下関から塩釜へ

飯塚景記



 去る、12月1日付で、西水研下関支所から東北水研資源部に着任致しました。向寒期に、暖地から寒地への渡りは、さすがに厳しく、今冬は、寒気が骨身にひしひしと感じて居ります。
 この度の移動は、家族と共に八戸を離れて満5年、私が、生れ故郷の仙台を離れてから20数年ぶりになります。八戸から下関、そして下関から塩釜への転勤(住)は私にとって、距離的な大移動であったと共に、東、西の人情と風土に接触する二度とない機会であり、仕事や人間関係の理解の場であったと思います。このことは多くの信頼関係と共に、今後の私の社会生活において、大いに役立つものと信じております。
 大宮から仙台までの東北新幹線の乗り心地はまさに快適でした。しかし、窓外の景色は、何か田園風景が少なくなり住宅用地、レジャー用地、あるいは企業用地化が一段と進んでいるように見えます。新幹線の発足が「白河以北2束3文」時代の名残がのこっている東北を今後、急速に変えることでしょうが、どうも東北震撼線になる危惧がしてなりません。また仙石線塩釜の街の話になりますが、他所で聞く評判はほとんど悪く、「ごみごみした」、「汚い」、「臭い」というのが一致した評価でした。これは街全体を指すのではなく、表看板である本塩釜駅とその周辺、あるいは、加工団地(水研周辺)にあったと思います。私も今までは全く肯定的でしたが、今度おどろいたことは駅とその周辺が全く好適に変貌しつつあるというこです。従来の悪いイメージは大分薄らいだのではないでしょうか。
 このように、ものの変化はいつ、どこでもみられるわあけですが、できれば何事も良い方向に変わって欲しいものです。仕事についても同様で、現実とは違い、つねに発展を夢みていますが、とくに前が短くなると、何か好勝手なことをやってみたい気がしないでもありません。しかし、水研が産業研として立脚し、認識されている以上、許されないのはあたり前でしょうし、逆に最近は、仕事が人につくよりも、場についている感が強いように思われます。つまる所、与えられた仕事を一生懸命やらざるを得ませんが、「蟹の掘る穴」と同様、許容力に問題があるようです。とにかく、信頼関係を確立しつつ、足もとをみながら、出来るだけ「大きい甲羅」になることを念願しいて頑張りたいと思います。
 そのためには、これまでに得たわずかな経験、知識をふるに活用すると共に、今後の皆様の絶大なるご指導、ご教授が必須です。よろしく御支援の程をお願いする次第です。
前 西海区水産研究所下関支所第1研究室長  資源部 資源第二研究室長

Keiki Iizuka

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