2.SARPの基本となる考え方
耳石の日周輪を用いて仔稚魚の日齢を査定する手法は1971年以降急速に発展させられ,資源生物学研究の重要な一手法となった。METHOT(1983)*はこの手法によって,カタクチイワシ稚魚の誕生日が産卵期間内でどのように分布しているかを示した。つまり,稚魚期まで生残り得た各個体が何月に産まれたかを調べ,全体としてどの月産まれの群が稚魚全体の主な構成要素となっているかを示したのである。この結果と海上調査によって求められる各月の仔魚生産量を比較することにより,発育初期の生残率を月別に判定できる。
産卵期間内でどの月が高い死亡率を示し,どの月にすぐれた生残がみられたかを正確に判定できることによって,それらの原因を詳しく検討でさるようになる。即ち,産卵期間内の産卵海域における生物的・物理化学的環境条件を詳しく調査し,その結果と各月の生残とをつき合せることにより,どのような環境要因が生残に影響したのかを明らかにできるのである。生残率の違いを月別に明らかにするというこれまでに行なわれたことのない方法に基づいて,生残率に及ぼす環境要因の影響を検討するという考え方がSARPの基本となっている。
※Fish.Bull.,81,72〜82(1983).
3.SARPで検討される仮説
飢餓:運動力が小さく飢餓に対する抵抗力の低い摂餌初期の仔魚では,適切な餌が十分な密度で存在するか否かが生残を左右するであろう。これまでの研究では,カタクチイワシEngraulis mordaxでは少なくとも20〜40細胞/ミリリットルのGymnodinium spledensが摂餌初期の仔魚の餌として必要であることがわかっている。カリフォルニア沖のような生産力の低い海域では,ある薄い層を除くとこのような餌条件を満たすことはまれであり,密度の高い餌の層が形成されても風や湧昇流によって乱され易い。このような環境下では餓死が主な減耗要因となるであろう。
被捕食:産卵から加入までの間の被捕食が加入量を左右するかもしれない。最近の研究によれば,多くの仔魚で生残に必要な餌密度がカタクチイワシより低く,摂餌開始直後のごく短い期間を除けば天然における飢餓もまれであるとされる。被捕食はその割合がわずかに変化しただけでもそれが長期間続けば低い生残率をもたらす。イワシやカタクチイワシの仔魚が浮遊性無脊椎動物や魚類に捕食される例は実験的にも天然でも報告されているが,その定量的検討は仔魚がすぐ消化されてしまうこと,捕食される際にかみ砕かれてしまうことなどのために難しい。SARPでは,発育初期における被捕食がどの程度著しくかつ重要な減耗要因となっているかについての初めての概算的な指数を与えることをねらいとしている。
輸送:加入量の変動は,仔魚が流れによって生存に適さない環境へと運ばれることによって生ずるかもしれない。これまでの知見では,親魚は沖へ向う流れの少ない場所に移動して産卵する傾向が多くの種で見られるようである。SARPではこの点についても検討する。
4.研究方法
SARPでは最近考案されたいくつかの新しい研究手法が用いられる。
耳石日輪の解析:SARPの基本となる方法は,前述のように耳石日周輪による稚魚の誕生日の推定に基づいている。また,日周輪からは稚魚の成長に関する情報も得られる。そのためには耳石の大量処理が必要であり,ビデオ装置とマイクロコンピューターを用いた計数計測法が確立されている。
飢餓仔魚の組織学・形態計測:天然において採集された仔魚の栄養状態を,脳,筋肉,内臓諸器官などの組織学的特徴や,外部形態の計測結果に基づいて判定し,飢餓による死亡が初期減耗全体のどの程度の割合を占めているかを判定する。
免疫学的手法による被捕食の判定:ウサギを用いて卵黄蛋白質を抗原とする抗血清を作り,これを捕食者と思われる種の胃内容物と反応させることによって,卵および卵黄を持つ仔魚が捕食されているか否かを判定し,その程度についても推定する。
産卵数・産卵額度の推定:組織学的検査によって卵巣内の吸水した完熟卵を計数して1回の産卵数を知り,また排卵痕の状態から産卵雌の割合を調べる。これによって多回産卵する種の総産卵数の推定を行う。
これらの他に新しい資源量評価法としてEgg Production Methodが確立され,その手引書も印刷されている。カリフォルニア沖ではすでに昨年度実施されてカタクチイワシの資源量が推定された。今年度はこれとは別の方法による推定が行なわれることになっている。
最初に述べたように,SARPはカリフォルニア沖の他にペルー〜エクアドル沖,ペルー〜チリ沖でも計画されており,対応する国の研究者が各計画の実施にあたることになる。ここで紹介した新しい研究手法の他,海洋観測やデータの処理について各国の手法を統一させ,海域間での結果の比較によってニシン亜目魚類の加入の問題をより詳しく検討することがSARPの基本的な考え方の1つになっている。そのために,南西漁業センターでは11月中旬の2週間,各国の研究者を集めて,耳石処理,組織学的検査,データ処理,海上調査,海洋学等について実験室内と調査船上での技術指導を行う。
私は科学技術庁長期在外研究員として1年間南西漁業センターに滞在する機会を得た。SARPには研究手法や考え方に多くの学ぶべき点があり,1年間のうちにこれらを積極的に吸収したいと考えている。
本稿は,1984年11月5日〜9日米国南西漁業センターで行なわれたSARP計画研究会の報告書,および1985年1月に提出されたカリフォルニア沖SARPの1986,1987会計年度の計画書に基づいて書かれ,英文訳によってその内容をR.LASKER博士に校閲していただいたものである。本稿の準備に協力され,英文訳を御校閲下さったR.LASKER博士に感謝する。
(追 記)
昨年12月,クリスマス前の慌ただしい時期にGramm Rudman法が米国議会を通過し,レーガン大統領もこれに署名した。この法案は年間2,000億ドルに上る国家財政の赤字を1991年までの6年間で解消するために,1986年度は117億ドル,1987年度以降は毎年360億ドルずつ歳出を減らしてゆくという画期的なものとして日本でも報道された。削減全体の半分は軍事費関係から,残りの半分はその他から行うとされ,その影響はすべての国民におよぶと言われている。
カリフォルニア沖におけるSARPは,今年度分117億ドルの歳出削減の影響を真っ先に受け,予算的裏付けを失って実施見送りとなった。昨年11月にはラテンアメリカ各国から研究者を集め,2週間にわたってSARPの講義と技術指導が行われ,その後1回の予備的調査航海と2回の本航海が終了した段階で予算ゼロの宣言を受けたのである。SARPそのものは,ペルー,エクアドル,チリー沖での計画もあり,これらの国によって実施される可能性があるとは言え,計画に指導的役割を果してゆくべきラホヤの研究者がSARPから離れねばならないということは,実質的にはSARPそのものの中止を意味するように思われる。
我々が,予算ゼロの連絡を受けたのは1月28日,ちょうどスペースシャトルの悲劇の日の午後であった。