資源部門の40年の歩みと今後の研究方向

小坂 淳


目次
1 はじめに
2 歴史的発展過程
3 現状と問題点
4 今後の研究の方向

1 はじめに
 戦後の農林水産業の民主化と食糧増産政策が進められる中で、1949年に八海区水研の一つとして発足した東北水研は、世界有数の近海域の漁業資源を主な対象とした漁業生産を発展させることを命題として、資源部門の研究を重視した。当初の海洋資源部は、地元で水揚量の多いカツオ・サンマを中心とした資源研究に着手し、漁業者から資料の提供をうけ、調査研究の成果を漁業者にフィードバックするという生産と結びつく形で研究を展開した。
 その後の資源部門の歴史には、現在の漁業情報サービスセンターを生み出すことに貢献したり、漁業分野における日ソ間の研究協力の要としての協同研究会議の発展に先駆的役割を果したり、また200海里時代の漁業情勢の変化に対応した研究活動を展開したりして、数多くの足跡が残されている。
 ここでは、漁業をめぐる情勢が一段と厳しさを増して資源研究が大きな転機を迎えている今、これまでの40年間に亘る部の歴史の中から多くのことを学び、今後の研究の方向を考えてみることにする。

2 歴史的発展過程
 1)1949年の発足時〜1955年
 発足当初の海洋資源部は調査科、予報科及び生物科からなり、カツオ・マグロ類とサンマの資源及び海洋環境を主な研究対象として、漁海況論を中心とした方法論により研究を推進し、他海区のポピュレーション・ダイナミックスに基づく展開等とは対照的であった。
 海洋資源部では漁場形成論を根拠に漁海況に関する情報と見通しを「海況速報や無線放送を用いて漁船に通報していた。漁船は操業効率を上げるため、次第にそれらの通報を利用するようになった。この広報業務は、後に1957年から東北水研と連携で活動した漁場知識普及会に引き継がれ、更に1972年に設立された現在の漁業情報サービスセンターへと継承された。
 1951年にサンマ研究打合会議が開催され、研究発表、研究課題の討議、今後の対策協議が行われた。これが、それ以後毎年開催されているサンマ研究討論会の第一回目の会議であった。1955年にはそれまでのサンマ関係の研究成果が300ページを超える研究報告第7号サンマ特集号に掲載され、一つの節目となった。
 カツオ資源に関する調査研究は、日本近海における漁況調査、来遊群の魚体組成及び食性の調査から開始された。1950年の第1回東北ブロック会議ではカツオ・マグロの生態・資源研究に関する諸課題が検討された。
 海洋環境に関する研究は漁海況論の展開にとって重要であり当初から精力的に取り組まれ、1953年頃から海洋を構造的に捉える研究が本格的に始まり、この頃に東北水研の海洋研究の基礎が築かれたと考えられる。
 2)1956年〜1961年
 高度経済成長期に入り、日本漁業は沿岸から沖合へ、沖合から遠洋へと外延的に発展し、沖合の新漁場開発とサンマ棒受網漁業との兼業化が政策的に進められた。サンマの研究においては、ポピュレーション構造、成熟・産卵、漁獲資源の変動が主な研究課題であった。
 カツオについては日本近海に来遊する時期の生態特性の把握と海域相互の関連性及び漁場形成機構の解明が課題であった。また、カツオ・マグロ類の生態の比較と表層性魚食性魚類の群集体構造に関する研究やカツオの食性と餌付きに関する研究も行われた。
 海洋環境研究ではカツオ及びサンマの漁場形成論との関連で潮目、極前線、プランクトン群集等に関する研究が活発に行われていた。
 1958年からは農林水産技術会議振興費による「黒潮前線から分離する暖水塊の漁場形成機構に関する研究」が資源部全員によって取り組まれたが、この経験はその後の資源部の研究活動における相互協力を基本とした団結力を培う上で大きな役割を果たした。
 1960年には部内の科の名称が変り海洋科、カツオ科及びサンマ科となった。一方、枕崎出張所が廃止された。また、1960年からは海洋資源調査年報としてカツオとサンマの二篇が刊行された。
 1961年には農業基本法が制定され、生産の選択的拡大、流通・加工対策などが展開され、基本法農政に対応した「農林水産業に関する今後の主な研究目標」が策定された。翌年には水研の機構改革が実施された。
 3)1962年〜1976年
 この年代にカツオ・マグロ漁業の拡大政策が展開され、この漁業が我が国最大の漁業となり世界の海へと遠くは大西洋まで進出していった。
 1962年の水研の機構改革で、5つの海区水研にあった利用部が東海水研へ集中し、4つの海区水研に海洋部が設置され、東北水研でも資源部にあった海洋科が生物統計科となり、利用部の代わりに海洋部が誕生した。そして1964年に科制から室制へ移行し、資源部はサンマを主に研究する第1研究室、カツオ・マグロ類の第2研究室そして資源変動の予測の第3研究室となった。
 1969年には「水産に関する試験研究の段階目標」が設定され、その中に”サンマ・カツオ資源の系統群とくに沖合資源と来遊資源との関係”が課題として入れられた。
 1966年にサンマ研究討論会を基盤に全国サンマ研究グループが組織され、第1期の研究計画として「サンマ研究目標と推進計画」が作成された。1968年にはサンマの生活様式について総括的に討議が行われ、グループとして共通認識の仮説が作られ、それを基に研究が推進された。この時期サンマの漁獲量が減少傾向にあったので、漁船は魚群を求めて150°E以東まで進出するようになり、漁獲対象となるサンマの分布・回遊経路の問題をめぐって活発な論戦が展開された。研究が活発であったのとは裏腹に、サンマ漁業は漁獲量が落ち込み深刻な状態となった。1968年に「サンマ資源研究の当面の重点目標と調査計画」が作成され、沖合資源と来遊資源との関係を明らかにする計画が組まれた。この計画が前述の段階目標にも取り入れられ、1969年から沖合資源調査費がついた。この年の漁獲量はサンマ棒受網漁業史上最低の5万2千トンであった。
 1970年以降、サンマの資源量水準はある程度回復したものの大きな年変動がみられ、研究グループの仮説では説明が困難な現象が生じた。そこで1973年に“サンマ資源研究の現状と今後の方向”と題するシンポジウムを開催して、問題点の摘出を図った。問題点の討議が継続され、1975年にはサンマ資源研究目標と推進計画が検討されて、1976年には第2期サンマ資源長期研究計画が作成された。
 1970年代からサンマの再生産に関する調査研究が強化され、稚仔魚の分布調査が毎年系統的には実施されるようになり、これらの調査によって蓄積された資料に基づいて、現在、資源量の推定など北西太平洋のサンマの資源評価が行われている。
 この時期、サンマの餌料プランクトンに関する研究が大きく進展するとともに、その後も主要な餌であるかいあし類に関する研究が継続され、サンマの摂餌プランクトン量の推定等なども行われてきた。
 拡大する漁業に対応し太平洋全域のカツオのポピュレーション構造及び資源変動に関する研究が行われた。
 1965年にカツオ漁況検討会議が開催され、水研・水試、大学関係者等によって、研究推進上の問題点及び長期研究計画が検討され、協同研究体制が確立された。
 1967年に作成されたカツオ資源長期研究計画では、資源変動の把握と変動要因の解明が二つの大きな課題として設定された。1969年にカツオ資源研究の今後の方向が検討され、系統群、魚群の分布様式、年齢・成長及び成熟に関する研究を推進していくこととなった。特に稚仔魚・幼魚の分布の実態を明らかにすることが必要であるとの提起があった。
 カツオ漁況検討会議は1973年まで毎年開催されていたが、それ以降は、毎年開催されるカツオ漁況長期予報会議に引き継がれていった。
 カツオの標識放流調査は、国際共同調査の一環として1967年から1977年まで水試調査船・水高実習船の協力を得て、引続き1978年から水試・水高への委託調査で、更に1985年からは中・西部赤道水域を中心に実習船で行われてきた。再捕資料及び他機関の資料とあわせて、標識放流結果の検討、研究発表が行われてきた。
 1966年にソ連のサンマ調査船へ日本側から研究者が乗船し、サンマ資源の調査研究に関する日ソ間の協力が始まった。これを契機に、1968年に「日ソ漁業科学技術協力協定」に基づく第1回日ソサンマ協同研究会議が開催された。この会議は、それ以降毎年日ソ間で交互に開かれ、1976年からはマサバが加わった。その後200海里体制に入り、1980年以後順次マイワシ、スケトウダラ、イカ等が協同研究対象魚種となった。このように協同研究会議は双方の漁業にとって重要な魚種を順次対象に加え発展してきたが、その基盤を築いた当初のサンマの調査研究の協力の意義は大きい。
 1963年から漁海況予報事業が開始された。東北水研では水研発足当初から予報科を置いて漁海況研究を推進し、漁期間には漁海況の見通しを行っていた。事業化にともない、資源部では改めてサンマとカツオに関する長期予報に対応することになり、それ以降サンマについては漁期前と漁期半ばに、カツオについては東北海域に魚群が来遊する前に、水試等の関係機関の参加を得て予報会議を開催し、長期予報を発表してきた。
 この時期に、漁獲努力の経済的側面を抜きにした資源論の展開だけでは、資源に対する乱獲現象を起こしやすいとの漁業資源研究における方法論的反省から、漁業と資源の関連を社会科学的側面からも研究する必要があるとして、漁業経済を研究する分野が設けられた。漁業の動向に関する分析等で研究成果を上げてきた。
 1967〜72年の間に、文部省特定研究の国際生物プログラム(IBP)の”北方冷水域における生物群集の生産に関する総合的研究”に参加し、仙台湾の高位生物から低次生物へと食物連鎖と機能を追求する研究班の中で、仙台湾のプランクトンの生産にかんする研究課題を分担し、プロジェクト研究の推進に役割を果した。
 4)1977年〜1987年
 1977年には200海里漁業専管水域の設定が世界の大勢となり、海洋法草案の趣旨を先取りして各国間で漁業資源の保存と有効利用を図ることを盛り込んだ協定を締結したため、資源研究部門では重要魚種の科学的な資源評価と許容漁獲量の推定が重要な課題となった。水産庁は急遽200海里水域内漁業資源調査を計画し、資源評価のために必要なコンピューターによるデータ処理のシステムを作成した。サンマがその調査の対象魚種となり、漁獲統計及び生産統計システムを作成して機械集計を行った。全国の協同研究グループで以前から機械集計に関して検討していたのでスムーズにこの業務に入ることができた。
 200海里体制に入って、日本漁業の受けた影響は計り知れないものがあるが、その中で減船の対象となった漁船を用船して、水産庁は1977年から1979年までの3年間「大陸棚斜面未利用資源精密調査」を実施した。これには資源部から「東北沖合水域のサンマ及び浮魚類の分布調査として参加した。
 この大陸棚調査に引続き1980年から1982年までは、同じく用船による科学魚探を用いた「クイック・アセスメント実測調査」が実施された。資源部ではサンマを標的として調査を行い種々の成果を上げたが、対象種が表層域に分布する魚であり、また漁種判別が困難であることからも定量的評価には問題が残った。
 この一連の調査は1983年以降「資源評価システム高度化調査」となり、現在も継続されている。調査内容は幼魚・未成魚の分布調査、計量魚探による資源量調査及び中層トロール調査の3本柱となっていて、サンマについてはその中の幼魚・未成魚の分布調査を実施している。調査では魚食性魚類の捕食による減耗に関する情報の収集も行っており、調査の過程ではこれまであまり知られていなかったマイワシの沖合域の分布状況についての情報も得られている。
 1978年に開催されたサンマ研究討論会では200海里体制に対応しに資源評価が検討された。しかし、その時はまだ、評価の主題であるべき資源量の推定が行われていなかった。1981年には当時の漁業情勢を考慮して「サンマ資源研究と漁業生産」と題するシンポジウムを開催した。そこでは生産者側から研究に対する要望として「サンマ資源管理上その適正漁獲量はどの程度か……」等の重要な今日的問題が提起されていた。
 カツオに関する国際交流は、1977年からミクロネシアへ漁業振興の指導・助言に研究者を派遣したのを始め、南太平洋委員会(SPC)の資源調査に協力するため共同乗船調査を行ったり、また、インド太平洋漁業委員会作業部会(IPFC)に出席して標識放流及び漁獲統計作成に関する資料の提出などを行ってきた。
 南方海域におけるカツオ幼魚調査が1984年〜86年に行われ、3年で49尾が採集された。採集尾数が少なかった主な要因は幼魚の分布が多いと推定される海域の調査が200海里水域の関係で困難であったことによると考えられている。
 1984年からは毎年年度始めにカツオ研究協議会を開催し、生態、資源及び漁業動向等の調査研究や漁海況の情報交換並びに漁況予測に関する検討を行ってきた。
 1977年から科学技術庁の「黒潮の開発利用の調査研究」が開始され、黒潮の生物生産の基礎機構の把握に関する黒潮続流域グループに加わり調査研究を行ってきた。第1期が1985年度で終了したが、その間黒潮水域と隣接する混合水域並びに親潮水域における動物プランクトンの湿重量の水平分布、季節変化、年変動及び現存量と生産量が明らかにされ、またサンマ仔魚の現存量及び生産量についても推定が試みられた。この調査研究は、1986年以降第2期として継続されている。
 1977〜81年間における農林水産技術会議の「遡河性サケ・マスの大量培養技術開発に関する総合研究」では、生物生産力評価の展開が可能なシステムを開発し、サケ・マスの餌料条件の解明を図った。
 「近海漁業資源の家魚化システムの開発に関する総合研究」(マリーンランチング計画)が1980年から開始され、サクラマスを対象とした「河川・汽水産卵型表層性魚介類の生残率向上」(1980〜82年)、「河川・沿岸産卵型魚介類の添加量の補強と管理を基軸とする資現増大」(1983〜85年)及び「優占種の作出による複合生産システム」(1986〜88年)と云うテーマを担当するグループに参加し、研究を展開した。そこでは太平洋の沿岸域におけるサクラマスの生態特性、資源の効率的利用と管理等の問題に取り組み、これまでに多くの解明が図られた。
 近年、東北の沿岸漁業において重要な漁獲対象となっているツノナシオキアミの漁獲統計の解析を行い、その漁海況変動の実態を把握した。
 1983年から「重要貝類毒化対策事業」が5カ年間実施され、引続き「貝毒安全対策事業」が現在行われており、貝毒プランクトンの調査研究に参画している。
 200海里体制下で、専門水研が必要であるとして1979年に養殖研究所及び水産工学研究所が設立され、そのため1981年には「水産に関する試験研究目標」が作成された。しかし、1983年には「農林水産研究基本目標」が決定され、この目標に基づいて水産業関係の研究目標が検討され、1986年には「水産業関係研究目標」がおよそ10年間における研究の推進方向として決まった。この中で資源関係は 水産資源の生物特性の解明、水産資源の変動機構の解明及び資源・漁業の管理技術の確立が大きな目標とされた。

3 .現状と問題点
 これらの目標に対応して、1987年3月に「東北区水産研究所の研究基本計画」が作成されたが、1988年4月に海区水研の組織改正があり、これまでの資源部が資源管理部に、第1、2,3研究室がそれぞれ浮魚資源第1研究室、浮魚資源第2研究室及び漁場生産研究室に変り、改めて同年4月に研究基本計画が作成された。この計画における資源部門に関係する研究課題は、東北海域における生物生産機構の解明、東北海域における海洋特性の総合評価技術の確立、東北海区及び関連する水域の水産資源の生物特性の解明、東北海区及び関連水域の水産資源の変動機構の解明、東北海区及び関連水域による資源・漁業の管理手法の検討並びに複合型資源培養システムの維持運用技術の検討であった。この計画の中では、最近の漁業情勢を背景に、社会・経済的諸条件や資源状態と調和のとれた操業の規模・方法を考慮した漁業管理方式を検討することを課題としたところに特徴がある。この計画に基づき10年間を目途に、研究を推進していくことになった。
 しかし、1988年の水研の見直しによる組織改正で、資源関係では調査研究の前線基地として活躍していた焼津分室・気仙沼分室が廃止され、大きな影響を受けることになった。研究体制の弱体化、研究者の相対的高齢化が進む中で、新たに沿岸性及び沖合性の魚の資源研究が加わるなど業務が増加しているため、研究体制の強化や研究者の若返りが望まれている。
 研究基本計画に基づく研究を推進するにあたっても、対象資源の分布範囲を調査できる大型調査船が不可欠であり、その配備を要望しているところである。
 サンマの資源研究については、1976年に作成した第2期研究計画に基づく研究の総括を行い、新たな長期研究計画を作成するため、1988年3月のサンマ研究討論会で「北西太平洋におけるサンマ資源に関する研究上の諸問題」と題するシンポジウムを開催した。この時の論議も踏まえて研究成果のまとめ(案)が作成され、予報会議の際に提案され、翌年の3月の研究討論会において了承された。その時に提案された第3期サンマ資源長期研究計画(案)は、それぞれの機関において検討され、10月の予報会議の際に決定された。
 カツオ・ビンナガについては竿釣漁業を主体にした各種の資源量推定法を用いて資源評価を行ってきたが、近年は、まき網漁業による漁獲量が増加しており、また、赤道水域における国際間の漁獲競合の激化などがあり、これらの資料を含めた資源解析が課題である。
 1987年から科学技術庁の「親潮水域における海洋環境と餌料生物生産維持機構の解明」に関する特別研究が開始され、その中で「親潮水域における動物性餌料環境の解明」を担当し、調査研究を始めている。これまでに動物プランクトンの分布特性についての知見が得られており、今後さらに親潮系の主要種の生活史の研究が計画されている。
 近年、海中養殖魚の餌料としてのイカナゴの需要が増加し、その漁獲を目的として200海里体制下で経営が苦境にある沖合底びき船が1984年からイカナゴ漁を開始して、沿岸小型漁船との間で漁業紛争が起きてきた。こうした競合が発生している中で漁獲量が減少傾向をみせ、資源状態を科学的把握する必要が生じ、資源管理部では関係水試と協力してイカナゴの資源調査研究を1988年から開始した。この中ではイカナゴの再生産を維持して、安定した漁業生産を継続することができるように、的確な資源評価とそれに基づく適正な資源・漁業管理方式の開発が求められている。
 日ソ協同研究会議は現在、「日ソ漁業協力協定」と「日ソ地先沖合協定」とに基づく二つの専門家・科学者会議の同時開催の会議となっている。重要魚種の漁況、再生産、資源状態等が討議されるが、漁獲割当量を決める前段の会議とあって、最近は資源評価をめぐって激しい論議がなされる。従って、今後とも調査研究を充実させ、会議には主導的に対応する必要がある。

4 今後の研究の方向
 現在、経済構造調整政策と科学技術会議第13号答申を背景として、1983年に策定された「農林水産研究基本計画」の見直しの検討がなされており、その方向が注目されるところである。
 東北の漁業は今、米、ソをはじめとする外国の漁業規制の強化によって、激しい状況におかれている。一方、国内的には、漁獲競争に勝つために漁船の大型化、先端技術の導入などが行われ、漁獲性能が飛躍的に高まって資源の乱獲が危惧される状況にある。また、集中的な水揚げからくる大漁貧乏的状況も発生している。経営的には適度の設備投資により基盤が脆弱なものとなっており、その上、輸入魚の増加等によりその経営危機からの脱出が困難とさえ云われている。しかし、東北の漁業が、国民の食糧蛋白源確保の観点からだけではなく、流通・加工業等、関連産業を含めて地域経済に果たす役割が大きいことを考慮するならば、単に資源問題のみならず社会経済的面を含めた観点から、その存立条件を探ることは緊急を要する今日的課題である。
 これらの課題を解決するために、資源管理部は何をなすべきかをしっかりと認識しておかなければならない。基本的には「東北区水産研究所の研究基本計画」に基づく調査研究を着実に推進することである。その中心となる課題は、対象資源の動態を解明し、その変動予測を的確に行ない得る方法を確立し、乱獲に陥らないで許容される漁獲量の範囲内において安定した漁業生産を展開することができるような適正な資源・漁業管理方式の開発を行なうことであると考える。
 サンマに関しては、第3期長期研究計画「北西太平洋におけるサンマ個体群の構造と動態の解明並びにサンマ棒受網漁業における資源・漁業管理方式の開発に関する研究」に基づく調査研究を協同して推進する。計画の柱は、サンマ個体群の構造と生物特性の解明、サンマ個体群と海洋環境との関係の解明、サンマ個体群の数量評価と変動予測手法の開発及び改善、サンマ漁業の構造分析と動向予測、サンマ漁況予測、サンマ棒受網漁業の適正な資源漁業管理方式の開発であり、21の小課題を19の関係機関で分担して進める。
 主に竿釣りとまき網の二つの漁法で漁獲されているカツオについては、両漁法で対象としている資源の生物特性を明らかにし、資源特性値を検討して資源評価並びに資源動向予測の精度向上を図る必要がある。また、竿釣とまき網漁業の両者への漁獲量の適正な配分を検討する。更には経済的条件を考慮した漁業管理手法の検討も進める。
 イカナゴに関しては前述のとおり、研究が開始されたところであり、基礎的な研究と資源・漁業管理方策の検討とを統一的に展開することが重要である。
 魚類の餌料プランクトンの動態は、プランクトン食性浮魚類の資源の動態と係わっており、その関連性の解明は引き続き重要な研究課題である。
 最近の漁業情勢から東北水研の資源管理部における研究をみると、従来からのサンマ、カツオ、イカナゴ、オキアミ及び餌料生物だけを対象に展開すれば良いことにはならないであろう。この意味で本年度から生態秩序の研究(バイオコスモス)に参画し、マイワシの耳石からみた発生初期の生活史の解明を図っている。
 今後は、東北の漁業にとって重要な他の資源についても八戸支所と協力・分担して研究する必要がある。
 資源研究の展開には、これからも漁業関係者の協力なくては成り立たないと同時に、水試、大学、漁業情報サービスセンター、海洋水産資源開発センター等との協同が不可欠であり、協力関係を深める必要がある。
 資源管理部内においては水研発足当時から部の柱として活躍してきた方々から次世代の人達へと主役が変わりつつあり、清新で躍動に満ちた研究活動が始動しており、今後の部の発展が期待されているところである。文化活動では伝統を守ることなくして創造的発展なしと云われるが、資源管理部の研究活動においても良い伝統を継承することにより真の発展が望めると考える。

(資源管理部 浮魚資源第1研究室長)

Sunao Kosaka

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