動物から魚へ−東北水研に転勤しての一言
高橋重則
5年程前、畜産試験場のある研究員の方に聞いたことがある。動物の話から魚の話題に転じた
とき、200カイリ時代がやってくれば当然漁獲量が減って魚食国民の日本も、あらためて畜産物を
見直さねばならなくなると、200カイリが実施されたいま、港に船の出入りが少なくなったと聞く。
水研前の水産加工団地が以前程に活発に稼働していないと聞けば、魚種別には、あるいはそうなの
かな?とも思ってみる。
戦時中、食糧難の時代、殆どのものが配給制度のころ、或る日「サメ」と「ローソクボッケ」
(正しい名前は知らないが)が一般家庭へ配給になったことがあった。貴重な蛋白源であった。
この頃は、魚屋の店頭に立っても、魚屋に売る魚がなかった時代であり、御袋がサメのハラワタを
鍋で煮詰めて、テンプラ用の油を造っていたありさまが、いまでも記憶に残っている。
朝、塩釜の卸市場をのぞけば活きの良い多種類の、しかも大量の魚介類が取引きされている。
この魚介類が、何時何処で捕れ、どういう流通機関のもとに、この市場へ集まってくるのかは知ら
ないが、魚市場の前をとおり、活気に溢れたこの情景を観るたびごとに、漁港の町塩釜の感慨を
味合うことができる。
馬、牛の大動物から、豚、山羊、めん羊の中動物、ウサギ、鶏、アヒルの小動物に、モル
モット、ラットの実験動物まで飼育している、動物公園のごとき、都市の中心に所在しながら
自然のいまだ多く残っている60Haに近い広大な敷地を擁した、畜産試験場での生活環境から
別れて、研究機関としては、いわゆる畑違いの水産研究所へきての感想は、動物と魚、との差だけ
あって勝手が違い、面食らうことがしばしばと言ったところが実感である。
日常の生活の中に聞き馴れない言葉がたくさん出てくるのも一つの例である。組織機構から
予算の流れ等についても、これまで経験してきた過程とは大分相違があることを痛感している
次第である。日頃よく耳にする200カイリ内資源開発、遡河性サケマスの大量培養技術の開発、
海洋牧場技術の開発等大きな研究目的の中で詳細な研究内容については、いまのところ知る由も
ないが、この風光明媚な松島湾の絶景を眺め、漁港塩釜の街に住み、新鮮な魚を食しながら、
東北水研で事務屋としての仕事をする有意義さを感じ、水産研究の一助として役立てられたらと
念じる昨今です。
前 畜産試験場総務部会計課主計係長 庶務課長補佐
Shigenori Takahashi
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