大型褐藻マクロチステイスの養殖
一般には Giant kelp と称されるマクロチステイス(Macrocystis pyrifera)はふつう藻長50〜60m,大きなものでは200mにも生長し,その葉体部は海面を蓋うがことく生育する。この海藻はまた,高い純生産量を示すとともに,沿岸線に沿った連続的な群落を形成することから,カリホルニア沖では機械船による効率的な収穫がなされ,これを原料にアルギン酸を生産している。その収穫量は湿重量で年間18万トン以上にも達している。
この海藻が最近日本で急に有名になってきたのは,アメリカにおいて例の「海洋食糧とエネルギー農場」構想が発表されてからである。この構想とは現在,全米科学財団,全米ガス協会,米国海軍海底センター等が中心となり,アメリカ中の科学者を組織して遂行しているもので,マクロチスティスを水深500フィートを越すような場所で大量養殖し,収穫し,高圧分解して有機物を抽出,これに微生物を加えて発酵させ,メタンガスをとり出す。さらに,その残りかすは肥料,飼料,化学品の抽出原料等に利用しようというものである。この構想は,いち早く日本にも紹介され,すでに一部では,日本への技術移入が真剣に検討されていると聞く。先に述べた国際海藻学会では,この学会の大会委員長がマクロチスティスの専門家でもあり,また開催地がマクロチスティスの分布地として有名なカリホルニアということから,マクロチスティスに関する特別セッションが持たれるとともに,一夕,このエネルギー問題についてのパネルディスカッションが開かれた。マクロチスティス特別セッションの最後に持たれた総括討論の中で,この植物の日本への移植をめぐって活発な論議が展開されたことは,日本から参加した海藻屋の一人として非常に印象深いものであると同時に,大いに勉強となった。この席でアメリカの二・三の有名なマクロチスティスの専門家はもとより,数年前移植経験のあるフランスの科学者からも,この植物があまりにも大型であり,生長力,繁殖力ともに大きく,広い生育範囲を持つことから,他国への移植を懸念する意見が出された。
その後,私は滞米中に何人かのアメリカの海藻学者と,この植物の移植問題について論議をする機会を得たが,そのいずれにおいても,先の学会の時と同様,移入には慎重であるべきだとの結論を得た。
現在までのところ,このエネルギー間題に関する日本におけるいずれの報道を見ても直接的なマクロチスティスの移植ということには触れられていないが,日本の既存海藻を対象として,この技術開発を行なうことは,その純生産量の比較からいって,極めて効率の悪いことであろう。この技術移入が,もし,マクロチスティスの移植を前提とするものならば,日本の沿岸域海藻相の変化,あるいは他の増養殖生産,沿岸漁業生産,沿岸操船等に与える影響等から考え,充分慎重であるべきだと思う。
もう一言,これは余計なことかもしれないが,この問題に関して触れておきたいのは,「研究のため」という大義名分の下で,抜駈け的にこの植物を移入することである。現在の植物防疫体制の下では,例え研究用といえどもそう簡単に新しい植物を持ち込むことはできないものと信じたいが,ノリの種が世界の何ヶ国からも簡単に持ち込まれ,大した規制もないまま実際の養殖に使われている実状からみて,何等かの手段でマクロチスティスが我国に持ち込まれ,安易な形で取り扱かわれ,自然繁殖することを非常に恐れる。
この意味で,この問題に関しては日本の海藻学者諸氏の深い認識と幅広い論議の場の必要性を痛感する。
カラギーナン原藻の養殖
カラギーナンとは紅藻類のうち幾つかの種から抽出される糊料の一種で,その用途は非常に広い。特に近年,世界的に乳製品の消費が増大したのにつれ,そのゼリー化剤として飛躍的な消費の延びを示している。最近の生産量は,全世界で約6〜7千トン,そのうち約1/3量がアメリカで生産されている。このカラギーナン原藻としては,古くよりIrish moss の呼び名で親しまれ,ヨーロッパおよび北米大陸北東岸において,多量に海岸に打ち上げられるツノマクやスギノリ類を漁民が集めて乾燥させたものが主であるが,一部の地方では小船により,自然生育の同様の海藻を採取し,販売ルートに乗せたものもある。最近ではこれに加えて,フィリッピンで養殖されたキリンサイ類が多く利用されるようになってきている。このキリンサイの養殖はアメリカのSea Grant Programによる多額の研究費により,ハワイ大学のドティー博士が主となって,日本の海藻養殖技術を導入して開発したものである。この他にも何種かの紅藻類からカラギーナンが抽出されることが明らかとなっており,現在,このSea Grant Programの研究費はカラギーナン原藻の安定的な供給を目的として,幾つかの研究機関に援助されている。その主なものとしては,ワシントン大学における「スギノリ類の陸上タンク培養技術の開発とその選抜育種」,ワシントン州自然資源局での「スギノリ類の海中養殖」,ニューハンプシャー大学での「カラギーナン及び寒天原藻の生態と遺伝に関する研究」等がある。この他この研究費はカラギーナン原藻以外の水産に関係のある植物の研究にもつぎ込まれているが,その主なものとしては,先に述べたカリホルニア大学を中心とした「マクロチスティスに関する研究」,デラウェアー大学及びカリホルニア大学における「耐塩性陸上植物の開発利用に関する研究」等がある。
カラギーナン原藻に関するこれらの研究により,最近では野生株の数倍の生長量を示すツノマタやスギノリ類の新しい系統株が創り出されると共に,海面及び海中を利用してのスギノリ類の養殖技術が開発されている。現在の段階ではこれらの養殖およびタンク培養は,コストが自然採集の原料に比べて5〜7倍と高く実際の産業として成り立っているわけではないが,近い将来,その可能性はさらに高められるとは,現地で盛んに開かされた話である。
食用としての海藻利用
最近アメリカのモドレーナー女史は"The Seavege table book"と題する各国の海藻料理に関する興味ある本を出版した。この題名である「海の野菜」なる言葉は,海藻を食べる等とはあまり深く考えたことのなかったアメリカ人に,少なからず新鮮な驚きを与えている。前述の国際海藻学会でも「食品としての海藻」と題し,日本にも来たことがあるシュルトレフ氏の講演があったり,参加者全員の食堂となった大学のキャフアテリヤでは度々海藻のスープが用意されたり,海藻の食品としての価値を何とか認めさせようと多くの努力が払われていた。元来,食物のイソクササ(磯の香)をあまり好まない欧米人に,いきなり海藻を生に近い料理法でムシャムシャ食えといっても大変なことかと思うが,アメリカには多くのアジア系の人々もいるしまた東洋食に対する憧れを持つ一面もある。私の感じではうまいものさえ作れば,それなりの消費の延びは期待出来そうに思われた。逆に何人かのアメリカの海藻分野の人々からは,他の水産物と同様,アメリカ,カナダでノリ,コンブ等を養殖し,日本へ輸出することが出来ないかとの質問を受けた。そんな時,日本の海藻養殖業の現状を説明し,国内生産量や韓国等からの輸入問題,さらには芸術とまで言える一次加工技術をスライドを使って説明すると,彼等なりに,日本向け輸出はかなり困難なことであると理解してくれた。しかし今や,エビ,ウニ,アワビ,ロブスター,マグロと高級魚は飛行機でどんどん生のまま日本へ送られて来る時代,高級ノリや良質コンブがアメリカ,カナダで養殖され,輸入される時が来ないとは誰も断言出来ないのではないだろうか。それ故に日本の沿岸漁業の行く先を案ずるのは,私一人の取り越し苦労と笑える結果に終って欲しいものである。
今回の滞在は短期でもあり,また幾つかの研究機関の,ほんの表側のみ見聞した程度で,アメリカ全土の水産増養殖の詳細に亘って知り得たとはとうてい言い難い。只一つ結論めいたことを言うならば,今アメリカではSea Grant Programという厖大な研究費を背景に,動物,植物を問わず,水産増養殖の開発,ひいては海洋エネルギーの開発という目的をもった,組織化された大きなスケールの研究開発が着実に動いているということである。