第16回 日ソサンマ・サバ及びマイワシ協同研究会議の概要

福島 信一


 1983年の漁業に関する日ソ科学技術協力計画に基づいて,首題の会議が11月1日夕刻ソ連代表団を迎え,2日〜5日に八戸市において開催された。この会議の八戸開催については,かねてソ連側の強い要望があり,懸案となっていたものが実現したもので,地方開催としては3回目である(これまで塩釜市において2回)。 本会議の八戸開催決定と共に,水産庁資源課を中心に早目に準備にかかり,7月には会議日程等も検討してきめた。ところが,先方の都合により,当初の10月12日〜19日が10月27日〜11月2日と変更,さらに11月10日以降となり,最終的には11月2日〜5日に開催されたのである。ちょうど準備段階で,大韓航空機撃墜事件とかち合ったため,報道関係者の中には,それとの関連があるのではないかと,かなり気になった人もあり,記事にすべく?しばしば電話あるいは来所された。しかし,このため何より迷惑を蒙ったのは,会場・代表団の宿泊を予約していたパーク・ホテル,御協力をお願いしていた八戸市当局あるいは地元業界の方方であった。また裏方として設営に当った当支所の職員は,日程変更のつど振り回されて,大変なことであった。
 このようにして,二転三転の末に今回の会合は行われた。出席者は,日本側は北海道・東北・東海・日本海区の4水研,水産庁から18名,通訳2名の多数であったが,ソ連側はケーニヤ・ヴェ・ア(団長,イワシ専門家),ベリャーエフ・ヴェ・ア(サバ)の2名というさびしさであった。これも当初の科学者3名の予定が,体調がわるく1名減となったもので,前記情勢の反映ではなかった。ソ連側2名の代表はいずれも新進気鋭の上級研究員である。かねてから日本側も新旧交替の時期と考え,この会議に当初から関係してきた筆者はOBのつもりでいたところ,はからずも日本側団長を命ぜられ,慣例により会議の議長をつとめることと相成った。
 会議は予定どおり11月2日9時30分開会,水産庁伊賀原研究部長の挨拶ではじまった。今回の特徴は何といっても強行スケジュールで,僅か4日の会期で,サンマ・サバ・マイワシ3魚種について,海況,漁況,再生産,資源評価にいたる全般的な討議を尽くし,共同報告書の採択,閉会へと,こぎつけざるを得なかったことである。筆者は初めこの点を一番気にしていたものの,議長は魚種別代表を兼ねないので,開会後は比較的に気楽に,多少強引に議事進行することで対応させて頂いた。しかし各魚種の報告・討議の時間割は1日以内であり,結果の取りまとめ,共同報告案の作成,ソ連側との打合せ,大筋の合意をその日のうちに取りつけねばならぬので,討議は深更に及び,その任に当られた各位には,文字どおり昼夜兼行で,大変ご苦労された(写真)
 会議の全容については,いずれ議事録でご覧いただけると思うので,ここでは討議のさわりについて簡単に述べる。内容はともかく,議事の進行・合意到達は歴史の古い魚種ほどスムースである。国の内外を問わず当然のことかも知れない。
 従って,海洋状態ならびにサンマ北西太平洋系群に関する報告・討議は,海況の特徴,漁況の経過,1984年の漁獲量予測等について,もっとも容易に合意に達した。しかし,内容的には,1983年の両国の漁獲量を「1982年程度(21万6千トン)に近づく」と予想されたが,実際の漁況はこれをかなり上回り25万トンに近いようである。このことから,1984年の可能漁獲量は仔魚の生残り状況などから「1983年と同水準かこれを上回る」「22万トン前後」と予測されたので,水準からいけば「25万トンかそれ以上」と補正して解釈すればよいのか,数字で示された「22万トン前後」の方が生きるのか,といったような問題があり,なお調査・研究の充実がのぞまれる。
 次いで,マサバ太平洋系群については,資源状態が依然として低水準にあること,及び資源量・許容漁獲量の推定等について意見の一致がみられた。なお本件の議事終了直前にソ連側が発言を求め,本種の資源動向について,明確な根拠は示さず,「4〜5年後には増大に向う」と付言した。これに対し日本側は,今後のマサバの加入条件には期待はもたれるが,資源の増大に直結するかどうかは断言できないと応じた。
 さらに,太平洋側のマイワシについては,資源状態は依然として高い水準にある点では一致したが,ソ連側は増大のピークにかかったところと主張し,日本側はピークを過ぎたところと述べ,多少の相違があった。しかし,1983年の資源量については,双方の資源評価方法の違いから,数値に大きな差があり,長時間の討議を経て,ソ連側の方法の精度上の問題点を考慮すると,許容漁獲量は日本側の値に近づくということで,大筋の合意がみられ,ほっとした一幕もあった。また今回は日本海区水研からも初めて出席があり,日本海におけるマイワシ群の分布・生態等について,第一回目の両国の意見交換が行われた。
 最終日の11月5日は事務的な協議で,1)1984年のサンマ・マサバ・マイワシの協同調査,同資料の交換,及び科学調査船への相互乗船。2)第20回協同研究会議には,20周年を記念して成果の共同出版を行う。3)次期の第17回会合をソ連邦において開催することで合意した。ひきつづいて,共同報告書を作成・採択して,12時には無事閉会することができた。
 以上が今回の会議の概要であるが,気付いた点としては,何よりも会期をもっと充分にとることである。調査研究の面では,各魚種とも資源評価,許容漁獲量推定方法を一層発展させ,精度の向上を計ること。とくに問題となったマイワシと関連して,科学魚探による資源量実測方法の技術開発のため,両国の科学者による共同調査がのぞまれる。後者については,次回の会議で実現を計る必要があろう。できればマサバ・サンマ・次回から加わる予定のスケトウダラも含めて。また日本側代表団構成の若返りも,くり返しになるが痛感された。それと共に,内外情勢のきびしさに伴って,本協同研究会議の地方開催は,むずかしくなってきたということも感じられたところである。
 それにしても,例年11月には陸奥の天侯は不順となり,寒さもひときわ加わるのであるが,本年は珍しく,毎日すばらしい晴天・無風の状態がつづき,快適な日和に恵まれたことは何よりも幸せであった。それ故に,あと1日も余裕があれば,ソ連代表団を奥入瀬・十和田湖・焼山温泉と御案内する絶好の機会であったと思うと,誠に心残りであるのは筆者だけではあるまい。またちょうど,八戸魚市場見学を実施した当日は,「2万トン・船どめ」というマサバの大漁で,ソ連代表団はもちろん,日本側の参加者も,八戸の水揚げ風景をまのあたりにして,目を見張っていたようであった。
 なお,今回の協同研究会議を開催するに当り,全国さんま漁業協会,全国まき網漁業協会,北部太平洋まき網漁業組合連合会,地元の八戸市当局ならびに開運業界から,会議の成功のため,心からなる御協力を預いた。ここに記して厚く御礼申し上げる。
 終りに毎回のことであるが,この会議を進めるに当っての水産庁研究部各位の御努力に感謝すると共に,当八戸支所の事務局としての陰での奮斗に支えられたことを記させて項く次第である。
(八戸支所長)

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