ミクロネシヤ漁業開発事前調査に参加して

林 繁一


 本年7月半ばから約3週間にわたって訪れたミクロネシヤ,それはわが国からみると南に連なる広大な海域に浮かぶ2,000余りの島嶼群である。この海域は日本のまぐろはえなわ船にとっては半ば伝統的な漁場であり,さらに最近10年間にはカツオ竿釣船にとっても主漁場となっていることは良く知られた所である。一方現地の産業としては,かって栄えた燐鉱石が掘り尽され,甘蔗畑がタンガ・タンガという雑草に被われた現在,見るべきものはない。経済的には信托統治に当っている米国の無償供与に依存せざるを得ない現状にある。現地の人々にとって漁業振興は大きな関心事であり,わが国に対して技術援助,経済協力が再三要請されたといわれる。幾多の曲折があったとはいえ近隣の漁業大国であり,かってはその技術によって,わが国の産額に匹敵するカツオ節を生産した実績からこのような期待が持たれるのは当然であろう。
 もっとも他国の信托統治下にある地域に対して,たとえ技術の分野に限るとはいえ,経済協力を前提とする政府調査団の派遣にはいろいろな障害があったと聞いている。信托統治が1980年に終了する見通しが立った1976年になって,漸やく国際協力事業団の活動の一環としてミクロネシヤ浅海養殖事前調査団の派遣が決定された。後に漁業開発事前調査団と改称された本調査団の成果は近く同事業団から正式に報告されるが,ここにその概要を紹介しておく。
 当初本調査団に課せられた主な任務はミクロネシヤ協定に基づいてわが国がパラオに建設した浅海養殖センター(Micronesia Mariculture Demonstration Center略称MMDC)の実情を視察し,その成果をミクロネシヤ全地域に広げる方策を樹てることにあった。この他にわが国が供興した26トン型FRPカツオ竿釣漁船が効果的に使われていないという情報があったので,その運行の改善を計ることも目的に加えられていた。両目的に対処するために次のカツオ漁業,浅海養殖業の専門家諸氏が調査団員として予定されていた。

水産庁遠洋漁業課第4係長菅野典夫
日本鰹鮪漁協組連合会国際課長長峰朝生
海外漁業協力財団専門家(前大分水族館)中島東夫
国際協力事業団水産協力室佐々木直義

 今年に入ってこの計画が実施に移される段階で,たまたま帰国した私が年上という理由でまとめ役をお引受けする結果となった。この他に外務省技術協力2課の池田他人氏が途中から行を共にして下さった。練達の外交官が加わるという一事はこの調査団に対する期待の大ささを物語るものである。私事にわたって恐縮であるが,お引受けした当時は3月出発の予定で私は遠洋水産研究所主任研究官という時間に恵まれた立場にあったが,実際には4ヶ月も遅れ,その間現在の仕事についたので,調査団の業務に全力を出し切れない憾みを残してしまった。
 ともあれ私達は表1の日程によって,各地区の漁業施設や漁場を訪ね,議員,政庁職員,船主,現場の漁業者,協同組合員,市場職員等いろいろな立場の人の意見や要望を聞いたのである。
 現在ミクロネシヤは人口約13万,100足らずの島が可住の状態である。もっともミクロネシヤと一括されているが,その自然も文化も複雑である。因みにマリアナは火山島,マーシャルは珊瑚礁,そして東西に延びるカロリンはその両者よりなっている。そこに住む人々の由来については諸説があるけれども,おおまかに云えばマリアナ,パラオ,ヤップにはフィリッピンとインドネシヤから,マーシャルや中東部カロリンさらにパラオの南西に点在する小島にはメラネシヤ東部から移住したものらしい。その後地区間の交流もあるが,火山島を中心に隔離も生じた。現在では地区によって時としては島によって言葉が異なっており,高等学校以上では英語によって教育されている。
 この英語の地位は,30年前には日本語,その30年前にはドイツ語,さらにその15年前にはスペイン語が占めていたというきびしい歴史をミクロネシヤは持っている。
 FAO統計によると1971〜1975年のミクロネシヤ漁獲量は1,000〜6,000トン,その大部分は,主としてパラオにあるバン・キヤンプ社の冷凍工場に陸揚げされたカツオである(表2)。もっとも統計調査が整備されれば,実際の陸揚げ量はもっと多くなる筈である。私達が見開した限りでもマジュロの公共市場のみで年間150トン,コロールのそれても100〜300トンの取扱量があり,市場を通さない数量はこれらを上廻ると思われる。磯魚が豊富なことは,行く先々で開いて頂いたパーティーには必らず主人側が自分で獲った海の幸で食卓を飾ったという一事からもうかがわれたのである。
 ともかく熱帯域の常として種類の数は多く,高等弁務官府海洋資源部は表3に示す23科78種を有用種としてチャートに掲げている。この他にも重要な食用魚があることはいう迄もない。魚類以外では,ノコギリガザミ,シヤコガイなど,その巨大な外形とは似通わしくない繊細な味を持っている。ナマコも多く,1940年頃迄はその乾製品きんこは主要な輸出物の一つに数えられていた。ただし移動力のない動物であり,高級品は漁獲されればすぐに減ってしまうであろう。
 数ある魚類のうちでもっとも珍重されているのはアイゴであり,その資源は減少気味とか。MMDOは世界に先駈けてその人工孵化に成功し,すでに第4世代が親になっている。同センターでは熱帯域の主要養殖魚サバヒー,カツオ竿釣餌料としてのモーリー(胎生メダカの1種)などの養殖も手がけている。いずれも実験段階としてはそれなりの成積を収めているものの人件費,池の造成費,餌科費等のコストが高く,実用化にはまだまだ時間が掛りそうである。
 FRP漁船は残念乍らほとんど役に立っていない。パラオ地区議会を始めとして,各地での評判は悪い。ところがほぼ同じ船がわが国では操業している。カツオ竿釣漁業の基盤のない地域に十分な技術指導もしないままで近代的な漁船を渡しても現地には利益を斉らさないということを示している。せっかくの協力が逆効果になっているわけで,帰国後の報告会でもその改善が急を要すると強調した所,幸いにも各方面の理解が得られ,昨年12月にはその対策として第2次調査団が現地を訪れ具体的な協力を進めてきた。
 ミクロネシヤ側からは,魚市場始め陸上施設の建設改善,技術者の派遣,水産学校の設置等々の要請が出された。
 しかし何にもまして強いのはカツオ,マグロ漁業の技術と資本の供与である。4年後の信託統治終結を前に,少しでも経済力をつけねばならないミクロネシヤにとって,この数少ない資源を自分達のために有効に使おうと考えるのは当然である。そのために,現地人の操業参加,外国船の陸揚げや補給による収益,入漁科の徴収といったった措置が取られ,わが国の漁業にも直接,間接の影響が現われることは明らかである。
 こういったミクロネシヤの要請に対して,当面わが国からは漁携,保蔵,加工といった生産を直接支える技術の転移が進められよう。それによって現地の経済自立に貢献できれば,それなりに歓迎されもしよう。それと同時に現地側が「自分達の海」の生物資源を永続的に使ってゆきたいという意識を持っており,わが国にはその面での協力も要求されていることを忘れてはならないと思われる。「カツオ,マグロのMSYは判らないけれども‥」というミクロネシヤ開発5ヶ年指標計画の書出しは乱穫に対する不安を秘めている。海洋水産資源開発センターの餌魚調査が高く評価されている反面,資源評価を欠くことに不満の意が示されていると開く。遠洋漁業が進出先で資源を獲り減らし採算がとれなくなると他に移ったという歴史はミクロネシヤの人々も良く知っているのである。
 外国の水域で操業するのは,たとえそれが相手から望まれた漁業協力であったとしても,資源状態に関する情報の提供を伴なわねばならない時代に入って来たと考えるべきであろう。
 ミクロネシヤでは特に資源維持が強く要求されているのである。技術協力を進めるに当って相手側が必要とするものを提供しないと予期せぬ混乱を招くものである。こういった意味では,西太平洋におけるわが国のカツオ開発と研究との関係は早急な改善を要すると思われる。表4を見て預ければ北緯20度以南の中西太平洋では日本船の漁獲量が1/2〜3/4を占めている。日本の合弁企業が進出しているインドネシヤ,パブア・ニューギニア,ソロモンを加えると,その漁獲量は90%を越えるのである。これに対してわが国のカツオ資源研究者は十指に充たないのではなかろうか。南太平洋委員会(SPC)が組織的な調査研究が,FAO/IPFC の強い支持を受けているのも,沿岸関係国の焦だちを反映しているともいえそうである。ここでもまたわが国は実態以上に,「獲る許りで管理をしない」という図式にあてはめられそうである。海洋分割の端緒の一つが漁業資源の分配にあったという事態を卒直に受止める必要を痛感しているために強調したい問題である。

(資源部長)

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