ICES主催「表層魚類の漁業管理の生物学的基礎」に関するシンポジウム

林 繁一



 1978年7月3〜7日に英国スコットランド州アバディーン市で開かれた本シンポジウムに参加する機会を得た。その内容は10月に刊行されるRapport et Proces Verbauxに掲載されるが,正式の報告には載らない,いくつかの問題を記しておきたい。
 このシンポジウムは大西洋のニシンが近年著しく減少したので,その原因を明らかにするためにノルウェー海洋研究所長G.SAESTERSDAL氏らが1975年に提唱したものと聞いている。それはICNAF科学小委員会でも支持され,D.H.CUSHING,B.B.PARRISH,D.SAHRHAGE,長崎福三の諸氏も,当初からその開催に努力された。
 1977年1月6日に遠洋水産研究所に帰任した直後,長崎主任研究官から,前後15通に及ぶ往復文書を渡され,暫定的ながら窓口を引受けてしまった。東海区水産研究所でイワシ・サバの仕事に参加した経験があるとはいえ,9年間のマグロ研究と2年余りの海外生活の後ではこれは大任であった。幸い長崎氏の他に同所浮魚資源部第3研究室長であった森田祥氏の協力を頂き,ともかくこのシンポジウムの内容を水産研究所とその周辺に伝えることから手をつけた。1月19日に,私は研究開発部,2,3の水産研究所,漁業資源研究会議に,次のような手紙を配布した。
 「1975年のlCES会合で北大西洋産ニシンの壊滅を討議するためのシンポジウムが計画され,提案者の1人G.SAESTERSDAL氏からFAOのJ.A.GULLAND氏に共催の申し入れがありました。GULLAND氏は(i)対象を北大西洋のニシン以外のイワシ・ニシン類に拡げ,(ii)資源変動に関する仮説を作るという条件ならば,FAOが協力できようと書き送っています。1976年7月から1977年1月にかけて14通の文書連絡が交わされ,表層魚類一般の問題として本シンポジウム開催の必要が認められてきました。その準備はすでに論文を募集する段階に達しており,近年回復のめざましい日本のマイワシに対しても関心が寄せられています。
 マイワシは日本における表層魚類資源の組織的研究の端緒となった魚の1つであり,その変動については多くの知見が得られています。またその調査研究は他の表層魚類の漁況予報,資源評価にも役立ってきました。同種の研究成果の整理は,日本の資源研究の方向を定めてゆく上に重要であり,さらにその結果を国際研究集会に提出すればお互いの大きな利益になると考えます。…中略…この仕事は個人的に処理できるものでも,処理すべきものでもなく,組織的に対応すべきものと考えています。 この考えの妥当性を含めて御高見をお待ちします。さらに年度内に非公式な会合をもち,意見の交換ができれば幸いです。」
 この連絡の1ヶ月後に,資源部長懇談会で事情を説明する機会を得て,関係者の了承の下で,長崎氏から引継いだ往復文書とその和訳を配布し始めた。しかし5月に東北区水産研究所に移ってからは本務に逐われて,このシンポジウムの準備の手は抜かざるを得なかった。幸い同月の所長会議は本シンポジウムの趣旨に賛同し,研究課による予算措置及び東海区水産研究所長による内容の調査を進めることを了承された。それを受けて7月に漁業資源研究会議が東海区水産研究所資源部主任研究官近藤恵一氏の出席を推薦し,所長会議の了承もえられたのでその後は同氏に肩代りをお願いした。尤も漁業条約や交渉に出席する旅費すらお世辞にも豊かとはいえない水産庁の予算の枠内で研究集会出席旅費の確保に当たられた須田参事官,今村課長補佐,他の皆様の苦労は並大低ではなかった。なお論文要旨は同年9月1日で締切られたので,水産研究所からは同氏のみが出席を申し込んだ。わが国からはさらに長崎大学松宮義晴氏が出席されることになっていた。1977年11月の資源海洋関係部長会議では須田参事官から近藤氏の希望に応じて国際会議経験者を追加るよう提案され,2,3の侯補者にその旨依頼を始めた。迂余曲折の末,同参事官の勧めにより12月に入り私が科学技術庁国際研究集会派遣職員に応募し,翌1978年2月末に出席が決定した。したがって私としては発表論文を登録できずに了った。しかしICES事務局は討議への参加を期待するということで私の出席を了承した。1978年7月1日夜東京発,7月2日朝アバデイーン着,翌3日から7日迄のシンポジウムに参加した。出席者は個人の資格ではあるが,参考迄に地域別に表示するとヨーロッパ及び米加大西洋岸の関係者が圧倒的に多かった。
 当初36篇の講演申込みがあったが,欠席等のために文末に示す33篇の論文が,
(1) 表層ストックの変化とその原因の診断の概要,
(2) 漁獲に対する反応に影響する表層魚類の行動,生理,生態上の特性,
(3) 種間関係と減ったストックの置換え,
(4) 環境変動に対する反応,
(5) 評価と管理に関する一般的な原理
<の5課題に分けて報告された。
 第1課題の下ではニシンを中心に北大西洋のストックについて10篇の論文が報告された。その他に太平洋のニシン並びに北米西岸,インド,ナミビア3地域のマイワシが取上げられた。その多くの研究でVPA(virtual population analysis)及びそれを発展させたcohort analysis が用いられているのに対して,太平洋ニシンを扱ったHOURSTON氏が元来同じカナダのFRY氏が考案したこの方法を使っていないのが印象的であった。北大西洋のサバ資源がWoods HoleとGdynia という沿岸国と進出国との協力によって評価されていることも現在の情勢を反映しているものであった。
 第2課題では松宮,近藤両論文を含む10篇の報告が発表された。VPA,cohort analysisが短命なペルーのカタクチイワシにまで適用され,ともかく漁獲の影響が評価されている。それとともに統計値の解析にとどまらず,表層魚の集群性とか,間引き以外に漁獲が魚の行動を乱すといった外部要因の魚の生態に対する働き方についても論議が展開した。
 第3課題の下で報告された5篇の論文のうち4篇は魚種相互の関係を論じたものである。そのなかで漁獲量の比較にとどまらず種間の働き合いの具体的な検討が強調された。他の1篇は網目規制が表層魚類の管理に不適当なことを示すサバの飼育実験であり,やはり統計の解析を越えようという意欲が感じられた。
 第4課題では漁業に起った実態の報告2篇と複雑なシミュレーションという対照的な3つの研究が紹介された。魚と環境との関係をどのように理解するかという古くからの,しかも資源研究にとって基本的な問題の1つを解決することのむずかしさを改めて感じさせるものであった。
 最後に北大西洋の資源保存に関する3篇の報告が第5課題の下で発表された。いずれも現在のpopulation dyamicsの有効性を是認した上で,その限界を越えるための直接観測の必要性を示し,さらに研究自体の弱点が大きければ大きい程,漁業の拡大に対して早目に規制を実施すべきだとの主張であった。
 5日間の論議は次のように集約された。
 第1に近年見られた表層魚類の変動には短期間に漁獲量が増加した後激減したというケースが多い。日本のマイワシ等ではこの急激な変化に対応する環境の変化が知られているが,多くのストックでは漁業の拡大が対応している。
 第2に表層魚類の加入当り生体量は底魚類に比べて低い。これは表層魚類では漁獲量の増大によって加入が低下し易いことを示している。
 第3に表層魚類では一定数の親から生まれる次代のストックが小さいので,底魚で経験したよりも漁獲可能量は小さい。
 第4に表層魚類は成群するので資源が減ると漁獲や食害の影響が大きくなり易い。
 第5に資源特性値の推定精度は低いので上記の推論を確かなものとするには,卵・稚子調査,試験操業,魚探調査などの漁業から独立した調査が,経費や労力はかかるけれども,進める必要がある。表層魚類がとりすぎに陥り易く,しかもその資源評価の精度が低い現状では,管理機関は資源状態に悪化の兆しがあれば速やかに漁業をきびしく規制しなくてはならない。
 第2,第3の結論については,私にはまだ納得できないものがある。議論の過程で,私が提出して疑問は第5の結論に生かされているが,わが国のストックについてもう一度見直しをしてみたい所である。しかし自分と異なる意見を聞くことはたのしい。知識の吸収に加えてこのいみでもICESシンポジウムに出席できたことは大変幸いであった。7月11日に帰国の途中この充実した5日間を想い出していた。
 それとともに「やはり…」という感が残ったのも事実である。あの論議は一方で底魚について経験の深いヨーロッパ的発想ではあるが,他方すでに繰返された話でもある。たとえば17年前に刊行した「昭和31・32年沿岸重要資源協同研究経過報告」249〜272頁に集約された当時の担当官会議の結論はアバディーンでの話題と良く似ている。
 大きな違いはむしろ生物学的結論の適用にある。いずれも安全のための漁業管理を提唱しているけれども,わが国では具体的な規制の動きがなかったのに対して,北大西洋ではニシン,サバ等の漁獲が制限又は禁止されている。国内調整のみで済んでいた1960年代のわが国周辺漁場と,大型漁船の脅威に曝された国際漁場の相異であろう。もっとも,200海里漁業水域が現実のものとなった今日ではわが国としても「第1近以に基づく漁業管理」を実施し,その吟味を通して「第2近似,第3近似,・・・」へ進まねばならないことは誰しもが認める所であろう。そのいみでもICESシンポジウムは大きな収獲をあたえてくれた。
 激しい時代の波はわが国の資源研究の理論や実践を現実の中で鍛えてゆくであろう。私としては10年後に同様なシンポジウムに出席する人が,「研究体勢」の相違を取上げざるをえなくなることを恐れる。シンポジウム期間中訪れたScotland Marine Biological Laboratoryは水産化学で有名なTorry Laboratoryの隣りにある6階建てのビルであるが200名の研究者を擁している。この研究所では山中一郎氏も指摘されているように(遠洋26号,1977)単に人数の点だけではなくて,若い人が多くバランスのとれた構成であるように見受けられた。また他のヨーロッパの研究所で質的に新らしい機器の導入が進んでいるという山中一氏の指摘を(同誌19号,1974)ここでも感じた。各国が漁業資源の管理について具体的な見解を示すことを迫られている中で,たとえばわが国周辺のサンマ稚子分布資料の大部分をソ連から提供されているという小達繁氏の指摘(全さんま5−3,1972)について事態はほとんど変っていない。この現実は,水産資源の合理的利用を唱えるわが国にとって,その真意を疑われるといういみで,研究上の問題を通り越して危険でさえある。広く納得される形での研究体勢の充実を要求する必要と改めて痛感した次第でもある。
(企画連絡室長)

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