ヌメアの点描

八百正和



 「TAXI!!SPC」といっても運転手は困惑した表情である。ところが,「CPS」と反対にいうと,さっと南国の街,ヌメアを走り出す。
 SPC(South Pacific Commission,南太平洋委員会)では駄目で, CPS(Commission duPacific Sud)ならばO.K.という訳である。CPS矢張り日本的にSPCはフランス領ヌメアに事務局を置く国際機関ですが,その内容・業務については,とくに説明はいたしません。このSPCで昨年より3ヵ年計画で大規模のカツオ標識放流(目標10万尾)を中心とするカツオ資源の管理・開発を目的とするプログラムが実行され,昨年の10月より4ヵ月SPC調査船「初鳥丸(190屯型)」に乗船し,パプア・ニューギニア,ソロモン,ニューヘブリデス,ニューカレドニア,フイジィーと回ってきました。仕事の内容については,適宜関係の集りで報告していますし,また全部についても長くなりますので,ここではニューカレドニアについての話に止めます。
 ニューカレドニアは,南回帰線の北側にある略々四国位の島で,人口約13万人で約半数が西南部のヌメアに住んでいる。フランス領であり,首都ヌメアは南太平洋のパリーといわれる程,西洋風にひらけた街です。SPCの事務局は街の南,アンセベタの海岸に面し,白塗りのペンタゴンの建物です。第2次世界大戦中にコレヒドールから名誉ある撤退をしたマッカァサーが,日本反攻の連合艦隊の総司令部を置いた建物です。道路をへだててORSTOM,前の海岸がアンセベタでヌメアーの海水浴場です。ビキニ姿で海水浴よりも日光浴を楽しんでいる婦人の姿がよくみられます。年中海水浴シーズンですから混んでいることはありません。沖にはヨット,サーフィンヨット,水上スキーを楽しんでいるのもみられます。
 南の海岸というと,どこでも海水浴が楽しめると思うと大間違い。大抵の所ではサメの被害を考えて,海で泳ぐことはほとんどなく,ホテルのプールが利用されますが,ヌメアでは島の回りを大きく囲んだ大環礁のおかげで海水浴が可能になっています。この環礁の入口,アメダ灯台はナポレオンが作ったといわれるもので,ヌメアの玄関になっています。小高い丘に登ると,砲台があり,大口径の海岸砲がこの入口に向いています。ガダルカナルで捕虜になった日本軍が,戦争中に作らされたもので,完成後何人かの人が自決したそうです。
 墓地の中に日本人の墓があります。みてびっくりしたのは明治26年建立ということです。聞いてみますと明治6年頃には,かなりの日本人が移住していたとのこと。だいぶ古くから日本と縁の深い土地でした。
 このヌメアで古くから在住日本人は勿論,訪れた日本人が必ずお世話になったのが,筒井譲治氏です。
 フランス政府から在ニューカレドニア民間名誉総領事に任命され,その写しを日本政府に送ったところ,時の福田外務大臣から改めて民間総領事に任命された人です。私達も大変お世話になりましたが,残念なことに,この3月末に亡くなられました。
 衷悼の意を表して,終りたいと思います。
(資源部)

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