シロザケの偶発的雌雄同体について考える

藤井 武人



 当研究所別棟(増殖棟)の玄関広間の隅に、放流され回帰したシロザケの標本と一緒に、両性生殖巣(卵精巣)を備えたシロザケの標本が並べられている。これは1985年10月初めに七ヶ浜の業者から提供されたもので、9月の末に北海道は日高の定置網で捕獲されたものだという。生殖巣の測定値は表1の通りで、左右とも前半は卵巣,後半は精巣で,外観からも共によく成熟しており,疋田・橋本氏等*(1987)の報告に示されているものによく似ている。本来魚類は雌雄同体であったという私見からすれば,珍しいといってもそれほど不思議なものではないから,何時だったか部の集まりの折に,通行の邪魔になるから倉庫に仕舞い込んだらどうかと提案したところ,展示する価値があるからそのままにしておくべしという意見がでて,依然そのまま放置されている。確かに雌雄異体と目される種に同体の個体が出現するというのは珍しい現象だし,その生殖巣が肉眼で容易に判別できるということから標本的価値はあるのだろう。それではどれくらい稀なものか,過去の報告事例を捜してみると,ざっと当っただけで10例近くあつた。そこに示されている生殖巣のうちのいくつかは奇形的な形状を呈するものもあるが,他は当所の標本と同様に前方卵菓,後方精巣という点で共通性をもっている(図1)。
 ところでマス類ではもっと頻繁に雌雄同体の個体が発見されるらしい。花岡氏※(1937)は「虹鱒における雌雄性の問題」なる論文においてMrsicら(1931)の研究を紹介するかたちで次の様に述べている。「生殖腺の発生過程において学問上最も興味ある点は,精巣の発生に関する部分である。即ち虹鱒においては生殖腺発生の極めて初期においては雌雄共に生殖腺内に極めて大型な,形態的には卵細胞と全く異なるところのない生殖細胞が生じ,精巣が生じる際にはこれらの大型卵細胞様の生殖細胞が尾端の部分から次第に退化し,他の小さい生殖細胞が新たに分裂増加して後の精母細胞が生ずるのである。即ち精巣は形態的には一旦卵巣様の構造を有する生殖腺が出来上った後,改めて其の生殖腺内に改造の作用が営まれ,其の結果として二次的に生ずるのである。然して此際改造の始まる点は常に尾端にあり,頭端に向って作用が進行する。(中略)一般の雄では雌型の生殖腺が雄型に転換する過程は上述の様に早期に終了するが,稀には生殖腺の発生が可なり進んだ後に非常に遅れて雄の方向に向う転換の作用が始まる場合がある。」つまりニジマスの場合,雄は性分化の途上で半数の雌が性転換することによって出来上がるものであり,この転換が時には非常に遅れることがあって,その時に肉眼でそれとわかる両性生殖巣を備えた個体が出来上るのではないかと言うことらしい。両性生殖巣の形態の類似することから,シロザケにおいても同様の性分化の過程が類推されるが,ではなぜ転換の開始時期が遅れるのか?そこに何か必然性があるのかということが問題になる。
 卵巣様の生殖巣が精巣に転化する際には一時的に両性生殖巣の形になるので,この様な状態が認められる場合を幼時的雌雄同体現象とよび,「痕跡的雌雄同体」なる範疇に類別されている。このことはこの様な現象がみられる種ではかつては正規の雌性先熟の性転換が行われていたということを暗黙のうちに示している。従って,かつて性分化後の全個体において起っていた性転換が,現在では半数の個体だけに,その発育の初期において生じるようになっているのが幼時的雌雄同体現象であると考えることができる。ではどのようなメカニズムでこのような変化が生じたのか?それを考察し説明しようとするのが図2である。
 同時成熟型の雌雄同体における成熟の同時性が薄らいで,雌雄の生殖腺組織の発達に時間差の生じたものが雌性先熟或は雄性先熟の性転換現象であることは自明の事柄と思われる。まず性転換を行う種についてみると,発育・成長に伴い各段階での群に占める雌,或は雄の割合(性比)は図2・上の1のように変わる。地史的時間の経過と共に性比の変化のパターンは1から2へ,更に5へと順次移り変わると考えるわけである。図2・下は1から5に対応するところの性転換の生起の頻度の分布を示したもので,1においては成長のある段階に集中していたものが,2では前後に広がり,3では更に広い範囲にわたるようになる。ここでは性機能の面でみると3種類の個体が出現することになる。一つとしては成熟の時点よりも早い段階で性転換を行う個体で,これらは生涯を転換後の性のみで過ごす。二つとしては生涯の間に雌雄の両性を経験する個体。残る一つは性転換するのが死亡の時点より後になる,即ち生涯性転換しない個体である。このようなパターンは実際に雌性先熟性転換を基本的な雌雄性としているベラ科の一種のササノハベラにおいて知られている(中園*1987)。ここでは雌の相を経験しない雄は一次雄と呼ばれ,それに対して雌が性転換して出来た雄は二次雄と呼ばれている。また雌のまま生涯を終える個体も少数存在する。図2・下の3の状態が更に進むと4ないし5のように性転換の生起が発育・成長の初期と晩期に二分されることになる。5では半数が性分化以前に性転換を終えてしまうので実際上は完全な雌雄異体のパターンである。ところで4では初期と晩期の中間の成長段階で,低率ではあるが性転換する個体が存在する。雌雄異体とみられる種において時折発見される両性生殖巣は,このような個体において転換途上の生殖巣がたまたま成熟したものではなかろうか。4や5のパターンが痕跡的雌雄同体と呼ばれるならば,性転換を司る遺伝的機構も退化傾向にあると推察され,そのことが原因となって偶発的に出現する雌雄同体個体の生殖巣を往往にして奇形的なものにすると考えることもできる。
 以上のように考察すると,性転換現象と幼時的雌雄同体現象を関係づけることが出来,ひいては雌雄性の歴史的変化が雌雄同体から異体の方向に向かっていることが理解しやすくなると思う。幼時的雌雄同体現象の存在は疑いのないところであって,魚類だけでなく,雌雄同体種が多数みられる貝類においてもホタテガイでその事実(この種の場合は半数の個体で精巣様の生殖巣が卵巣へと変わる)が知られている。しかしニジマスのそれについてはまだ議論のあるところであり,シロザケとニジマスではまた事情が異なるだろうから,シロザケでの雌雄同体個体の出現に歴史的必然性があるなどと強弁するのは早計かも知れない。それにしてもサケ・マス類を含めて身近な魚に時折みい出される雌雄同体は,生物の歴史の神秘を思う契機となる一物ではある。
(増殖部 魚介類研究室)

※疋田・橋本(1978)北海道さけ・ますふ化場研報
 (32),61−64.
 花岡(1937)鮭鱒彙報9(34),11−13.
 中園(1987)中園・桑村編“魚類の性転換”第7
 章.東海大出版会.174−178.

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