200カイリ水域内漁業資源調査について

笠原康平



 世界がいわゆる200カイリ時代に突入して早くも3年が過ぎた。当時日本の水産業界は,その影響や今後の方向をめぐって大ゆれにゆれたが,3年たった現在ではこの制度が新しい海洋秩序の1つとして,どうやら定着した模様である。大ゆれにゆれたのは水産業界だけではない。水産に連なる全国の研究機関も,喧々着々の議論で大いに沸騰したことであろう。東北水研でもこの問題についてしばしば論議がくり返されたが,話題の中心はやはり資源研究の今後の方向であった。その時の論議では,200カイリ水域内の資源の利用はもっぱら沿岸国の政治的恣意に左右されるので,資源の科学的管理をめざす資源研究などは不用になるという意見が大勢を占めたと記憶する。実際の経過をみると,外国の沿岸を漁場とする遠洋漁業はもとより,国内の沿岸・沖合漁業でも資源研究が不用になるどころか,ますますその重要性を増してきたようにみえる。この問題が起こるや否や,行政当局の手でいわゆる200カイリ水域内漁業資源調査が計画され,早速実施に移されたのをみても明らかである。この調査は対象とする漁業種類や魚種の範囲において,また資料収集の体制と方法において,我が国の水産研究史上画期的なものといってよい。それだけにこの調査の性格や効果をめぐって,調査の始まる前から,また始まってからも各方面で活溌な論議がくり返されてきたので,現在では問題点はほぼ出つくされた感がある。しかし当事者の1人として3年間の実施過程を眺めてきた立場から,反省をこめて感想を述べることもあながち無駄ではあるまいと考え,敢て筆をとった次第である。
 この調査の対象となる魚種は,従来からの資源研究の対象となっていた魚種が大部分を占める。つまりいままでの研究の延長線上にあり,しかも新しく予算が上積みされ,調査規模が拡大されて資料が豊富になったのであるから,この面からみれば研究者にとってプラスであることは確かであろう。しかし問題は集められた資料の信憑性にある。いうまでもないが,資源調査には漁獲物,漁獲努力の量・質2つの面に関する情報が不可欠である。量の面では漁場別にまとめられた漁獲統計が基本であり,その基になるのが個々の漁船から回収された漁獲成績報告書である。大臣許可の大規模漁業ではかなり以前からこのシステムがとり入れられて漁獲統計が作られているが,沿岸の中一小規模の漁業にまで拡大されたのはこの調査が始めてである。それだけに漁船側には一種のとまどいもあるとみえ,その回収率は全般に極めて低く,従ってそれから作られる漁獲統計の信頼性も低くなっている。殊に何らかの法的規制を受けている漁業では,記載の内容そのものについても疑問を持たれる場合が多い。このことは事前にも予想され,回収率や信憑性の向上に向けて関係機関の熱心な説得が続けられたにも拘らず,いまだに改善の目途がたたないようである。東北水研がサンマ・カツオの調査を始めた際,やはり基礎資料の1つとして個々の漁船から漁況報告を収集し,その見返りとして漁況の経過を綜観した漁況速報や,水温を入れた漁場図を漁船に配布したことがある。これらの資料は漁船の操業上の指針として役立ち,そのため漁況報告の収集も好成積を納めた。今回の調査でも単に漁業者に理解を求めるだけでなく回収した資料を何らかの形で整理して,漁業者側へ還元することを考えるべきではなかろうか。
 漁獲物の質(体長・体重・年令・成熟度等)に関するものは生物統計と呼ばれ,道や県の水産試験場が国の委託を受けて調査を実施している。各魚種毎に水試・水研の担当者により研究チームが作られ,対等の立場で討論して調査を進めることを建前としている。しかし水試側では慢性的な人手不足もあって作業だけに追い回される形となり,自ら収集した資料についても十分検討する余裕がないのが実情である。これでは折角のチーム体制も十分その機能を発揮できず,水研側の下請機関に終ることが強く懸念される。この問題の解決は作業量を労働力に見合った形に改める他はなさそうである。この調査は沿岸漁業を殆ど網羅した形で多種多様の魚種が対象となっているが,3年間の調査実積を基にある程度取捨選択する時期にきているのではなかろうか。
 次の問題はこの調査の目的達成のための方法である。資源研究に漁況の予測と資源評価の2つの面があることはよく知られている。この2つは判然と区別されるものではないが,沿岸の浮魚の場合,従来の漁海況予報事業等の関係からどちらかというと漁況予測の方に比重が偏っていた。しかしこの調査はその名が示す通り資源評価そのものを目的としている。魚種によっては出された結果がそのまま日ソ,その他の国際漁業交渉の場に持ち出され,国益を背景とした取引きの材料となることもある。それだけに研究者の責任は,従来と比較にならないほど重くなったといえよう。しかし問題は資源評価の方法が,今なお確立されていないことである。力学的モデルを使った解析の方法が既に幾つか提案されているが,これらモデルに無理なく当てはめることのできる魚種は極一報に限られている。功を急ぐあまり無理を承知で当てはめることもあるが出てきた答は資源の実体とほど遠いものであることは当事者自身認めざるを得ない。日毎蓄積される膨大な資料を前に,巨象を撫でる群盲にも似てまことに心細い話で,時として無力感に捉えられることもある。しかし考えてみると,昭和39年に漁海況予報事業が実施された際も,これと同じ困惑が研究者の側にあった。漁況を予測するに必要な基礎研究の商標を持たないまま,その実施に踏み切ることに強いとまどいと不安があったことを覚えている。だが10数年を経た今日,この事業は資源研究の1つの柱として一応定着し,水産業界にそれなりの役割りを果している。無論このようになるまでには,研究者の血のにじむような努力があったに違いないが,研究の成果が漁況予報という形で社会的に評価されるようになったことが,1つの支えになったと考える。今回の調査でも,その成果は許容漁獲量というはっきりした形となって現われ,行政的施策の場で,或は国際交渉の場で厳しく評価されることになろう。資源研究は往々エンドレスといわれるが,国内外の情勢はいつまでもエンドレスの状態を続けることを許さない所まできている。何らかの形で突破口を開くことが強く要請されているが,そのためには研究者間での密接な協力が必要であろう。相互批判も協力の1つである。最近この調査の成果を集大成した報告書が水産庁から刊行された。成果というより中間報告の性格が強く,しかも割り当てられた頁数の関係からか説明が舌足らずに終っているものが多いが,調査開始以来最初の報告書でもあるので,先ず手始めにこれを1つの材料に資源研究者のみならず行政担当者や漁業関係者を含め,検討と批判の場を設けることを提案したい。
(資源部長)

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