小谷地 榮


 他人事のように思っていた定年退職が、自分にもめぐってきて毎日が日曜日になって早くも3カ月たちました。何回も入退院を経験したり、退職後も八戸に住み何とか口実をもうけては支所に顔を出し、支所からもいろいろと声をかけていただき時々うかがっているので、はじめは退職の実感がありませんでした。月々入るものが少なくなり硬直した生活をしいられていま実感しつつある所です。
 私は、昭和25年2月前年8海区水研発足に伴い農林省水産試験場宮古臨時試験地から組織替えした東北水研宮古試験地に勤めはじめました。宮古試験地はその年5月に八戸に移転し八戸支所となり、私も行を共にし今日にいたりました。ふりかえると、他海区水研の支所がことごとく廃止統合された中で、いくたの試練曲折を経ながらも、発足当時のまま唯一生き残った支所で人生に一つのピリオドをうつことになったことは、その是非については議論のある所だと思いますが、私にとっては誠に感慨深いものがあります。この間、人事異動が少ないといわれながらも、陸上職員、調査船員共に50余名、アルバイトの人(長期のみ)を入れると130名以上におよぶ人々とめぐり会い直接間接の啓発を受けました。これに本所の方々、他水研、水試等の関係機関、団体を入れるとどれ程の人から指導援助を受けたかしりません。交誼いただいた方々に、今は故人となられた人を含めて心から感謝いたします。私は勤めの後半昭和48年弁膜症が発現し、最終的には弁置換の手術を行い61年職場復帰しましたが、その間、後を含め、底魚研究室、支所、わかたか丸、本所の皆様には心配とご迷惑をおかけしたうえ、物心両面の温かいご援助を幾度もいただきました。そのためリタイヤすることなく今日を迎えることができました。その点についても厚くお礼申し上げます。
 41年と云う長い間、その時々の課題、任務に精一杯とり組んできたつもりでしたが、前述の事情や若いときの不勉強がたたり、頑張った割には成果が少なく、仕事の面では多くの課題を残しました。悔いられますが、後進の若い頭脳に期待することにいたします。
 私の調査研究対象であった底びき漁業、底魚資源はどの海区も停滞ないし衰退してきているようで大変残念ですが、これは多くの人が思っているように私も過剰漁獲が原因と思います。技術革新による漁獲性能の強化は計り知れないものです。漁業は他産業と違い、有限であるが再生産の効く資源を対象とした産業であることをもっと強調すべきではないでしょうか。底びき関係は特にそう思います。皆様の仕事の発展と健康を祈り退職の挨拶といたします。
元八戸支所主任研究官

Sakae Koyachi

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