カリフオルニアの青い空

水野恵介



 まぶしすぎる青い空,長く美しい海岸線,赤茶けた地肌の巨大な丘,その谷あいを走る フリーウェイをオールズモビル3600ccで通勤し,ラホヤの海岸でジョギング,サーフィン・・・。 今になって考えると何だが夢をみていたような気がする。
 私は科技庁宇宙開発関係派遣職員として1981年10月から82年7月まで10ヶ月間カルフォルニア州 サンディエゴ市郊外にあるスクリップス海洋研究所へ留学した。ここは大学としては全米唯一の 受信から解析までを行うリモートセンシング施設を持っている。私のいたのは海洋物理部門で, ホワイト博士のもとで黒潮の変動に関する研究に従事した。ホワイト先生は若くて目下売出し中 なので仕事にきびしく,私の所へ来ては「やったか?」と聞く。私に解析結果を報告させると, あれこれディスカッションが始まる。初め私の英語がヘタなので「つきあいきれん」という顔を したが,次第になれてくると(多分彼が私の英語になれた),論文をあちこらから引っぱり出して きて「これ明日まで。」と平気で言う。閉口しながらも,ここでできませんと言うのは日本人の ハジなどと,常日頃夢想だにしないことを考えるので,その結果週末返上ということがしばしばで あった。こういうきびしさは私にとって非常にためになったし,ホワイト先生も大変だったと思い 感謝にたえない。一般にアメリカは研究に対して非常にきびしい。この原因は例えばスクリップスの 研究者といっても研究予算は個人でいろいろな所に要求してとる個人事業主のような所があり,成果を 出さないとすぐ次の予算にひびくのである。研究体制にしても,プログラマー,秘書,画工などが 研究者を支え,我々のように1人でプログラミングからトレースまですることはない。彼らが数多くの 論文を出せる理由の1つであろう。スクリップスではほとんど毎日どこかでセミナーが開かれ,私も 時々顔を出したが,ムンク,コックス,リードといった大御所達のセミナーは床まですわり込んだ 学生でいっぱいであった。特にムンクの明快な講演は心打たれたものである。
 日常生活で幸運だったのは,渡米前,日本で友人になった米国南西水産研究所のラウルス博士が 非常によく面倒をみてくれ,家さがしから車の購入とスムーズに事が運んだ。私の場合家族を 同伴したため面倒な事もあったが,精神的にリラックスできる利点もあった。私は日頃決して料理や 洗濯はしないので,こういう点は家族同伴はよい。しかし,パーティーなど必ず夫婦で出ることに なっていて,その場合女性は不当に持ち上げられているように見える。「何でオレが酒を配って あるいたり肉きざんだりせにゃならんのか。」と文句を言いつつもこまめに働かざるを得ない。 そうなると次第にアメリカ並に女が強くなってくるのである。10ヶ月というのは私にとって, やっと向うの生活に慣れ,仕事も面白くなって来た時に終りという感じである。しかし,とにかく 論文も1つ終え,たくさん友人もでき,よく学びよく遊んだ10ヶ月であった。これから若い人達に 次々と行ってもらいたいし,できれば私自身もう1度行ってみたい気がする。
(海洋第一研究室)

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