時、おお、何と例外なしにウニとなって匍匐しているではないか。他の部屋で仕事をしていた丸添さんを急いで呼んで確認してもらった。「こんなのを見たのは初めてだなあ」いつも冷静な丸添さんの声もはずんでいた。
     その日は土曜日だったので、蔵多さんの家に早速電話を入れたところ、学校に出かけているという。「仕事熱心な奴め!」一刻も早く知らせたかったので、奥様に事の次第を説明して連絡をお願いした。後で聞いたことだが、奥様は僕が何を言っているのかほとんど分からなかったそうである。僕は何しろ興奮していた。
     平成4年12月10日、ウニ幼生の当年最後の着底、変態が起るはずの日である。蔵多さんの提案でハロメタンを海水中に飽和させた後に、それを稀釈して濃度設定を行うという周到な準備の下に試験に臨んだ。鈴木さんを含めて、共同研究者が一同に会したのはこの日が初めてであった。試験開始2時間後に対照としたアワビモの場合の変態速度を確認した後、今度は落ち着いて、しかし、変態していなかったらどうしようという不安をともないながら、ジブロモメタンを入れたシャ−レを顕微鏡でのぞくとやはり皆ウニとなって匍匐していた。たったの2時間で100%の変態!僕たちは手を取り合って成功を喜んだ。
     この試験の結果、ブロモホルムは不完全に変態させるだけであり、クロロジブロモメタンは全く変態を誘起しないことも明らかになった。ウニが何故ジブロモメタンに反応して変態するかなど発生生理学的に残された課題は未だ多い。また、アワビなど植食性巻貝の幼生に対する変態誘起機構についても重要な問題として残されている。

  7. この発見が意味するもの
     今回のウニ幼生の変態誘起物質の発見には2つの意味がある。まず、発生の最終段階での劇的な変態が海藻の代謝産物に依存するという発生生理学的な点である。出口は当然ウニの種苗生産の効率化につながる。今一つは、サンゴモ自体の生存戦略の解明である。
     海藻群落の遷移の進行過程は、僕たちの裸地化実験によれば、小型一年生海藻とサンゴモによる始相、次いでサンゴモの優占、さらに、フクリンアミジなど小型多年生海藻の入植と優占による途中相が続いて後、アラメ、カジメなど大型多年生海藻による極相へ至る系列と認められる。海況条件によっては小型多年生海藻と大型多年生海藻との間にコンブ、ワカメなど大型一年生海藻の相を認めることもある。サンゴモは生殖細胞を周年放出することによって初期入植者となるが、数カ月ほどで他の海藻の侵入を受ける。一方、サンゴモが優占する水深帯、サンゴモ平原においてはほとんど例外なしにウニを始め植食動物が多く、それらの強い摂食圧で他の海藻群落が形成され難い。サンゴモがジブロモメタンの生産によってウニを多量に蝟集させる事実は、その強い摂食圧で他の海藻の侵入を妨害させ、サンゴモ平原を持続するというサンゴモ自体の重要な生存戦略であることを示している。
     最近では僕たちの常磐、三陸沿岸における研究を含めて、黒潮流軸の接岸やエル・ニ−ニョ現象の発生など高水温、低栄養の海況条件下で、海中林の死亡数の増加と加入数の減少が起り、個体数が極度に低下してサンゴモ平原が拡大していくことが分かっている。そして、アワビ、ウニを中心とした漁業に大きな被害がでると「磯焼け」と呼ばれる。磯焼け、厳密にはサンゴモ平原とは同じではないが、その持続要因は海中林の個体数を低下させる海況条件の持続とともに、サンゴモ自体の生存戦略としての摂食圧の持続とみなして良いのではないだろうか。つまり、磯焼けは「ウニの食害によって起こる」のではなく、「海況変動を引き金とし、サンゴモが仕組む食害によって持続する」とみなされよう。世界各地で実施された海中林の造成研究において、植食動物の駆除や排除を最も重要な要素技術としているのは摂食圧の持続がサンゴモの主要な生存戦略であることを認めるためである。一方、ウニは、そして多分多くの植食動物はサンゴモ平原を発生の場としていることは明らかであろう。ということは、サンゴモ平原は岩礁生態系の極めて重要な構成要素であることを示している。
     海藻を一次生産者とする岩礁域に生活の場をもつ生物は、種毎に固有の生存戦略をもっている。戦略相互のせめぎ合いの中で岩礁生態系が安定的に維持されているのであろう。今後、「バイオコスモス計画」の中で様々な視点の下に行われる研究が総合化され、岩礁生態系の動的な構造と機能が明らかにされることによって、科学的な生産技術体系が確立すると思う。次代を担う若い研究者の優れた発想に期待している。
     この小文は、大変気恥ずかしい思いがするけれども、昨年、「漁政の窓」11月号に発表した原稿に事実経過と考え方をより詳細に紹介できるようにと加筆したもので、当所庶務課の皆さんのおすすめによる。研究は単に研究者個人の営みではなく実はそれに関わる多くの方達の共同作業の下になされる。この研究が日の目を見るようにとプレスリリ−スを企画して下さり、一体感をもってご援助いただいている後藤 暁研究課長始め水産庁研究課および農林水産技術会議事務局研究開発課の皆さん、「マリ−ンランチング計画」以来常にご協力を賜っている福島県の皆さん、そして研究を支えて下さっている当所庶務課の皆さんに心から感謝したい。

    (資源増殖部藻類増殖研究室長)

Kazuya Taniguchi

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