諸行有常

倉田 博



 東北水研へ4月16日付で配置換になりました。当所と東北海区ブロックの皆様に改めて 紙面でのご挨拶を申し上げます。企画連絡室の役目は、事務分掌規程で試験研究に関する総合的な 企画、調整及び連絡を行うこと、と定められています。この種の業務は企画連絡室の有無に拘らず 水研設立以来ずっと行われてきたはずですが、近年、水産業の動向を反映して、水研業務がますます 多岐にわたり複合化したのに伴ない一段と手間のかかるものになったため、専門部局をおいたものと 思われます。この世では諸行無常と申しますが、定まらぬものの動きの中に一条の常なるものを 見付けだしそれを乗務の指針にしたいと希っています。
 それにしましても、たてまえはともかく、流動的に進行している研究業務の流れの中で、企画連絡室の立場や役割を見極めようとすれば するほど霧立ちこめた松島のように輪郭がぼやけてゆく感じが否めません。別のいい方をすれば、 縄の回転を妨げずに縄跳びの輪の中に入ろうとするときに似た難しさを感じます。たとえば調整とは、 広辞苑によりますと、調子や過不足をととのえることですが、一体試験研究に関する調子とは なにか、どうなったらととのったことになるのか、過不足はなんで測ればいいのだろう、などなど 疑問は疑問を呼び、山の向こうは山だった、とつぶやくばかりです。たぶんまだ歴史が浅いせい でしょう。それとも今までの研究業務から頭の切りかえがうまくゆかないせいかもしれません。 ご存じのように自然科学の研究はいわば人と「もの」との対話ですが、企画・調整・連絡は本来 人と人との対話を基本としています。そしていうまでもなく、人なみ心あり心おのおの執あり、と いうわけですから。
 人間の文化の歴史は、本質的には、万人の心の奥深くダニのように居座ったエゴという 恐ろしい本能が、ともすれば暴走しそうになるのをいかに制御するかという技術開発の歴史だった のではないかと思います。有史以来数千年を経た今日でも、正体さえ見極め難いこの怪物の扱いに ついて個人としても集団としても人類が開発したさまざまの技術は、現世の秩序をかろうじて 維持してはいますが、まだまだ不完全なものだといわざるをえません。たとえば、わが大和 民族には古来この世では、「けんか両成敗」というおきてがあります。絶対的に真なるものは 玉ねぎの皮をむくようなもので、しょせん人知の及ばざるところ、ゆえに是非の理は人のよく 定めるところに非ず、というたいへん深遠な思想に基づくものと思われます。このおきてに従えば、 人と人との調整は「和を以て貴しとなす」ほかはありません。とこほが、この文化の最大の弱みは、 ベンダサン氏が指摘したように、正義を口にする者が一方的にいどむ争いに立ち向かうことができ ないことです。「すべてわれらの義は汚れたる布切れなり」と叫んでみてもイザヤ書とは無縁の 衆生が済度されるはずもなく、怖れを知らぬ正義の化身は苦もなく和を黙らせてしまうでしょう。 しかし、誰もが、正義を口にするとその旗印が山野を埋め、遂に問答は無用となり正義と正義との 争いが起こります。歴史によればその結末は、小は個人対個人から、大は国家対国家まで古今東西を 問わず、いつも決まって荒廃と虚無だけでした。山川草木転荒廖、嘆きの声は地に満ちます。 敗者にはもちろん勝者にも。その意味では、大和民族のおきては天網恢恢普遍的に常に実現されて きたといえます。こうして人々は再び和に救いを求め「負けるが勝」が成就します。
 さて、争わずにこの世に和を実現するうまい方法はあるでしょうか。いずれにせよ、それは 妥協が生みだすものですが、人類が数千年かかって開発した技術は、私が知る限り二つあります。 ひとつには「思いやり」もうひとつには「論理」という名がついています。前者は条理をつくして 諄々と説き心を以て心に伝え、後者は言葉を道具として議論によって理に訴えます。どちらの手を 使っても、漱石がいうように、知に働けば角が立ち、情に棹させば流される危険は避けられません。 諸行有常と心に決めたからは走りながらでも考えるほかはなく、皆様のご支援をくれぐれもよろしく お願い申し上げるゆえんです。
前 南西海区水産研究所内海資源部長  企画連絡室長

Hiroshi Kurata

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