養植ホタテガイの大量へい死と養植技術の劣化

菅野 尚


はじめに
 昭和49年度の農林水産統計に、ホタテガイ養殖がカキ養殖とならぶ百億円産業に成長したことが記録されている。ホタテガイ養殖は東北地方と北海道の沿岸漁業経営を支える重要な産業として定着しつつあるが、昭和47年・48年に岩手県を中心とする三陸の内湾に、またさらに昭和50年に陸奥湾の養殖ホタテガイに大量へい死が出現し、現在、行政・研究・生産の三者一体となった、大量へい死対策と養殖生産の回復への努力が行なわれている。その実際的効果が、昭和52年からどのように現われてくるかに大きな関心がよせられている。特に陸奥湾のホタテガイ養殖生産の回後がどのような形の養殖技術体系を通じて現われてくるのかが、少なくとも我が国全体のホタテガイ増養殖生産の将来の姿を占うものとなろう。また増養殖研究における方法論、技術論についても大きな示唆を与えることになると考えている。

大量へい死対策の足跡
 東北地方の養殖ホタテガイに出現した大量へい死現象は対策のとられ方と考え方の問題も含めて、二つの時期に分けられる。一つは、昭和47・48年に岩手県沿岸を中心に宮城県沿岸に発現した大量へい死であり、一つは昭和50年青森県陸奥湾に発現した大量へい死である。前者は局部的、後者は全体的な問題としてとらえられた大量へい死といってもよい。
 昭和47年・48年の段階では、養殖漁場の過密化と密殖対策に大きな視点がそそがれ、大量へい死の原因は、「主として高水温、振動、餌料など外部の悪条件の組合せによって起きる生理異常に基づくものてある」として、根本的対策は人為的に実現し得る過密化防止、即ち地域別の養殖適数をとり入れることによって大量へい死を防ぐことができるとした。へい死は三陸沿岸の内湾の貧餌料環境に問題があって、参入した種苗とは関係がないと判断したからである。この判断が決してまちがっていたというわけではない。当時、ホタテガイの貝殻内面着色、貝殻の欠刻がそのまゝホタテガイのへい死につながるとみた現場の視察結果や、充分に検討されずに使用された種苗による実験の結果からは、正確なへい死現象解明への方法論が見失なわれていたに過ぎない。密殖は経済の問題であり、直接へい死にはつながらないという意見や種苗に問題があるという見解も、当時の緊急対策を必要とする状況下で、岩手県下だけの問題として対応せざるを得なかった環境下では、これらをとり上げることは無理であったと考えている。さらに、異常冷水の接岸した昭和49年は、養殖ホタテガイの大量へい死現象がほとんど出現しなかったことも、次の段階として出現する大規模なホタテガイの大量へい死現象に対する根本的な解決への手がかりを遠ざけたように思われる。
 昭和50年夏、津軽暖流の強い影響を受けた陸奥湾の養殖ホタテガイに出現した大量へい死と、さらに昭和51年度東北地方のホタテガイ養殖漁場の全域に引き続き出現した大量へい死によって、根本から本格的な大量へい死対策が進められるようになった。
 昭和50年、青森県行政当局の提案によるホタテガイ異常へい死対策協議会が7月末、水産庁研究課、沿岸漁業課、東北水研増殖部、宮城、岩手、青森各県の行政・研究機関、北海道函館水試等の参加によって、浅虫で開催された。この協議会では各地域の異常へい死の実態と対策、共同研究などについて報告と討義が行なわれ、ホタテガイの内面着色や欠刻等は共通していること、伝染性の病気によるものではなく生理障害により起きるものと考えられること、生理障害を招く要因は稚貝期の9月以降翌年の2月頃までに形成されると考えられること、環境条件の変動はホタテガイを異常へい死に至らしめる要因となる等々の意見が総括された。
 この会議で種苗産地によって大量へい死の出現の様子に違いのあることが明らかにされたのも大きを収獲であった。
 被害が急速に増大する陸奥湾のホタテガイの大量へい死に対して、青森県知事から水産庁長官に要請のあった調査団派遣が、東海大学山本護太郎教授を団長に、東北区水産研究所佐藤重勝所長、菅野尚増殖部長、水産庁美藤香苗研究管理官を団員として編成され実施された。調査団は昭和50年8月中旬、現場のへい死状況、漁業協同組合関係者からの事情聴取、青森県漁政課、水産増殖センターの収集した関連資料を検討し、青森県の要望した事項についての見解をとりまとめ、これを知事に報告している。このなかで、自然環境について、「海況の異常は、すでにホタテガイに形成されている生理障害を、貝殻内面着色や貝殻の欠刻生殖巣の残存等の症状として発現させ、異常へい死に至らしめた起因となると考える。また夏期23℃を越える高水温は、これとは別に急性のへい死現象を誘起する原因と考える」、養殖管理について、「密殖や不適正な養殖管理は、ホタテガイに栄養失調をもたらし、生理障害を生ずる要因と考える」、種苗について、「ホタテガイの生理障害を起す根源は、初期稚貝の質と密接に関係していると考える。稚貝の成長の遅れは、その具体的な例である」と報告した。また、今後の調査研究の方向と現状でとり得る異常へい死についての技術的指導措置についての助言として、「原因を明らかにするための調査研究は、種苗の貿と養殖管理に関連する事項に集中する必要がある。異常へい死を出現させない技術を確立する過程で異常へい死の原因を追求すべきである」、「生理障害によってもたらされる異常へい死については、種苗と漁場利用の技術面から対処する以外に具体的方策はない。・・・・・、大量に採取した50年産稚貝を無計画に中間育成し、養殖した場合には、来年度も又、異常へい死を起こさせる可能性は充分にある」との見解を示した。
 この調査団の見解は、現地の調査を通じて読みとったホタテガイ養殖の技術体系の崩壊をくいとめない限り、根本的な大量へい死対策につながるものは何もないとの判断を表明したものである。あくまでも、行政・研究・生産の三本の柱が一致して、確固とした養殖技術系を取り戻す努力をしない限り、解決の方法がないと考えたからでもある。表面的に環境密殖説、生理障害説・病因説等を口にしても、ホタテガイ養殖生産は回復しない。現場での養殖生産を進めながら、殺さない技術の在り方を解明し、正しい養殖技術体系を早急にとりもどすことが、最も重要なことであるとの調査団の一致した考えを述べたものである。

養殖技術の劣化
 養殖ホタテガイの大量へい死をめぐって、幾つかの研究報告や論説が発表されている。しかし、発表されたものの中には、ホタテガイがもともと海中に懸垂し、ただよって生活しているものであって、垂下養殖のホタテガイは自然の生活を送っていると考えているとしか読みとれない説や、実験に用いた種苗の生い立ちを考慮せずに、種苗は総て正常であるとし、Controlを無視した研究の成果も報ぜられている。総じて増養殖の技術学的立場からの見解はみられない。
 自然のホタテガイの生活は海底上を基盤とするものであって、海中に垂下したホタテガイは決して自然の状態にはない、ということは極めて当り前のことではあるけれども、極めて重要な認識である。特に研究と技術開発の方法論における基本事項として、頭に入れておくことが大切である。養殖ホタテガイの大量へい死問題を解決するに必要な基本的認識でもある。従って、養殖技術とはホタテガイを殺さずに、自然のなかでホタテガイが示す以上の成長を得ることにあるということも、明らかなことである。ホタテガイ養殖の技術開発初期においては、行政と試験研究機関に加えて現場の数少ないパイオニヤが天然採苗から種苗の育成、さらには成貝までの垂下養殖の技術の体系化の努力を積み重ねてきた。当時に実現した垂下養殖技術は、少人数による小規模のものであり、勿論、養殖ホタテガイの大量へい死も出現しなかった。ホタテガイの天然採苗技術の普及に従って種苗の大量供給によって養殖の発展期を迎えた段階では、誰にでもできる養殖技術であり、多くの人人によって東北の浅海養殖に輝かしい未来を告げるものと受けとめられたし、私もまた固く信じていた。しかし、今にして思えばこの種苗生産の増大は同時に初期の養殖技術体系に新たな変化を生みだす切っ掛けを与えていたのである。ホタテガイ種苗の放流による漁業協同組合の増殖事業から組合員個人単位の養殖に、生産の比重が移るのはごく自然に進行したし、養殖業者の増大に伴う量産化競争は、これまでの養殖漁場行使規則の致変や管理能力を越えた稚貝の養成に拍車をかけ、養殖技術体系そのものが変化して、質から量への生産活動が開始され今日に至ったものと考えている。機械や省力化の努力も、必ずしも技術体系の確立には結びつかなかったと考えている。陸奥湾のホタテガイ養殖生産は、新しい事態に則した養殖技術体系を確立することなしに、初期に開発した技術体系すらも見失ったかのようにもみえる時期をむかえたのである。まさに技術の劣化である。
 ホタテガイ養殖の技術体系が確立しているかどうかは、青森県の昭和51年度版ホタテ養殖の手引にあるように、12月中旬に殻長で平均4p(最少3p〜最大5p)、重量7グラム、翌年3月下旬に殻長で平均6p(5〜7.5p)、重量28グラムの養殖ホタテガイを作ることができるかどうかで判断は容易にできる。また本養殖の段階で満1年の生残りが、少なくとも80%以上(試験では90%以上)得られる計画的な成貝の生産が技術体系の確かさを示す目安となるはずである。また、青森県は労働力に見合った適切な養殖数量が、経営的にも安定し、大量の中小貝の養成は不利なことを実例を挙げて示している。ホタテガイは必ず死ぬと考え、大量に稚貝を確保育成し、偶然の生き残りによって養殖生産とするのか、あるいは殺さないことが養殖の技術と考え、計画的な養殖生産を進めることができるかが、これからのホタテガイ養殖の技術体系を決めるわかれ目である。

養殖技術体系の担い手
 養殖技術体系は養殖する人間の状態によって決まる。ホタテガイ養殖の開発期は個人を中心にした養殖技術の体系であり、今日の百億産業に成長したホタテガイ養殖を発展させるためには、これに相応した技術体系が必要である。その技術体系の担い手は、言うまてもなく、生産者、行政・研究の三本の柱である。
 会社経営ではなく、漁業協同組合に所属する個々の組合員が、それぞれの経験と技能を生かして養殖生産を行なう訳であるから、少なくとも漁業協同組合の単位で養殖技術の体系を維持することが必要である。個人単位では百億産業に対応する技術体系を維持し発展させることはできない。強力な指導者のもとでの漁業協同組合単位の養殖生産の質を重視し、さらに計画的量産技術を確立する組合員個々の努力を引出すことには、新しい技術体系は作り出されない。行政担当者は変化する社会経済状態に対応し、生産者の生産意欲と活動が低下することがないように、技術体系が正常に保たれ、また発展するために必要な施策と強力な行政指導を積極的に進めるべきだし、また研究者は科学的な情報提供と判断を行政担当者と生産者に示して、技術体系の確立に努力する必要のあることは言うまでもない。
 ホタテガイ養殖生産が当面する大量へい死現象を乗り越えて、新しい養殖技術体系を確立するのは、基本的に生産の担い手例の問題であり、ホタテガイに責任があるのではない。

おわりに
 昭和51年度のホタテガイ養殖は、調査団が心配した予想が、不幸にも適中した。これは昭和50年度産のホタテガイ種苗の生産が、高水温下に行なわれたことも大きな原因と推定されているので、強いて言えば、昭和51年度の養殖ホタテガイの大量へい死は、起こるべきして起こったものといえよう。幸なことに昭和51年度の天然採苗と種苗の育成については、積極的な青森県の行政指導、水産増殖センターの試験研究、漁業協同組合活動を通じて、健全な種苗が充分に確保されている。この昭和51年度産種苗の養殖と放流による地蒔養殖から、現在積極的に進められている技術体系の確立の成果をみることがてきると期待している。少なくとも、この春採苗が行なわれる昭和52年度産種苗からは、たくましい増養殖生産の息吹きが東北のホタテガイ生産にもどってくることを期待している。
 陸奥湾はホタテガイ種苗の重要な供給地である。健全な種苗の全国的供給とその種苗性に見合う増養殖生産技術によって、我が国のホタテガイ生産が計画的に発展していく日も近いと確信している。また同時にホタテガイについての科学的な生物学研究の発展に大きな期待を寄せている。
 最後に、長年に亘って技術学を指導して戴き、また大量へい死現象について技術劣化の問題を御教授戴いた佐藤所長に、厚く御礼申し上げる。

(増殖部長)

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