経済学研究のすすめ

庄司東助


 自然科学者が大多数を占めている水産研究所の中でいわば異端者的存在として25年という長い期間経済学研究を続けてきているのであるが,そして経過している年月の長い割合にはこれといったまとまった仕事も少ない私ではあるが,200海里時代を迎えて変革の時期に来ていると言われている日本漁業の歴史的現実の前に立って,私は不器用ながら肥後モッコス的立場で長い間経済学研究を続けてきたその意味を今しみじみとかみしめているのである。慶応義塾の創立者で明治の新思想の先覚者の一人であった福沢諭吉(1834〜1910)は,その昔「学問ノススメ」その他多くの西洋文明紹介の啓蒙的著述を書いてその名を一世にとどろかせたが,万事西洋文明に立ち遅れていた当時の日本の世相において,日本経済の資本主義的発展の途を切り再き,西洋列国に追いつき追い越す国運をもり上げるためには,すでに西洋において発展していた自然科学と社会科学の最進の学問知識を早急に吸収することが時代の要請となっていたのである。
 その後100年以上を経過した日本経済は何度かの帝国主義戦争を経験しながら,アジアのなかでただ一つの資本主義大国として発達し,その間豊かな資本主義文明を開花させながら学問研究の極めて発達した先進国となってきたのである。つまり今日の日本においては科学技術における学問体系は多岐にわたって分化し精密化し,その専門知識は百花繚乱の姿を程して止まるところを知らず,社会科学の分野においては社会の階級分解が複雑に進行するなかで,世相の混迷を反映して思想はまた多岐に分かれてまとまるところを知らざる様相を呈してきている。つまり福沢諭吉らが活躍した明治初期の時代においては,自然科学においても社会科学においても夫々の部門における学問知識の吸収消化ということが時代の要請であったのであり,夫々の学問体系においては他を省みることなく専門の研究分野を広め,且つ深めて行くことが最大の必要事であって,夫々の学問体系間の相互関連性の追求というようなことは必ずしも必要とされていなかった時代であったのである。しかしその後100年を経過した今日,爛熟しきった資本主義文明は腐敗と頽廃の度を深めてきており,肥大しすぎた資本主義的生産様式は,その発達し過ぎた生産力と階級分解の度を深めている生産関係(人間関係)の矛盾の激化の故に,巨大な体躯をもて余しながらのたうち廻っているといった工合である。即ち今日的段階における学問知識の体系は,自然科学にしろ社会科学にしろ,夫々の分野において可成り高い水準にまで到達しているし,その蓄積は豊かな知識の宝庫となって万人の前にあるわけであるが,切角築き上げられたこのような人類文化の歴史的遺産が,原爆戦争の脅威を増大さしたり,環境破壊や公害発生の源となったりして,人間生活そのものの将来が不安に落ち入っている現実をみるならば,むしろ人類が長い間かかって蓄積してきた科学知識そのものの存在価値についての反省が加えられなければならない時が来ていると疑わざるをえないのである。例えば厖大な工業技術大系は衣食住の生活手段の生産から始まって交通手段にいたるまで,更には医療機器や薬剤等々の生産に及ぶまで,この世の中に厖大な量の生産物を製造してきたが,これらの生産物は果して工場において人間労働を軽減し,家庭において生活を快適なものにして万人に幸福を斉らしてきているのかどうか,人間の文化生活の向上享楽というより,労働条件や生活条件の悪化によって低賃金,失業,公害病等々によってかえって苦しい生活を万人に強制してはいないのか,いってみれば発明発見に貢献し,生産技術の体系的研究を続けてきた科学者たちの社会的責任は一体どこにあるのかといったことを考え続けるとき,私たちは専門の学問研究から一歩しりぞいて,自分が今までやってきた学問研究の在り方について哲学的反省を加えてみる必要があるように思われる。「一つの学問と多くの学問」という阿部次郎的発想は(東北大学文学部教授であった先生の退官時における最終講演題目)多分にこのような内容を含んでいたように記憶しているが,私はこの講義を開きながら,一つの学問とは扇の要にも似て諸学問のまとめ役を果すべき学問であって,それに相当する学問は正に経済学であらねばなるまいという考えを当時から持ち続けているのである。御承知のように扇は幾本かの竹,木,鉄などを骨とし,そのもとを要で綴り合わせ.広げて紙を張り,折りたたみ出来るようにしてあるが,扇における多くの骨を多岐に分化した夫々の学問体系の一つ一つに例えてみれば,経済学の立場は正に扇の要に相当する役割を演じているいうわけである。このような考え方をもう少し深めて行けば実はそこに弁証法的唯物論の思考方法があることに気がつくが,私の育ってきた研究環境が自然科学的なものであったので,私はこの辺のことについて特に強い感じをいだいている次第である。私はかって漁業資源研究会議においてエンゲルスを引用しながらこの辺の考え方について意見を述べているが,この際もう一度あの時の私の意見を参照して貰いたいと思っている(漁業資源研究会議報11号45〜47頁)。もしもエンゲルスが言っているように「現代の唯物論は本質的に弁証法的であって,他の諸科学の上に立つような哲学をもはや必要としないのである。それぞれの個別科学に対して,事物に関する知識との全体的連関のなかで自分の占める地位を明らかにせよという要求が提起されるやいなや,全体的連関を取少扱ういっさいの特殊な科学はよけいなものになる。そのとき,従来のすべての哲学のなかでなお独立に存続しつづけるものは,思考とその法則についての学説一形式論理と弁証法である。そのほかのものはみな自然と歴史についての実証科学に解消してしまうのである」(エンゲルス;空想から科学への社会主義の発展84頁,国民文庫)であるならば,一つの学問と多くの学問という考え方は・エンゲルスのいう実証的諸科学の間で全体的連関性についての思考をめぐらすということであり,扇の要と骨のような関係でなければならず,マルクスの創造した経済学こそ実証的諸科学の中での「要」に相当する科学であると思っている。私がこの稿の標題を,「漁業経済学研究のすすめ」としないで単に「経済学研究のすすめ」とした理由については,漁業生産活動が資本主義体制下における経済行為である限り,貨幣の価値法則と利潤追求の資本の論理が上からがっちりと漁業の世界を支配していると思っているからである。資本主義的経済の下では貨幣が万能の力をもっているわけであって,貨幣の魔力の秘密を多少とも知ることなくしてはまともに物が言えなくなってきているのが現実であり,この魔力の秘密の科学的分析を可能にしたのが外ならぬマルクスであるとするならば,先ずわれわれはマルクスの経済学の基本について学習を開始しなければならないと思うからである。そして農業経済学といい,漁業経済学といっても所詮は農業現象なあって,夫々の学問体系間の相互関連性の追求というようなことは必ずしも必要とされていなかった時代であったのである。しかしその後100年を経過した今日,爛熟しきった資本主義文明は腐敗と頽廃の度を深めてきており,肥大しすぎた資本主義的生産様式は,その発達し過ぎた生産力と階級分解の度を深めている生産関係(人間関係)の矛盾の激化の故に,巨大な体躯をもて余しながらのたうち廻っているといった工合である。即ち今日的段階における学問知識の体系は,自然科学にしろ社会科学にしろ,夫々の分野において可成り高い水準にまで到達しているし,その蓄積は豊かな知識の宝庫となって万人の前にあるわけであるが切角築き上げられたこのような人類文化の歴史的遺産が,原爆戦争の脅威を増大さしたり,環境破壊や公害発生の源となったりして,人間生活そのものの将来が不安に落ち入っている現実をみるならば,むしろ人類が長い間かかって蓄積してきた科学知識そのものの存在価値についての反省が加えられなければならない時が来ていると疑わざるをえないのである。例えば厖大な工業技術大系は衣食住の生活手段の生産から始まって交通手段にいたるまで,更には医療機器や薬剤等々の生産に及ぶまで,この世の中に厖大な量の生産物を製造してきたが.これらの生産物は果して工場において人間労働を軽減し,家庭において生活を快適なものにして万人に幸福を斉らしてきているのかどうか,人間の文化生活の向上享楽というより,労働条件や生活条件の悪化によって低賃金,失業,公害病等々によってかえって苦しい生活を万人に強制してはいないのか,いってみれば発明発見に貢献し,生産技術の体系的研究を続けてきた科学者たちの社会的責任は一体どこにあるのかといったことを考え続けるとき,私たちは専門の学問研究から一歩しりぞいて,自分が今までやってきた学問研究の在り方について哲学的反省を加えてみる必要があるように思われる。「一つの学問と多くの学問」という阿部次郎的発想は(東北大学文学部教授であった先生の退官時における最終講演題目)多分にこのような内容を含んでいたように記憶しているが,私はこの講義を開きながら,一つの学問とは扇の要にも似て諸学問のまとめ役を果すべき学問であって,それに相当する学問は正に経済学であらねばなるまいという考えを当時から持ち続けているのである。御承知のように扇は幾本かの竹,木,鉄などを骨とし,そのもとを要で綴り合わせ,広げて紙を張り,折りたたみ出来るようにしてあるが,扇における多くの骨を多岐に分化した夫々の学問体系の一つ一つに例えてみれば,経済学の立場は正に扇の要に相当する役割を演じているいうわけである。このような考え方をもう少し深めて行けば実はそこに弁証法的唯物論の思考方法があることに気がつくが,私の育ってきた研究環境が自然科学的なものであったので,私はこの辺のことについて特に強い感じをいだいている次第である。私はかって漁業資源研究会議においてエンゲルスを引用しながらこの辺の考え方について意見を述べているが,この際もう一度あの時の私の意見を参照して貰いたいと思っている(漁業資源研究会議報11号45〜47頁)。もしもエンゲルスが言っているように「現代の唯物論は本質的に弁証法的であって,他の諸科学の上に立つような哲学をもはや必要としないのである。それぞれの個別科学に対して,事物に関する知識との全体的連関のなかで自分の占める地位を明らかにせよという要求が提起されるやいなや,全体的連関を取少扱ういっさいの特殊な科学はよけいなものになる。そのとき,従来のすべての哲学のなかでなお独立に存続しつづけるものは,思考とその法則についての学説一形式論理学と弁証法である。そのほかのものはみな自然と歴史についての実証科学に解消してしまうのである」(エンゲルス;空想から科学への社会主義の発展84頁,国民文庫)であるならば,一つの学問と多くの学問という考え方は,エンゲルスのいう実証的諸科学の間で全体的連関性についての思考をめぐらすということであり,扇の要と骨のような関係でなければならず,マルクスの創造した経済学こそ実証的諸科学の中での「要」に相当する科学であると思っている。私がこの稿の標題を,「漁業経済学研究のすすめ」としないで単に「経済学研究のすすめ」とした理由については,漁業生産活動が資本主義体制下における経済行為である限り,貨幣の価値法則と利潤追求の資本の論理が上からがっちりと漁業の世界を支配していると思っているからである。資本主義的経済の下では貨幣が万能の力をもっているわけであって,貨幣の魔力の秘密を多少とも知ることなくしてはまともに物が言えなくなってきているのが現実であり,この魔力の秘密の科学的分析を可能にしたのが外ならぬマルクスであるとするならば,先ずわれわれはマルクスの経済学の基本について学習を開始しなければならないと思うからである。そして農業経済学といっても所詮は農業現象なり漁業現象に経済学の法則を適用してそれらの現象をより科学的に理解しようとするところに成立する応用の学問分野である,という私の確信がそこにあるからである。もし私の言う経済学が実証的諸科学の中で,「扇の要」的役割を果たしているとするならば,私はどうしても彼が経済学批判の序言の中で,自分の研究の一般的結論を定式化して「人間は,彼らの生活の社会的生産において,一定の,必然的な彼らの意志から独立した諸関係に,即ち,彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係に入る。これらの生産諸関係の総体は,社会の経済的構造を形成する。これが実在的土台であり,その上に一つの法律的および政治的上部構造がそびえ立ち,そしてそれに一定の社会的諸意識形態が対応する。物質的生活の生産様式が,社会的,政治的および精神的生活過程一般を制約する。人間の意識が彼らの存在を規定するのでなく,彼らの社会的存在が彼らの意識を規定するのである。社会の物質的生産諸力は,その発展のある段階で,それらがそれまでその内部で運動してきた既存の生産諸関係と,あるいはそれの法律的表現にすぎないものである所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は,生産諸力の発展諸形態からその桎梏に一変するその時に社会革命の時期が始まる。経済的基礎の変化とともに,巨大な上部構造全体が,あるいは徐々に,あるいは急激にくつがえる」(大月書店日本語訳マルクスエンゲルス全集13巻経済学批判6〜7頁)と述べていることにふれておかなければならない。これは要するに生産力と生産関係の弁証法的発展の法則を天才的な要領のよさで述べているところであって,私はここが経済学の出発点であり,且つ問題が複雑にこじれて頭が混乱してきたときに帰ってくるべき「母なる大河」であると思っている。
 周知のように人類の社会は猿の人間化の過程から出発して,原始,未開,文明の世界へと長い時間かかって発展してきたが,この発展段階を社会の実在的土台である経済構造の進化発展の視点に立って述べてみれば,原始共同体の時代から物質的生産諸力の発展の下で奴隷制,封建制の歴史社会を経て資本主義経済体制へと発展してきているのであり,今日資本主義経済体制内においては,その体制の下で発展してきた厖大な生産力と生産関係の矛盾が激化してくる中で,世界の1/3が社会主義経済体制を半ば完成し,あるいはその完成に向って邁進しているといった状態である。このように人類の社会を低い段階から高い段階へ向って発展して止まない社会であると理解していく立場をわれわれは史的唯物論の立場と称している。日本の近代化は明治以来幕藩体制を否定して資本主義体制の国家建設を志向してきたところから始まるが,今次の世界大戦における徹底的な敗北と破壊から立ち上ってきた日本資本主義は再び高度に発展した経済大国として成長してきた。日本漁業の資本主義的発展過程もまさにこの軌道とそっくりで,戦後復活強化してさた日本漁業も,その後における厖大な漁業生産力の発達の下で,昭和30年代から他産業同様高度経済成長をとげてきたが,200海里時代の日本漁業とは正に高度に発達した資本主義漁業の経済的矛盾の到来と教化を告げる警鐘の音であると思って差支えない。
 経済学研究の一本の柱が「史的唯物論」の立場であるとするならば,現状分析の他の柱は「資本論」の立場であると言わねばならない。勿論資本論の立場そのものも史的唯物論の立場に立っているわけであるが,更に現実の今日的経済問題の分析はやはり資本論の立場に立った方がより科学的であると信じている。われわれの眼前に厖大に山積されている商品の分析からはじまり,単純商品生産における商品の二重性格,従ってこれの生産に当る人間労働の二重性格を発見することによって労働価値学説を完成し,価値形態の発展するところ物々交換から説き起こして物品貸幣から金属貨幣,更には鋳造貨幣から紙幣や銀行券の発達,信用貨幣の出現による商品市場拡大の問題にわたって述べているマルクスの一貫した理論は,私の血のめぐりの悪い頭脳を啓蒙してくれたわけで,どの学問分野の研究に徒事している科学者も自分の研究部門の学問について感じていることであろうが,私は経済学を今日とても身近に感じながら漁業経済研究に従事している次第である。
 200海里時代に入って日本漁業は曲り角に来ていると言われているが,このことはわれわれ水産研究者の研究態度もまた従来通りのマンネリであってはならないということなのであり,今までの研究業績の単なる積み重ねであってはならないということも含まれていると思う。専門の研究分野を軽視するということではなく,専門の研究分野を新しき200海里時代に生かすにはどうすべきかの問題であり,そこには当然科学者の社会的責任の問題が厳として控えているわけである。
(漁業経済研究室)

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