第10回日ソ・サンマ及びサバ協同研究会議に出席して

武藤清一郎



 日・ソ漁業科学技術協力年次計画に基づく,第10回日ソ・サンマ及びサバ協同研究会議は,1978年2月東京で開催された。
 当初の計画では,1977年12月に塩釜で開くことを予定していたが,「200海里」元年の情勢の厳しさも反映してか,ソ連例の都合により年を越しての開催となり,日程や代表も縮少せざるを得なかった。
 ソ連代表団は,2月20日入国し,3月1日に出国と云うことで,会議は2月21日午後の開会式に始まり,慣例により開催国たる日本側の掘田団長を議長として進行し,25日午後に終了した。会場は東京海運倶楽部の会議室を使用した。会期中に,全まき,全さんまの歓迎会及び水産庁主催の昼食会が行なわれた。尚,会議終了後に,ソ連代表団は遠洋水産研究所を訪問した。
 会議の詳細は経過報告書を見て項くことにして,参加者の顔ぶれを以下に紹介する。


日本側代表団
掘田秀之(団長)
小達 繁,佐藤祐二,武藤清一郎,小坂 淳,(以上東北水研)
宇佐美修造,渡辺泰輔,(以上東海水研)
小林 喬(釧路水試)
鈴木弘毅(神奈川水試)
大橋孝治,浜田義徳,粂 知文(以上水産庁)
斉藤一郎(通訳)
オブザーバー小野為義,小松昭衛(以上福島水試)
宮本誠(全まき)
丸山三郎(全さんま)
岡田鋭一(漁業情報サービスセンター)
ソ連側代表団
ノヴィコフ,ユ・ヴェ(団長,チンロー黒潮資源研究室長)
サブリン,ヴェ・ヴェ(チンロー上級研究員)
トルクニヨフ,ヴェ・イ(通訳)


 会議における報告は「マサバの生活史」について,日本側3題,ソ連側1題で,ソ連側の詳しい報告は次回と云うことであった。「マサバの協同研究」について論議し,協同調査を1978年2月より開始することなどを決めた。次いで「サンマ協同調査」関係に入り,1976年の報告では,日本側3題及びソ連側2題があり,1977年の中間報告は日本側3題及びソ連側3題が行われた。史にサンマ研究発表として日本側3題及びソ連側2題があり,引続いて「1978年サンマ協同研究」について,従来通りの内容に加えて,特に両国の調査に支障のないよう,科学調査船に対する特別許可証について迅速に処理できるよう努力することも含めて決定された。最後に共同報告書を審議採択して会議を終えた。
 サンマの協同研究は,既に1968年以降10年の歴史があり,一定の定着を示していると云える。この間に,ソ連側のとりくみは強化され,相互に交換される資料は,それぞれの研究に欠かせないものとなっている。ソ連代表団長ノヴィコフ氏の閉会の挨拶でも「……‥この会議も10回目であり,特にサンマの場合,研究成果が得られその知見は10年前に比べ格段の進歩をした……」としている。更に,次回は「サンマの年令・成長」を議題としており,事宜に適したものである。
 マサバについては,次回よりいよいよ本格化するが,サンマの協同研究方式にならって進められると考えられる。更にソ連側はマイワシについても希望しており,サンマの協同研究が日本側としては,東北水研主体に対応した過去の10年に比較して,今後は複数の水研・水試の各分野の専門家の参加が必要となり,定着したかに見えるサンマの協同研究方式よりどのような展開をみせるか大変興味あることである。
 ノヴィコフ.サブリン両氏とも塩釜で開かれた第8回の会議に参加しており,水研・水試のサンマ研究者にとってはすでに顔なじみである。彼等はサンマに限らず,サバ・マイワシ等にも意欲的にとりくむ態度を見せており,従来の研究会議での話題を,積極的に研究の中にくみ入れている模様であった。今回のソ連代表は2名にとどまったが,次回は地元開催と云うこともあり,サンマ・サバおよび海洋関係の専門家を多数出席させたいと云っていた。
 国益のぶつかり合う海洋再分割の様相すら呈しかねない「200海里」時代に入った今日,この協同研究を通じての日ソ間の相互理解が,平等互恵に基づく,海洋資源の有効な利用を目指す方向に進む一助になることを期待したい。
 なお,本会議の事務局(水産庁関係者)の配慮について敬意を表する次第である。

(海洋第2研究室長)

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