札をつける

倉田 博



 「札つき」とは,ふつうあまり芳しからぬ意味合いで使われる言葉である。「−のわる」「−のおしゃべりあま」「−ののんだくれ」などというが,孝行息子やまともな商品には札をつけない。なわつき,ひもつき,きつねつきなど,とかく余計なものがついているのはまともではないという評価が,わが民族のものの考え方の根底にあるらしい。
 ところで,世の中が近代化するにつれて,最近は札つきのイメージも商品に関する限り大分変ったようである。いつ,どこだったかは忘れたが,田舎から都会に出てはじめてデパートなるものに入ったとき,どの品物にも値段を記入した札がついていて,貧乏人の胸算用にはずいぶんと便利なものだと感心した記憶がある。もっとも,売場の近代美人にはいささか閉口したし,値切る楽しみがないと判って味気ない思いもしたが,それも今は昔。近頃はどこへ行っても,下は歯ブラシから上は中古車まで,庶民の買うものにはなんでも,いちいち値段札がつくようになった。しばしば高い値段を赤線で消して,少々安い値段に書き直した札がついていることがある。どうせふっかけておいて元に戻したに違いないとは思っても,一見何となく安いような気になるから妙である。これも現代式のやり方なのであろう。「とにかく,便利なことはいいことだ」というご時勢である。そのうち人間さままでが正札をぶら下げることになるかも知れない。開発課が,海に放流する人工種苗に札をつけたいと提案しているのを読んで,つい余計なことまで考えてしまった。閑話休題。
 たしかに,海に放流した種苗を目立たせるには,ことの良し悪しは別として,札つきにするのが一番ききめがあるようだ。それに,どうやら現代的でもある。単に識別するだけなら天然種苗の方に札をつけてもよい理屈だが,残念ながら母集団が薮の中だし,人工種苗の宣伝効果も薄れよう。札はなるべく派手に目立つものがよい。持主の名前などが書いてあればなおさら効果的である。そう言えば,いつかテレビで,送り主の名前入りリンゴをご贈答用にどうぞ,と言っていた。こういうアイデアは,誰でもすぐ真似ることができ,忽ち広く普及するところがまことにスマートである。ホタテガイの採苗にタマネギ袋を使う発想なども,その好例であろう。この種のアイデアが標識にも是非欲しいものだとかねがね思っていたが,最近ようやくそれらしきものを思いついた。そこで,ここにそれをご披露しようと思う。実はこのアイデア,東北水研の屋根裏部屋に足かけ3年閑居して,松島の空に舞う鳶の群を眺めているうちにふとひらめいたものなので,離任のご挨拶代りに東北水研ニュースの紙面をお借りした次第である。
 いつもの悪いくせで,中味もないのに前置きだけが長くなったが,タネとしかけは挿図のとおり,コロンブスの卵と同じで,わかってしまえば何ということもない。札は一枚のビニール・シートで,ほかには何もない。針は,札をつけたら切りすてる。札を作るのに多少手間がかかるが,つけるのはいたって簡単である。札を通す,針を切り離す,ツータッチである。左右対称に,振り分けて仕上げる。ループにしないところがミソである。この札をつけて泳いでいるニシンを見ていると,まるでリボンだと思ったから,素直にリボン・タグと命名することにしよう。私の皮算用では,札のサイズを加減して上手に付ければ,タイやブリの人工種苗にはもちろん,小羽イワシからマグロまでおよそ体を立てて泳ぐすべてのまともな魚とエビには使えそうである。今までに,サケとニシンの人工種苗およびホッカイエビに試してみたが,いずれもすこぶる具合がよろしい。ひねくれもののヒラメ・カレイには,もうひと工夫が必要だろう。
 現在私の手許には,赤と黄のそれぞれ0.03mm厚と0.08mm厚のビニール・シートが1m幅で長さ100mほど在庫がある。試験用にご希望なら何方にでも無料で提供するつもりである。どうぞご遠慮なく。ただし札作りは,市販の縫針と接着剤をお買い求めの上,各自でお願いする。こんな札を作ってくれ奇特な業者は,まだ見付からない。海水中で何年も鮮明に残る記号や番号をシートに印刷する件についても,業者に相談したが半月たっても返事がない。
 何の因果か,人工種苗は生れる前から不自然な淘汰圧にさらされ,その上過密によるストレスを強いられている。それもこれも,もっぱら人間さまのご都合からである。生産効率を上げようとすれば,ますますひどくなるだろう。やっと育ったと思えば,今度は有無をいわせず札つきにされるのではたまったものではない。種苗に口がきけたら「憲法違反だ」とでも叫ぶだろう。札が重荷にならぬよう,できる限りの工夫をこらすのがせめてもの思いやりというものではないか。人間さまの一方的な都合だけで,洋服なんぞに使うピンを出来合いの鉄砲で打ち込むというやり方は,どう弁解してみても言語道断というほかはない。何よりも,フェアでないところが気にくわぬ。まあ,そんな動機から,標識には特別な関心がある。ふり返ってみれば,この度の帰新参を含めて5水研に勤務したが,その都度真っ先に手掛けた仕事がいつも標識だった。これも何かの因縁かも知れない。5度目でようやく決定版らしいものに近ずいた手応えを感じている。こんな札をためしてみたい方はいませんか。

(北水研所長)

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