アメリカの仔稚魚研究は、今?

−アメリカ水産学会 Larval Fish Conference に参加して−

大関芳沖


 「アメリカの仔稚魚研究の世界では、今どんな仕事がどのように進められているのか?」というのが、テキサスへ向かう飛行機の中での疑問でした。科学技術庁長期在外研究員として1月末より米国に滞在している事を利用し、さる5月27日より6月1日までの間テキサス州の州都オースティンで開かれたアメリカ水産学会のLarval Fish Conferenceに参加した時のことです。学会が終わってシアトルに戻ってくる途中で考えてみると、初めの疑問に対する明解な答を見つける事が出来たとは思いませんが、少なくとも象を撫でてきた程度の感想は得られたように思います。
 この学会はアメリカ魚類・爬虫類学会とアメリカ板鰓類学会との合同で、テキサス大学オースティン校で開催されました(写真)。仔稚魚関連のセッションでは、一般の発表の他にレプトセファルス(ウナギの仲間の仔魚)の生物学に関するシンポジウムと、仔稚魚の健康状態に関するシンポジウムの二つのシンポジウムが開催されました。学会期間中を通してジリジリと焼き付けるような蒸し暑い天気が続き、参加者のほとんどはTシャツに半ズボンという格好でした。学会全体の感想を率直に言えば、「良く学び、良く遊べ」を地で行くような非常に濃密なスケジュールだったといえるでしょう。1000人ほどの参加者のほとんどは夏休みで学生が居なくなった寄宿舎に泊まり、朝8時過ぎから始まる発表に出席して活発な論議を戦わせる一方、夜はレセプション、バーベキューパーティー、インフォーマル・ソーシャル(大きなレストランや飲み屋を学会で借り切って、飲みながら自由に意見交換をしてもらう場)、バンケットと、アルコールと時にはライブミュージックとダンスの伴う催しに参加するというスケジュールでした。開催地のオースティンはライブミュージックでも有名なところらしく、6th streetには100軒以上のライブハウスやナイトクラブが立ち並び、学会期間中はあちこちで参加者の姿を見かけました。
 全体の発表を通して得た初めの疑問に対する答は、いくつかあるように思いますが、その一つの答は「若さと多様性」という事になるようです。同時期にスペインで水産増養殖に関する国際学会が開催されていた関係で、種苗生産関係の研究者は余り参加していませんでしたが、それでも研究者の層の厚さと発表者の年齢的な若さという点は非常に印象に残りました。形態学的な仔稚魚の記載、骨格発達の比較解剖学的な検討といった古典的な分野から、RNAプローブ等の分子生物学的な手法を用いた研究や大型コンピューターによる個体モデル(IBMモデル)に至るまで、ほとんど全ての分野にわたる発表がありました。日本の水産関連の学会における発表はもっと流行がはっきりしていて、光のあたっている分野や先進的な分野では若手の研究発表が多くみられるのに対し、いわゆる古典的な分野の発表は数も少なく、余り若い人が出てこないような気がします。今回参加した学会ではどの分野でも大学院生クラスの若手が、自分の仮説とその検証結果を堂々と述べていて非常に印象的でした。これにはいくつかの理由があると思われますが、そのひとつは学会の運営にあるように思います。学会には大学院生を対象とする多くの賞があり、それぞれ数人の審査員によって講演要旨・発表内容・質疑応答を基準に審査されます。この結果は最終日に催されるバンケットで発表され、数百ドル程度の小切手を貰うと共に、賞を獲得した者は履歴書に受賞の記録を載せ、大学院卒業後に職を得る際の有効な手段とするようです。このため、若手の発表者は皆たいへんきれいなスライドを作り、何度も繰り返し練習をするそうで、非常に流暢に発表をします。このことは質疑の際にも決して弱みを見せず、堂々と聴衆に向かい合うという事にも良く現れていると思いました。しかしながら裏返してみると、このことはきれいな結果しか表に出てこないという事にもつながり、その研究を行う上でどんな問題点があり、どこが将来の問題点として残るのかという点がぼやけて来てしまうようにも思いました。
 2点目としては「斬新さ」という事になるかと思います。これはアメリカ人の国民性として持っている "can do and willingness to do attitude"と関係しているのかも知れませんが、日本人ならちょっと考えてみて技術的に難しそうだと思い躊躇してしまうような手法や着想も、やれば出来るという態度で何とかものにしてしまい、その結果として非常に新しい手法が生まれてくるというような事があるように思いました。例えば、仔稚魚の健康状態のシンポジウムで発表したDiMichele氏の仕事では、アメリカ東海岸の各地から、Fundulus heteroclitus の卵を集め、卵発生時の代謝に関係すると考えられる4種の酵素の遺伝子的な違い(対立形質)を利用して、それぞれの表現型ごとに孵化までの速度を比較すると共に、系統間で各酵素の基質レベルに違いがある事を示していました。その結果導かれた仮説を検証するために、受精後の卵の細胞質が極在化した時期を狙って、卵黄にマイクロインジェクションを行い、その系統の親由来の基質と酵素を別の系統のものと交換してしまうという事を行っていました。この操作によって、基質量と酵素の遺伝子型を別の系統群のものに近づけた上で、孵化までの速度や水温耐性等を相互に比較し、自分の仮説を検証していました。またHunt von Herbing女史は、これまで大型魚についてなされてきたスタミナトンネルの手法を仔稚魚研究に応用していました。これは前後に溶存酸素センサーをつけた直径数mm・長さ3cmのチューブに一定流速で海水を流し、ビデオカメラで仔魚の遊泳状態を記録しながら酸素消費量の変化を記録するという装置です。これを数台同時に恒温室内で動かし、大西洋産タラの仔魚期における遊泳速度と酸素消費量の関係を調べていました。Theilacker女史は、スケトウダラ仔魚の健康状態を見るために、筋肉組織の細胞をバラバラにした後でその細胞核を染め、フローサイトメーターで分析し、細胞分裂周期の各段階にある細胞の割合を求めていました。これらの仕事は着想的には特に新しいという事はないように思いますが、魚類の初期生活史研究への応用という面からみると非常に斬新であり、新しい手法を取り入れて、最後までやり遂げてしまうエネルギーは見習うべきものがあると思いました。
 3点目としては「統計処理とモデリング」に対する高い関心が上げられるように思います。特に若手の発表では、フィールド調査で得られた仔稚魚の出現量の変化や成長速度と、いくつかの環境要因との相関関係を分析するというパターンの仕事が多く目につきました。なかには生物学的な関係に対する考察が希薄な単なる数字の遊びに近い発表も見受けられましたが、統計学の言葉で結果を整理して相手を説得しようという態度はもっと取り入れるべきだと思いました。また仔稚魚の健康状態のシンポジウムで発表したEldridge氏は、yellowtail rockfishを用い、過去7年間にわたって作成したメス1個体ごとのデ−タベースをもとに、再生産とくに卵質に関する検討結果を発表していました。解析項目は親魚、血液成分、卵巣、卵性状に関して合計26項目にものぼり、7年間にわたってこうした情報を取り続けるというのはすごい事だと思いました。モデル関係では現在研究が進みつつあるIBMモデル(Individual-based Model)の発表もありました。IBMモデルはコンピューターの処理能力が近年飛躍的に進んだ事を背景に生まれたもので、これまでのモデルがそれぞれのポピュレーションを対象に扱っていたのに対し、各対象生物群の各個体を対象にその誕生・成長・死亡をモデルに組んでしまおうというものです。まだ海洋環境で行われたきれいな結果は公表されていないようですが、私のいる研究所でも何人かがこの研究に取り組んでおり、近いうちにいくつかの仕事が公表されるものと思います。
 以上3点の全体的な感想に加えて、アメリカ国外からも何人かの研究者を呼んで開かれた仔稚魚の健康状態に関するシンポジウムは、現在進められているバイオコスモスプロジェクトの方向性を考えるうえから非常に有意義でした。このシンポジウムを私なりにまとめてみると、現在この分野で問題になっている点は、フィールドと実験室の間の二つの大きなギャップをどのようにして乗り越えるかと言うことになると思います。二つのギャップとはi)フィールドと同レベルの餌料密度では仔魚の飼育が困難であるという餌料密度に関する問題、ii)フィールドから得られるデ−タは健全に生き残った個体のデ−タで、飼育から得られる平均値的なデ−タとは本質的に異なっている、という2点になろうかと思います。このギャップを乗り越えるために2つのアイデアがこのシンポジウムを通して浮き彫りにされたように思いました。その2点とはi)実験室から得られる飢餓個体のデ−タはばらつきも少なく、フィールドに適用できる。この情報を用いる事によって、フィールドで死滅していく仔魚の数を推定できる。ii)フィールドのデ−タを数多く集め、これを総合的に解析する事によって実態を明らかにできる。後者の考え方は今のところ未知数の部分もありますが、モデルとの関連で多くの情報をうまく処理できる道が開けてくるのであれば、注目しておく必要があるように思いました。
 また本題とは少しはずれますが、現在のフィールドにおける仔稚魚研究では採集具が定型化しており、動物プランクトンは採水法(ノープリウス)と45cmボンゴネット(コペポダイト・成体)、仔稚魚はMOCNESS、より大きいものはタッカートロール、表在性のものはニューストンネットでという方法が主流になっているようです。はっきり言ってこれ以外の方法で採集したものについてはまずその定量性を疑ってかかるという認識が出来上がっているようです。いくつかの発表でも採集器具は何かという質問が出ており、採集具がこれらのどれかでないと、その結果は定量性の面で信用できないという話になってしまう有り様でした。MOCNESSは日本でももっと普及させないと、折角得られた結果が疑われる事になるようで気がかりですし、タッカートロールに至っては余り知られてないのではないかと言う懸念もあります。
 この学会に参加した事は初めに考えていた以上に有意義な事でした。英語を母国語とする研究者にとっても、デ−タを取ってから論文が印刷されるまでには1年程度はかかるのが普通のようで、印刷物を後追いで調べていてはなかなか現在のレベルを掴みにくいのが現状です。また今考えていることや計画している事について意見を交換するには、会って話をするのが最も有効な手段です。この点からみると、論文でしか知らなかった何人もの研究者に会って、一緒に飲んだり踊ったりという事も、研究に対する考え方を知る上で非常に有効でした。残り7ヶ月の在外研究期間においても、積極的に多くを吸収しこの1年間を有意義なものとしたいと考えています。最後になりますが、この様な機会を与えて下さった東北水研、水産庁ならびに農林水産技術会議の方々に心より感謝いたします。

写真:テキサス大学オースティン校のシンボル、テキサスタワー

(資源管理部浮魚資源第一研究室)

Yoshioki Oozeki

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